ページ

2014年4月30日水曜日

オーダーメイドの落とし穴

最近、オーダーメイドで失敗した話を立てつづけに聞いたので、
今日はオーダーメイドで作った服が、なぜいまいちなのか、
素敵に見えるはずが、なぜそうならなかったのかについて書いてみたいと思います。

オーダーメイドの失敗には、大きく分けて2つあると思います。
まず1つは、単純に採寸ミス。
採寸しているつもりが、それが不正確で、でき上がったものの寸法が足らない、
または余っているという場合。
オーダーメイドといっても、ほとんどの場合は元の型があり、
その一部修正の形だと思われますから、
採寸が不正確であったら、でき上がったものは、その人に合ったものにはなりません。
スカート丈、袖丈などはあまり間違えようがないと思いますが、
バスト寸法が足りないための横しわ、引きつれしわなど、
または、タイト・スカートのウエストからヒップにかけての横しわなどは、
明らかに採寸ミス。
そしてそのミスの結果、パターン修正をしなかったため起きた失敗です。
これはそのお店がそれだけレベルが低いということを示しています。

2つ目の失敗です。
採寸も正確、身体にぴったり合っている、だけれども、全く素敵に見えないというもの。
実はこちらこそ、オーダーメイドの大きな落とし穴です。

私が服飾専門学校に行っていたとき、上半身の型を石膏でとり、
その内側に薄い紙を張って、そこからパターンを起こすという授業がありました。
6人ぐらいで1組になり、選ばれた人が上半身裸になって、
身体の片側に石膏をぬられ、型どりします。
そのリアルな人体の石膏型は乾くまで、教室の脇で乾燥させられ、
乾いたら、つぎは内側に薄い紙を張り、それをきれいにはがして、
はさみを入れて分解し、平面にし、そこからパターンを起こして、
今度は布に置き換えて、再び立体にし、
そこからシーチングでブラウスを作って実際に着てみるという、
かなり面倒な、しかし人体を理解するのには必要な作業です。
そこで、でき上がったブラウスを最初のモデルに着てもらうのですが、
それは確かに身体にぴったり合っているにもかかわらず、
素敵ではありません。
もっと言うと、それをあえて作りたいとは思えない代物です。
私たちのグループはフィッティング・モデルのアルバイトをするぐらいの、
かなりスタイルのいい人でしたが、それでも素敵ではありません。

どういうことかというと、
採寸を正確にして、
その採寸結果に必要なゆるみを足した形でパターンを作って、
それを形にしたところ、スタイルがよく見える服はできないということです。
なぜなら、それはただ単に、もとの肉体にゆるみを加えただけ、
つまり120パーセントでコピーされただけの、
自分の着ぐるみだからです。

たとえば、これがミランダ・カーの着ぐるみだったら、
それは誰もが入ってみたいことでしょう。
なぜなら、ミランダ・カーは多くの人が望む体型の持ち主だからです。
それが正確な形で着ぐるみになり、
着ることができるのなら、誰でもその瞬間、モデル体型になれるわけです。
しかし、多くの人は、自分の体型をそのまま120パーセント拡大されたものを、
あえて着てみたいとは思わないでしょう。
ここが嫌、あそこが嫌、お腹が出ている、寸胴すぎるなど、
どこかしら、スタイルがよい方向に形を変えたいはずです。
私たちが洋服を着て見せたい体型、
そして自分が見たい体型は、
決して自分の120パーセント拡大コピーではなく、
バージョンアップした自分です。
そしてそれができることが、わざわざオーダーで服を作る理由なのです。

ただ正確に採寸ができればいい服ができると考えているテイラーにオーダーメイドに依頼したら、
その服は失敗します。
そうではなくて、正確な採寸、その上で、理想の体型の明確な立体イメージ、
そしてそれを作り上げるパターンのテクニックがなければ、
スタイルがよく見える、いい服はできません。

そうでなくても、立体感覚に乏しい日本人です。
この技術を持っているテーラーの数が多くはないであろうことは、
誰にでも容易に想像できます。
そしてそんなテクニックが、一朝一夕に身に着くあろうはずがありません。
生まれ持った才能、
優れたテーラーのもとでの修行期間がなければ、
そんな服を作る人には、なれないのです。
そんなテイラーに出会えるかどうかは、
宝くじに当たるより低い確率です。
そしてそんな人は、もうすでに多くのお得意さんがいて、囲われているでしょう。
なぜならそれほどまでに、そういうテイラーは希少だからです。

中途半端なテイラーにワイシャツのオーダーをするぐらいなら、
イタリアンメイドの高度なパターンテクニックを駆使した、
高級なシャツを着るほうが、よほど体型はよく見え、
見違えたように見えます。
もちろん動きやすいというおまけつきです。
それでもどうしてもオーダーメイドにこだわるならば、
誰かに秘密のテイラーを紹介してもらうか、
ミラノにでも行って、シャツをオーダーしてみればいいでしょう。
(最近、ビスポークという名称でいろいろなブランドがやっています。)
日本で作るより、ずっと満足のいくものが手に入るはずです。

パターンのいい服が知識と経験でわかっていなければ、
そのパターンがいいものかどうか、普通の人に見抜くことは難しいです。
オーダーメイドだから、身体にぴったり合ったいいものに決まっているという、
その間違った思い込みが、失敗のもとです。

間違った思い込み、
それとは逆に制限的な信じ込みは、早いところ手放しましょう。
頭の中のそのガラクタのおかげで、
あなたはしなくてもいい失敗をするはめになります。
過剰な自己宣伝の言葉や、
高額な値段設定、
にこやかなプロフィール写真など、
本当のところ、何の根拠にもなりません。

落とし穴に落ちてしまった人は、
高い勉強代を払ったと思って、
つぎからはだまされないように気をつけて。
だまされないための第一歩は、本物を知ること。
ただ、それだけです。







2014年4月21日月曜日

紺色(ダーク・ブルー)

日本語で言えば紺色、
英語だったら、ネイビー・ブルーやインディゴ・ブルーなど、
ダーク・ブルーの服は、誰でもが一度は着たことがあるのではないかと思います。
紺色はまず制服に使われることが多いですし、
ジーンズの色であり、
ピーコートやトレンチコートに多く使われる色だからです。
そして、男性のスーツばかりでなく、女性のスーツにも紺色は多く使用されます。
また、すべてのアイテム、Tシャツ、スカート、パンツ、靴下まで、
紺色は必ず売っています。
どこででも手に入りやすいのも紺色のアイテムの特徴です。

色彩心理学を出すまでもなく、
紺色は冷静さ、知的さを人々に感じさせます。
そこからはまじめな感じや、仕事ができるイメージを想起させます。
紺色を身につけることにより相手に与えるイメージは、
どれもポジティブなものばかりなので、
そんな印象を誰かに与えたい人にとって好まれる色です。

また、紺色は日本人の髪の毛の色となじみがいい色です。
黒から茶色のグラデーションと紺色は相性がいいと思います。
また色だけをとってみても、
紺色と黒の組み合わせは、上品にも、モードっぽくもなり、
コーディネイト全体を完成させやすい色合いです。

紺色の利点はまだあります。
紺色は、黒ほどに素材のよしあしを浮かび上がらせません。
たぶん、光の反射の具合が黒とは違うのが原因だと思いますが、
粗悪な素材の黒は、すぐそれだとわかるのに対して、
紺色の場合、あらが黒ほどわかりません。
手で実際にさわってでもみない限り、
学生の制服に使われる紺色のウール・ギャバジンと、
ハイブランドのウール・ギャバジンの違いはわかりません。

このように、多くの利点を持っている紺色という素材ですが、
唯一の欠点と言えば、多くの人が持っているので、
平凡に陥りやすく、
その人らしさを出しにくいという点でしょうか。
あまりに普通すぎるということにもなります。

このあまりにも凡庸な、
ありふれた、
しかし魅力的な紺色を、
その人らしく着るにはどうしたらいいか。
いくつかポイントがあります。

まずは、差し色で自分らしさを出してみること。
紺色に赤を差し色にしたら、そこに白を足すだけでトリコロールになります。
これは完璧ではあるけれども、ありふれた色合わせです。
この赤を、たとえば黄色にしてみるだけで、
紺色はより引き立ち、印象はがらりと変わります。
もちろん黄色ではなくても、紫でも、ショッキング・ピンクでも、
多くの色が紺色と合わせられます。
自分の好きな色を持ってくることで、凡庸から抜け出すことは可能です。

つぎに形の問題。
紺色のピーコートやトレンチコートは定番です。
ですから、どうしてもありふれてしまいます。
しかし、案外、紺色のブラウスやシャツは定番ではありません。
同じ紺色でも、アイテムによってはありふれていないものがあります。
紺色の学生用のバッグは多数ありますが、
大人用の紺色のバッグは極端に少なくなります。
靴にしても黒い靴ほど、紺色の靴はありません。
たとえば、紺色のブーツなど、ほとんど売っていません。
このように、同じ紺色でも、定番でない形、
アイテムにずらしていくことによって、人とは違った感じを出すことができます。

では最後に、紺色の定番を着て、それでもなおその人らしいスタイルについて書いておきましょう。
最近、ノームコアというファッション用語が新しく出現しました。
これは、肝入りのノーマルということで、
デザインも、色も、徹底的に普通のものを選ぶスタイルです。
この言葉を紹介していたBritish Vogueの記事には、
ジーンズとTシャツというような普通のスタイルのモデルたちの写真が多く掲載されていました。
この「ノームコア」を志向する人たちが多く選ぶ色の1つは明らかに紺色でしょう。
しかし、彼女たちは決して凡庸ではありません。
たとえばモデルであるとしたら、彼女たちは非凡な体型を持っています。
そのスタイルは紺色の定番アイテムを身につけることによって、
より一層引き立ちます。

また同じように、白いシャツにジーンズというようなスタイルを好むデザイナーたちはどうでしょうか。
彼らの体型は非凡ではありません。
しかし、彼らは非凡な才能の持ち主です。
彼らがアピールしたいのは、着ている服ではなく、その才能です。
彼らが誰かと会って話すとしたら、必要以上に服に注目がいっては、
その才能が見えません。
彼らは自分の才能を目立たせるために、あえてインディゴ・ブルーのジーンズを選ぶのです。

もしあなたが何かの分野で、
それは体型かもしれませんし、話術かもしれませんし、美しい顔かもしれませんが、
非凡であるならば、
あえて紺色の定番だけでコーディネイトしてみるのもいいかもしれません。
必要以上に服に出しゃばってほしくなかったら、
服が余計な情報を伝えてほしくなかったら、
それ以外の部分をぜひとも理解してもらいたいのなら、
凡庸な紺色のコーディネイトは、それらを引き立てるでしょう。
服のことなど見ないでほしいとき、
忘れてほしいとき、
紺色は強い味方です。

紺色の服は、世界の意味のコードの中で、強固な意味を持っています。
それが壊れることはありません。
時にはそれを利用し、
時にはそれに助けてもらい、
時にはそこから抜け出して、
自分なりの紺色との付き合い方を見つけましょう。
ダーク・ブルーは暗闇などではなく、
明晰な知性です。
賢く見せるためではなく、
賢いからこそ、使いましょう。
ブルーになるためではなく、クリアになるために使いましょう。
それは誰でも、いつでも、どこでも手に入れることができる、
多くの人に平等な色です。















2014年4月14日月曜日

被服費と被服にかけるエネルギー

最近ではあまり使わなくなりましたが、
エンゲル係数という言葉があります。
エンゲル係数とは、家計の支出の中で、食費のしめるパーセントです。
これが高いほど、生活水準が低いとされます。
食費は削ることができない必要経費だからです。

さて、生計における被服費のパーセントについて、呼び名は特にありませんが、
自分の生活費の中で、どれぐらいの割合を被服費に使っているか、
把握していることは、悪くはありません。

私がいろいろな人にリサーチした結果ですが、
被服費について年間で予算を立てている人も、
実際にいくら使ったか把握している人も少数派です。
服に関しては、高額なものを買うとき以外、
行き当たりばったりのお金の使い方の人がほとんどです。

被服費と一言で言っても、その中身はさまざまです。
下着もその中に入りますし、消耗品としてのTシャツなどや、
また長持ちするコート、そして靴、バッグ、ジュエリーなど、
金額から、減価償却の期間まで、大きく幅があります。
ですから、余計に、家計における被服費は把握が難しくあり、
放っておかれることが多いです。

また、これは被服費とは呼びませんが、
服や靴のメンテナンス費用があります。
クリーニングに出せばクリーニング代が、
靴を直すなら修理代が、それぞれかかります。

そして、特に都会のマンションに住んでいる方の場合、
服を補完するのに使っているスペースの問題があります。
家賃のうち、どれだけの部分が服のために使われているか、
シビアに計算してみると、かなりの額になるということがわかります。

それらとは別に服にかける時間とエネルギーがあります。
服にかける時間とは、それを買いに行く時間、朝、または夜、何を着るか考える時間とエネルギー、洗濯やアイロンかけの時間とエネルギーなど、
服やバッグ、アクセサリー、小物など、全般にかける時間とエネルギーです。

単純に、多ければ被服費が高いとは言えませんが、
(なぜなら高いものを少なく所有することもあるからです)
モノとして多ければ多いほど、お金も時間もエネルギーもかかります。
これら被服にかけるお金、時間、エネルギーが、
自分の持っているお金、時間、エネルギーに対してどれぐらいがちょうどいいのか、
適切なのか、それぞれが改めて考えてみる必要があるのではないのでしょうか。

何度か書きましたが、
洋服やバッグのお金をかけてみたところで、決して人生はよくなりません。
服飾学校に行っていたころ、
服に相当なお金、時間、エネルギーをかけている人たちを多く見ましたが、
その人たちの人生が、そのおかげでその後、よくなったなどということはありません。
20代のころのヴィトンのバッグも、ヴィヴィアンのジャケットも、ブルガリの時計も、
その人を成長させたり、賢くさせたりは決してしません。

残念ながら、私たちのお金も時間もエネルギーも限られています。
その総量は、人によって違うでしょう。
多くのお金を持っている人は、多くの服を買うことができるでしょう。
確かにお買い物はエネルギーを動かす行為なので、
一瞬は気分がよくなります。
しかし、それだけです。

感覚を刺激するものに、私たちはすぐに負けてしまいます。
だけれども、心地いいもの、快適なもの、気分が上がるものだけを求めていったとしても、
本当の満足感や幸せは得られません。
自分が今まで服に使ったお金、時間、エネルギーは、
はたして自分を幸せにしてくれただろうか、
成長させてくれただろうかと、振り返って考えてみてください。
それがまさにそのとおりで、何の問題もないと思えるのなら、
今のままで構いません。
だけれども、もしそうでないのだとしたら、
今、それらについて考え直しましょう。

安いものを買えばいいとも、
どんどん捨てろと言っているのでもありません。
そうやって使ったお金、時間、エネルギーと見合ったものが自分に残ったか、
その点について考えてほしいのです。

限られたお金、時間、エネルギーが被服にかかり過ぎであるならば、
それは減らしましょう。
そしてもっと有意義に、成長や幸せの方向に使いましょう。
ほとんどの人にとって、服は人生で最も重要なことではありません。
それは必要で、ファッションは楽しいものだけれども、
あまりにも重きを置きすぎるのも、何か違うでしょう。

自分の身の丈にあったお金と時間とエネルギーの使い方をしましょう。
それは感情や感覚ではわかりません。
あくまでも冷静に、理知的に。
それでは足りない、遅れている、かわいくないと、
あおる風に負けないように。
その結果は何年か後にわかります。
欲望に負け続けた人の顔と、それに打ち勝った人の顔とでは明らかに違いますから。
そこに人々は、美しさを見ますから。

2014年4月7日月曜日

テーラード・ジャケット

ジャケットにはいろいろな種類がありますが、
テーラード・ジャケットだけは特別な意味が与えられています。
つまり、どこへ出ても恥ずかしくない、きちんとしている服装、という意味です。

さて、では、テーラード・ジャケットとは、どんなジャケットのことを言うのでしょうか。
英語で考えてみると、これは「仕立てられた上着」という意味なので、
上着の形状については何も示していません。
しかし、日本でテーラード・ジャケットと言った場合、
襟の形がテーラード・カラーであるジャケットという意味になります。

しかし、テーラード・カラーというのもおかしな言葉で、
それだけでは「仕立てられた襟」以外の意味にしかなりません。
改めて考えてみるとおかしいなと思って少し調べてみたところ、
英語ではMan-tailored collarという言葉があるようです。
これは男物仕立ての襟ということで、必ずしもジャケットの襟のことではないようですが、
たぶん、この言葉のManが省略された、テーラード・カラーという言葉が日本で定着したのだと思います。

日本で言うところのテーラード・カラーというのはどういうものかというと、
立襟を折り返してラペルを作り、胸のあきがVになった襟のことです。
ラペルというのは下襟のことですが、この部分は身頃についた形になっています。
襟として縫い付けられているのは上襟のみです。
テーラード・カラーとは、もともと立ててあった襟を開いた形のことで、
その名残としてラペルの先にボタンホールが残っていることもあります。
あのボタンホールは閉めて着ることが可能なもので、
逆のラペルの裏側、本来であれば表側にはボタンがついているはずです。
しかし、現在では単なるデザイン的に残されているだけなので、ボタンなしものが多いでしょう。

いつごろから立て襟が開かれるようになったか、正確なところはわかりませんが、
ヴィクトリア朝の絵画で、女性の上着で襟が開かれた形のものがあったように記憶しているので、19世紀後半ぐらいなのではないでしょうか。
(すみません、ここは不確かです)

いずれにせよ、男性の軍服の立て襟が、息苦しさからなのか、暑さからなのか、
開いて着られるようになり、それがスーツのジャケットの襟に継承され、
それを真似る形で女性もののジャケットの襟として採用されたのがテーラード・ジャケットです。
ですから、テーラード・ジャケットの定義は、襟がテーラード・カラーである上着のこと、となります。

特に日本においてですが、
テーラード・ジャケットには、「ちゃんとした」という意味合いが与えられています。
もし、きちんとした格好をしなさいとか、恥ずかしくない格好でと言われた場合、
とりあえず、テーラード・ジャケットを着ていれば、許される場合が多いです。
ましてや、それがスーツであったのなら、ほとんどの場合、問題ありません。

ここで、ほとんどと書いたのは、必ずしも100パーセントではないからです。
ファッションは自由な表現、そして変化を好むので、
伝統的なものを壊したり、変化させたりします。
その中で、このテーラード・ジャケットもさまざまなものが提案されてきました。
たとえば素材。
ニット、レース、カットソーなど、いわゆる男性のスーツには採用されない素材もどんどん取り入れられています。
また、大胆な柄物、チェック、ストライプなど、生地に多色の色付けがされているもの。
そして、ビッグ・シルエットや、わざとバランスを崩したシルエット、アシンメトリーのものなど、正統とはほど遠いシルエットものなど、
襟こそはテーラード・カラーではあるけれども、
そのほかの部分については、男性のスーツの背広とはほど遠いものも存在しています。
ですからテーラード・ジャケットと言えども、「ちゃんとした」という意味合いには当てはまらないものも数多くあります。

では、何を持って「ちゃんとした」と言っているのかというと、
それはあくまで男性のスーツの背広に準じているかということです。
それに近ければ近いほど、ちゃんとした感じがするのだと、日本人は考えていて、
その意味を与えました。

しかし、これはあくまでも日本だけの、まさに日本ローカル・ルールであり、
海外であれば、また別です。
たとえば、洋服の正統が今も存在しているであろうと思われるイギリスにおいて、
その代表であるエリザベス女王は、いつも正式で、きちんとしている存在ですが、必ずしもテーラード・ジャケットを着用しているわけではありません。
ノーカラーのときもあれば、フラット・カラーのときもあります。
また、ブランドで言えば、洋服の王道、シャネルのシャネル・スーツのジャケットもノーカラーです。
襟はありませんが、これは十分に「きちんとした」ジャケットです。

つまりこの暗黙のルールは世界共通ではないし、絶対ではないけれども、日本においては有効であるということです。
ですから、私たちはこれを利用すればいいわけです。

ジーンズだろうが、チノパンツだろうが、ミニスカートだろうが、ショート・パンツだろうが、
男性のスーツのジャケットに準じるようなジャケットを1枚羽織れば、
ほとんどのところへの出入りは許されます。
それは見えない威力です。
インナーがTシャツだろうが、ノースリーブのニットだろうが、
テーラード・ジャケット1枚で、高級レストランのドレス・コードに引っかかりません。
テーラード・ジャケットはおじさんのスーツのジャケットと同じで、つまらない、動きにくい、夏は暑いととらえるのもいいですが、
これ1枚でもどこへでも行けるのだと思えば、
それは強い味方です。

必ずしもすべての人にテーラード・ジャケットが必要だとは思いません。
だけれども、銀行へ行くとき、弁護士とミーティングをするとき、
パスポートの写真を撮るとき、どこかの会社の応接室に通されたとき、
テーラード・ジャケットは役に立つのです。
それは意味を相手に伝えます。
その意味とは、私はあなた(たち)と会うためにちゃんとしたスタイルで来ましたよ、ということです。

テーラード・ジャケットは、日本社会に広く浸透した、社会的服装の1つのコードです。
それさえ着ていれば、どこへでも行ける、きちんとしていると認められる、
便利な通行証です。

あれこれ自分を説明する必要も、
相手を説得する必要もなく、
無言で通してもらえる、
許可証のようなジャケット。
そんなジャケットを1枚持っているのは、悪いことではありません。
買うときは、できればスーツで、
クオリティのいいものを、
そして長く着られる、流行にあまり左右されないような、トラッド寄りのデザインで。
日本で生活している限り、それは役に立ちます。
皆がそれを信じている限り、それはずっと続きます。
その意味が変わるときとは、社会自体が変わってしまうときでしょう。
そのときが来るまで、テーラード・ジャケットは、日本社会において、1つの意味のある言葉です。