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2011年10月31日月曜日

山頂には何分いるの?あるいはパーティーは何回あるの?

1年を振り返るにはまだ早いですが、
それでも、ちょっと振り返ってみてください。
1年の間で、どんなシチュエーションが一番長く、そしてそのとき、どんな服装だったでしょうか。
(この場合、パジャマはちょっと脇に置きましょう。もちろん重要ですが)

私たちは、小さいころから、何かの目的達成のためにそのほかのことを犠牲にするのがよいことだと言い聞かされて育てられました。
受験に受かるため。
ピアノの発表会のため。
夢を実現するために。
ダイエットに成功するため。
結婚式のため。
そして、いつも、その目的が達成された、そのときのために用意します。
受験に受かって、入学式に着るための服。
ピアノの発表会のための服。
夢が実現したら買う服。
ダイエットに成功したら、着る服。
結婚式の日のウェディングドレス。
確かにそれは大事です。人生の中の大切な1ページです。
けれども、それらは、どれぐらいの時間なのでしょうか。

例えば、山頂を目指して山登りします。
私たちの人生も、いつでも何かを目指して登っているようです。
結婚式が終了しても、次は一戸建ての家を建てるという、次なる山頂があらわれます。
けれども、その目指した山頂には、一体何分いるのでしょうか?
山を登る、そして下る時間より、はるかに短い時間しか、山頂にはいないのでしょうか。

この季節になると、よくパーティーのための服が売り出されますが、
年に何回パーティーに出席するか数えてみてください。
パーティーは、あなたにとって、日常でしょうか。

もちろんパーティーが日常の特殊な人もいるでしょうが、ほとんどの人にとって、パーティーでない時間のほうがずっと長いはずです。
山頂にだって、そんなに長い時間、いることはありません。

それなのに、ついつい私たちは、その山頂のための服を用意し、
しかもそれを第一に考えて、お金をかけてしまいます。
それに比べたら、その他のずっと長い時間の日常のための服に、特別力を入れません。

けれども、何気ない、そしてずっと続く日常こそが、私たちの人生を作っています。
それをいい加減に扱ったら、人生を雑に扱うことと同じです。
毎日、きちんとした食事をとることが、あなたの健康を維持するように、
毎日、大切に考えられた服を着ることが、あなたの心の健康と、そして満足度を維持します。
それをおざなりにしてしまったら、人生の質が低下するのです。

自分が一番長くいる時間のための服を一番にすることは、つまり、自分を大切にすることであり、自分をケアすることです。
これはあなた以外の人にはできません。

あなたの体は、あなたしか面倒を見ることができません。
あなただけが一生付き合う体です。
その体を守る服を、もっと大切に考えましょう。

日常に着る服を、あなたが粗雑に考えれば、あなたの心と体も粗雑にそれにたえます。
どこへも連れていってはくれません。
あなたの心と体の声を聞けるのは、あなただけです。
心と体を守るために、洋服にもできることがあるのではないかと思います。
その心と体を守り続ける日常の服を、第一に考えてあげましょう。
そうすれば、体は深く安心し、それを根拠として、心に羽が生えるでしょう。
それは、「がんばれ」と自分で自分に言い聞かせることで産み出される力より、
もっと強くしなやかな力で、あなたを遠くまで連れていってくれるでしょう。

2011年10月24日月曜日

リバーシブルって、どうなんでしょう

リバーシブル仕立てというものがあります。
表でも、裏でも着られるよという、一見、何だかに度お得な感じがする仕立てです。
皆さんも、このお得感にひかれて買ってみたことがあるのではないでしょうか。
なんせ、1枚で2枚分楽しめるのですから、こんないいことはありませんね。
ではなぜ世の中の服がリバーシブルだらけにはならないのでしょう。
リバーシブルにすることで、何か重大な欠点が生まれないのでしょうか。

どの洋服も立体的に作られています。
たとえば、冬物のジャケット、コート、スカートの場合、表地に裏地がついています。
この場合、考えれば当たり前のことなのですが、表地のほうが体の外回りにくるわけで、
つまり、その分だけ生地が大きくなっています。
一方、裏地は、より体に近いため、表地よりは生地を若干ですが、小さくします。
表と裏でできている服の場合、表裏、生地は同形ではありません。

また、服には襟がついています。
襟も、表側と裏側がありますね。見えるほうが表、見えないほうが裏です。
ジャケットはもちろんですが、ワイシャツさえも、襟の表と裏では、表の方が数ミリ大きくできています。そして、裏側を表から見えないように作ります。
(これを、洋裁用語では、ひかえる、と言います)

また服には、特に襟の部分など、芯がはってありますが、これも表襟と裏襟では、芯を変えます。そして、あくまで着た時に、襟がひっくりかえらないように、きちんと体に沿うように成形します。
こうして、服は立体的に作られていきます。
裏地は、単なる表地の生地違いではないのです。
またジャケットなどは、縫っていく工程の中で、より立体的になるよう、裏と表を操作して、さまざまな工夫をします。そうして初めて、体に沿った形になっていきます。

リバーシブル仕立ての場合、この表地と裏地の差を無視することになります。
両面で着られるようにするために、両面とも表地扱いです。
また、立体的に作る工程も飛ばします。

例えば、リバーシブルのジャケットを着た場合、袖口や襟から、下側の布が見えるでしょう。
「ひかえる」という工程が入っていないため、当然のことながら、見えてしまうのです。
また、襟はきちんと返るよう、見ごろは体にそうような成形はしてませんから、襟も返りませんし、体にぴったり沿う感じもなくなります。

このように、一見、お得に思えるリバーシブルですが、実は洋服の重要なかなりの部分の要素を備えていない仕立てなのです。

では、どんなものだったら、リバーシブルに向いているでしょうか。
まず第一に、ただの平らなもの。例えば、両面違う柄のマフラー。
これは何の問題もありません。立体ではありませんから。
次に、平面に近い形になる、巻きスカート。
これも、ダメージは少ないほうだと思います。
その次は、襟やそでのないベスト。
身ごろだけなので、かろうじて許されるのではないかと思いますが、それでも裾や袖口の裏側の部分は見えてしまいます。
あと、袖があるものとしては、完全な1枚仕立てのもの。つまり、裏のないものです。
Tシャツを裏返して着ても、縫いしろを除けば、シルエットに問題がないのと同じです。

それ以外のリバーシブルのものに、美しいシルエットは望めません。
リバーシブルの帽子でさえも、リバーシブルにするために、頭回りに入れるテープを除いてあることが多いです。もうそれだけで、頭へのおさまりは悪くなります。

もしリバーシブルのものを買う場合は、これらのことを考慮しましょう。
二兎追うものは一兎をも得ずのことわざのように、
2倍得しようと思ったのに、結局、ほとんど着なかったでは、
余りにもったいないですから。

2011年10月17日月曜日

後ろ姿にご用心

ファッションレッスンにおいて、私はよく、他人はあまりどんなボトムをはいているか、さほど注意深くは見ていない、だから、ワードローブ数では、ボトムはトップスの数より少なくて大丈夫、と説明しています。
しかし、まったく見てないわけではありません。
確かに見ています。見ているのですが、それはデザインを見ているわけではないのです。
ものすごく印象的な柄のスカートや、尋常でない丈のスカート、またはあり得ないまた上の長さのパンツなど、あまり見たことがないようなデザインのボトムの場合は別ですが、そうでない場合、一般の女性は、デザインに目はいきません。
もちろんデザインやファッションに興味のある方、もしくはそれが仕事の方はデザインをチェックします。けれども、普通の女性が興味を持つのは、デザインではないのです。
では、何を見ているかというと、
まず、第一に、下着のラインが出ていないかどうか、
それから、スカートから下着が見えそうか、見えそうでないか、
スリップが出ているか、出ていないか、
タイトスカートのヒップラインがきつきつなのか、ゆるゆるなのか、
ウエストとの上のお肉が段になって乗っているか、乗っていないか、
ファスナーがちゃんとしまっているか、
スリットから見えるストッキングが伝線しているか、していないか、
お尻の肉がたるんでいるか、たるんでいないか、
などなどです。

そして、それらの点を発見すると、すぐに頭の中で分析を始めます。
どうして、こんなに下着の線が出てるの?
だいたい、そのパンツ、サイズが間違ってるんじゃないかしら?
ファスナーがちゃんとしまらないってことは、太りすぎね。
そのタイトスカートはこの人に無理だと思うわ。
そんなにスカートの下からパンツが見えるのが気になるなら、そんな短いスカート、はかなきゃいいのに。
スリットの縫いどまりが、切れちゃってるのに、何で気がつかないの?
この人、3人ぐらいの子持ちかなあ。
こんなミニスカートはくなんて、せいぜい20代までよね、でもこの人、どう見たって40過ぎてない?
どうしてガードルはかないの!
などなど、要らぬ妄想で頭の中がいっぱいになります。
この妄想は見知らぬ人を見た場合も、自動的に始まってしまいます。
知っている人だったら、気になって気になって仕方ありません。
言うべきか、言わないほうがいいのか、余計な悩みも生まれます。

これはなぜなのか、私にもわかりません。
生存競争に勝つためのライバル心を刺激されるためなのか、
それとも、単に好奇心のせいなのか、定かではありません。
しかし、どういうわけか、そこにスイッチが入ってしまうと、とまらなくなるようです。
そして、デザインなど、どうでもよくなってしまいます。
それよりも、そのヒップと服の関係のほうが気になって仕方ないのです。

この視点は、男性の視点とは異なります。
同じ女性を見ても、男性と女性とでは、持つ感想は違うのです。

自分が関心を持って見てしまうということは、自分も同じように見られているということです。
大いに自分の後ろ姿に注意しなくてはなりません。

もちろん、他人に見てもらっても構いません。
だけれども、旦那様はあてになりません。
彼らの、「うん、大丈夫、大丈夫、早く出ようよ」なんて言葉は、
この世で一番信頼できません。
上にも書いたように、男性の視点は違うところへ誘われてしまうからです。
お母さんやお姉さん、妹さんでも構いません。
彼女たちも、かなり厳しく言ってくれるでしょう。

しかし、だれよりも厳しいのは自分自身です。
あなたが、誰かほかの女性の後ろ姿をチェックするときの視線でもって、
自分の後ろ姿をチェックするのが一番いいのです。
どれだけ、自分の後ろ姿を客観視できるかの問題です。

どこかへお出かけするときは、ぜひ自分の後ろ姿を鏡でチェックしてください。
この世で一番厳しいあなたが、一番厳しく自分をチェックできたら、
安心してお出かけできます。
そうやって、家を出たら、今度はほとんどの女性がこう思うでしょう。
「あの人、後ろ姿完璧ね、どうしたらああなるのかしら?教えてほしいわ」と。
それは辛辣な批判ではなく、羨望のまなざしに変わります。

2011年10月10日月曜日

「どうしてこんなに服ばっかり買っちゃうんだろう、私」という疑問

秋冬のシーズンがスタートしました。
夏物は、もうしまうか、もしくはクローゼットのメインステージからは退場したと思います。
そんなとき、クローゼットの前に立って、
「どうしてこんなに服ばっかり、買っちゃうんだろう、私。」と、つぶやいてみたことはありませんか。
これには理由があります。
洋服は、感覚の欲望を刺激します。
一番は視覚、次に触覚、まれに嗅覚という方もいるでしょう。(このウールのにおい最高、みたいな)。
感覚の欲望には制限がありません。なぜなら、それはいつも過去に依拠するからです。

わかりやすい例として、ケーキを挙げましょう。これは味覚の欲望です。
最初はコンビニの新発売のケーキをおいしいと感じます。それはうそではありません。そのときは本当です。しかし、次に町のちょっと気取った洋菓子店へ行って、同じ種類のケーキを見つけて食べてみます。そうすると、こちらのほうがおいしいのです。コンビニで再び同じケーキを買うと、もうおいしくありません。今度は、青山や銀座の有名なパティシエのいる洋菓子店で、やはり同じ種類のケーキを買って食べてみると、こっちのほうが前に食べた、町の小さな洋菓子店のケーキよりさらにおいしいく感じます。もはや、町の洋菓子店のケーキなど、何の感動もなく、コンビニのケーキなどは、なぜこれをおいしいと思ったのか、理解することさえできません。
このように、感覚は過去をいつも記憶してしまいます。新しいものに出会うたび、リフレッシュすることはないのです。過去を記憶しているので、もっとおいしく、もっとさわり心地がよく、もっと刺激的に、もっと気持ちがよくと、だんだんにエスカレートしていき、終わるところはありません。
このような感覚的な快楽にはまると、人間は堕落します。
これは私のオリジナルの考えではありません。仏教も、インド哲学も、同じことを言っています。とどまるところを知らぬ欲望は、身を滅ぼします。

洋服もそれと同じ性質を持っています。
洋服の場合は、特に視覚が新しさを欲しがります。前と違うもの、もっと違うもの、もっと新しいものと、とどまることを知りません。
触覚の快楽を追及すると、もっとさわり心地がいいもの、もっと官能的な心地のものを求めていくでしょう。
どちらも上限はありません。

たとえば、食べ物の場合でしたら、そんなに際限なく食べていたら、そのうち病気になるでしょう。そこで人は、はっと気がついて、食事を制限します。その結果、健康がもたらされます。
洋服の場合、やっかいなのは、どんどんふやしていっても、健康を害することにはならないのです。そればかりでなく、最近のファーストファッションの流行により、洋服が安価で手に入るようになりました。ですから、安いものをたくさん買ったとしても、それで破産するということもありません。また、消費社会はたくさん買うこと、どんどん買い換えること、たくさん持っていることをよしとします。つまり、欲望の快楽を追及することは非難されるどころか、推奨されているのです。
しかし、どんどん服をふやしていったところで、心が満たされることがないことは、皆さんもうすうすお気づきでしょう。これはどうしてなのでしょうか。

実は、新しいものが欲しいという感覚の欲望によって、思いつきで衝動買いしたもの、特にそうやって買ってしまった安い服には、パワーがないのです。
そのときはいいと思った、目新しかった、しかも安く簡単に手に入った、一瞬は満足だった、すごい快楽を覚えた、けれども、その満足感も輝きも、そしてときめきも持続はしません。
感覚の欲望の、もう一つの特徴は、すぐに飽きるということです。
思いつきで簡単に安く手に入ったものは、それと同じ速さで飽きます。
そして、気がつくと、それはあなたのパワーを奪います。
見るたびに目ざわりです。処分の仕方に困ります。でも、何だかもう嫌になってしまって、着る気は起りません。それがそこにあるだけで、あるいはそれを見るたびに、あなたは憂鬱になり、後悔し始めます。どうして、私、こんなものを買ってしまったんだろう、と。

そんなパワーを奪う服は、あなたを助けてはくれません。
あなたを輝かせてもくれません。素敵に見せてもくれません。
そんな服ばかりふやしてしまったら、変な話ですが、明らかにあなたの運気は下がります。
人生の流れは止まります。
服があなたの足を引っ張るのですから、当たり前です。

クローゼットの前で、「どうしてこんなに服ばっかり買っちゃうんだろう、私」とつぶやいてみたならば、もう一度、自分にとって何が必要か、自分はどうなりたいか、そして服とはどういう関係でいたいか考えてみましょう。

簡単に選んだものでない、少しずつ近づいて、やっと手に入れた服こそが、あなたに必要なのです。
そうやって手に入れた服は、あなたを称賛し、助けてくれるでしょう。
最近、何だかついていないなと思ったら、自分が感覚の快楽にはまっていないかどうか、点検してみてください。
もし、危ないなと思ったら、早いところ、そんな服とはお別れしましょう。
遅かれ早かれ別れることになる服です。
そしてもう一度、あなたのことを助けてくれる服を着ましょう。
それは、まるで永遠のパートナーのように、あなたにパワーを与え続けるでしょう。

2011年10月3日月曜日

ぽっちゃりさんのためのファッション:実践編



さて、今日は実践編です。
前回、ラファエル前派の画家であるロセッティの絵にヒントがあるということで終わりました。
ラファエル前派とは、19世紀のイギリス、ヴィクトリア朝時代の画家の一派です。結成されたのは1848年。くしくも、前回、海王星が魚座入りしたのと同じ年です。
前にも書きましたが、心理占星術家のリズ・グリーンは、ファッションと海王星は関連があると言っています。海王星が星座を移動するごとに、ファッションの流れが変わるのです。
占星術を信じても、信じなくても、流行が海王星の星座移動と時期を同じくしているというのは、調べてみれば明らかなことで、これは納得せざるを得ません。
ラファエル前派は、ルネッサンスの画家、ラファエロより前の初期ルネッサンス、または中世の時代のテーマを絵画の題材とします。神話的要素が強く、女神は特によく出てくるモチーフです。ロンドンのテイトギャラリーに行けば、ラファエル前派だけを展示した一室があります。

イギリスで産業革命が起こったのは1760年代。1830年代には、もう鉄道も開通しています。効率化をよしとする時代の芽は、まさにここで発芽します。膨らんでいたスカートは小さくなり、上半身は体にぴったりしたものになるなど、女性の衣服が、それまでと比べてだんだんタイトになってきたのはこの時期です。なぜなら、機械や鉄道とボリュームの大きなスカートは、相いれないからです。

どんな時代も、時代の気分の変化をいち早くキャッチするのは芸術家たちです。
ラファエル前派の画家たちが描いた、たくさんの女神たちは、たっぷりしたドレープの、ゆるやかなドレスを身につけています。このスタイルは、当時の実際の女性のスタイルにも影響を与えたはずです。
のどかな田園にいきなり鉄道が走りだし、さまざまな機械を人間が扱うようになったストレスと疲弊は、今と同じレベルではなかったかと思います。
女性のファッションも味気ない方向に向かっていったことでしょう。しかし、それが限界点に達したとき、それとは逆の流れが出てきたのです。
この状況は、現在の状況と非常によく似ています。

ぽっちゃりしている、ふくよかであるということは、何かを産み出すということのシンボルです。細く、やせたところからは、何も生まれないのです。
みな同じ均一化された制服のようなスタイル、そして無駄すべてをはぎ落したスタイルが、何かを産み出す、クリエイティブなスタイルのシンボルとはなり得ないのです。
2012年、海王星の完全な魚座入りを境に、新しいスタイルを提案するブランドが数多く出現するでしょう。
しかし、もちろんすべてがそれ一色になるということはありません。
今まで余りにも選択肢がなかった、その選択肢が増えるということです。

ぽっちゃり、ふくよかな方々は、スキニ―スタイルをよしとする、ファッション雑誌を捨ててしまいましょう。
そして、自分の最も好きな女神スタイルを発見しましょう。
他人と比較してはいけません。
あこがれるのは、女神にしましょう。
女神だったら、どんなスタイルが素敵なのか、それをいろいろ想像しましょう。
間違っても、ポロシャツにスキニ―ジーンズではないはずです。そんな女神、何だか貧乏そうでしょう?
ふくよかであることは、豊かさ、クリエイティブ、優しさの象徴です。
それを表現するような、衣服を選びましょう。
(もちろん、実際、優しくなければだめですよ)。

最後に、私が、日本で購入できる、女神スタイルを取り入れているなと思うブランドのサイトをご紹介しておきます。どれも、ドレープを多用したスタイルが特徴です。(モデルはやせてますが・・・)

http://www.mikimialy.com/
http://sararoka.com/index.html

http://www.tsunoda-paris.com/

もちろん、このブランドを買わなければいけないということではありません。
スタイルやデザインを参考にしてくださいねということです。

日本の女神たちが、このやせ細った日本を豊かにするであろう時代は、すぐそばまできています。