ページ

2010年12月24日金曜日

リメイク



 今回はリメイクについてですが、1度形になってしまったものを、また別の違う形に変えるということは、ただの平らな四角い生地から新しいものを作りあげるより、ずっと難しいことです。
私自身、服飾専門学校出身でありながら、ミシン縫いはとても苦手。
学生時代から下手でしたし、卒業してからも、凝ったものは作れません。
だけれども、どうしても、手放すのは忍びないという洋服もあります。
そこで、リメイクという手法が出てくるわけですが、私のおすすめはクッションカバーに変身させることです。
外国の雑誌などでは、大小さまざまな形のクッションがソファに置かれている写真がよく出てきます。
日本のおたくは、どちらかというと、同じ形や色のものを並べるおうちが多いようですが、
全体の雰囲気が統一さえできれば、素材、色、形など、さまざまなものが置かれているほうが、おしゃれ感が出ます。
また、形も四角形で直線縫いだけですし、後ろで重ね部分を多くすれば、ファスナーも必要ありません。
生地の大きさが足りなければ、パッチワークして大きくすることもできます。

上の写真は、95年ごろ、ロンドンのリバティで買ったベスト。リバティのオリジナルです。
よく見ると、ボタンが太陽の形で、素敵(すぎ)です。
生地もしっかりしていますし、型崩れもしていませんが、今着るという感じではありません。
ですので、小さな枕型のクッションにリメイクしました。
そのとき、しっかり、リバティのタグもとって、縫い付けました。
こうすれば、毎日、この生地と接することができます。
それは、タンスで眠っているより、ずっといいことではないかなと、思います。

2010年12月19日日曜日

グラマラスとか、セクシーとか

グラマラスとセクシーは、日本において、評価が低い、または無視されている分野だと、
ヨーロッパを旅行するたびに感じます。
ある特定の分野、たとえばグラビアなどでは、グラマラスとセクシーはもてはやされますが、
ごく一般の人々の服装については、ほとんど認められていないのではないかと思います。
ファッション誌などを見ても、ごく一般の人が見る雑誌では、セクシーより、
「かわいい」ファッションを数多く載せていますし、と同時に、ほとんどセクシーさを感じさせないような服やコーディネイトが多いです。
ここで言うセクシーは、決して露出部分が多いということを言っているわけではありません。
たとえば、着物における「うなじ」や、裾から見える襦袢の色なども、過度な露出こそはしてなくても、非常にセクシーです。
これはなぜなのかなと毎回考えるのですが、まだはっきりした答えは見つかっていません。
もちろん、セクシー過ぎるというのは危険です。
しかし、そこまでいかなくても、あのヨーロッパの街で感じる、女の人のセクシーさが、日本では受け入れられないのはなぜなのか。
1つは、やはり社会が、そういう女性像を一般の女性に望まないからなのでしょう。
セクシーであってはならないわけではないですが、セクシーであることは、あまり評価されないのです。
特に、既婚の女性は。
また、グラマラスなモデルは、グラビアには登場しても、ファッション雑誌では、見ることはあまりありません。みなスキニーです。
別に、だからヨーロッパに追いつかないといけないと言いたいわけではないのです。
問題なのは、日本には、グラマラスな体型の持ち主の方が、自分の体型を謳歌するような服がないということなんです。
やせている人たちのための服は、たくさんあります。
だけれども、日本製で、太っているのではなく、グラマラスな方たちのための服は、ほとんどありません。
社会が求めてないのだから作らないのだと言えばそれまでですが、
グラマラスな体型の人が、ダイエットでやせる、またはビッグシルエットで体型を隠すのでなしに、
自分の体型に誇りを持って、堂々といられるような、そんな服が日本にもあっていいのではないかと思います。
そして、そのためには、私たちがもっと、セクシーさや、グラマラスなことに対して、
心を開いて認めることが必要になるでしょう。
セクシーさをなかなか認められないということは、結局のところ、自分自身の問題なのですから。

2010年12月18日土曜日

日本のパターンについて その2

さて、パターンについていろいろ書いてきましたが、今日で最後です。

前回、日本人の立体感覚について書きました。
いきなり、西洋的な立体感覚を身につけるなど、無理な話だと。
では、と思いますね。
では、学べばいいではないかと。
そのとおりです。明治時代より、西洋画家を目指す若者はパリへ留学しました。
しかも国費で。
わからないなら、学べばいい、そして自分のものにすればいい。
これはまさにそのとおりです。
ではでは、現状はどうでしょうか。
残念な話ですが、日本におけるパターンナー(パターンを作る人です)の地位は、非常に低いです。
私が過去にいた、某一部上場アパレル企業においては、デザイナーこそ、パリへ視察などと称して、行ってましたが、パターンナーは、パリなどもってのほか、就業時間内に、街へ市場調査に行くことさえ許されてませんでした。
そればかりであらず、会社に置いてあるファッション雑誌を見ることさえも!
おまけに労働時間は長いですから、信じられないほど情報にうといです。
え、こんな服着てる人が作ってるの?と思うほど、妙な格好をしている人が会社に長く残っています。
残業しても残業代など出ませんから、着ている服は自分の会社で作った服。
当時はまだインターネットなど、整備されていませんでしたから、雑誌もだめ、外に行ってもだめとなると、こうなるしかありません。しかも、土曜日も休みでなし。日曜日は家で寝てるだけです。
当然のことながら、みんな30歳になる前にはどんどん会社を辞めていきます。
だって、こんな状態では、だれとも結婚できませんから!
まあ、これは大手の企業の話。
では、パリコレに出るレベルだったらどうでしょうか?
私は、ほんの一時期、この間、倒産してしまった某パリコレ参加デザイナーの下でチーフパタンナーとして働いていた人の代官山のオフィスでアルバイトしていたことがあります。
あら、素敵じゃないって、思いますよね。
まあ、確かに代官山のはずれですが、場所はふるーいアパートの一室。
その中に3人のパタンナーと2人のアルバイトがいて、場所がないものだから、アルバイトは部屋を出た外の廊下で仕事をさせられたりもしました。
しかも時期は12月。土曜日も休みではありません。
昼はもちろん、コンビニで買ってきたおにぎりです。
そこで働いているみなさんは、物質的にも、精神的にも貧しい暮らしをしていました。
絵や映画を見に行くとか、音楽を聴きに行くとか、読書とか、そういうものが彼女たちにはないのです。
1か月そこでバイトをしてみて、いただいた給料の額に、私はひっくり返りそうになりました。
たぶんマクドナルドでバイトしたほうが、数倍よい額でしょう。
代官山周辺のワンルームの家賃にさえならない金額です。
このときわかりました。
デザイナーブランドというシステムは、デザイナーにだけお金が集まるシステムなんだなと。
そのデザイナーの下で働いて20年たっても、こんなものなのだなと。
バイト代の安さもさることながら、社員旅行でハワイに行くからバイト代から旅行代を天引きすると、無理やり強要されたので、私は1カ月でそこをやめました。
なぜ、パリやロンドン、ニューヨークやミラノではなくてハワイ?
こんな感じですから、自分で学ぶ余裕もありません。

でもこれは、過去の話ですね。
今はもっとよくなってるかもしれないって、思いますよね。
最近、まだパターンナーとして働いている友達に現状はどうか聞いたところ、
今は企業内からパターンナーがどんどんいなくなっていて、全部下請に発注するそうです。
友達も独立して1人でやっています。
こう聞くと聞こえはいいですが、みんな1人でやってるので、だれかに教わるということは、もうないのです。
同時に、だれかに教えてあげるということもありません。
だれにも教わらない、だれにも教えない、こんな状況で、いいパターンができるわけ、ありません。

いつも言いますが、もちろんこれがすべてではありません。
いいところも、あるのでしょう。

もし、これを読んでいる方で、パターンで体型をカバーしたいわという方がいらっしゃったら、
迷わずインポートを選んでください。
日本の服の中から、そういうものを選ぶということは、砂の中から金を探すのと同等に、
いえ、それ以上に難しいことです。

2010年12月14日火曜日

おしゃれな人



本当はきのうアップしたかったのですが、歯と胃の痛みとで、ちょっと無理でした。はあ~。

久々のおしゃれな人は、着ものという分野においておしゃれなお方の幸田文様。
皆様お気づきだとは思うのですが、私はお年を召した方のほうが好き。
で、幸田文様なのですが、作家の幸田露伴の次女として東京向島に生まれた、江戸っ子です。
もうずいぶん前に読んだので、どこに書いてあったのか忘れてしまったのですが、
とある随筆の中に「始末する」ということについて書いてありました。
それはどういうことかというと、着物というものは、はじめ着るものとして生まれてくるけれども、いたんできたら、それを今で言うところのリメイクをして、(たとえば猫ちゃんのためのおざぶとんとか)、最終的に小さな布になって、雑巾として使うまで、使いきるということ、そのことを「始末する」と言うのだそうです。
 その文章を読んだ当時は、ふーん、そんな考え方もあるのだなぐらいにしか思わなかったのですが、
こういう考えこそ、今日本人が忘れてしまった考え方であり、今後再び思い出さなければならないものなのではないかと思います。
 私も、すべてにおいて、それは無理だとしても、できる範囲で「始末」していきたいなと思っています。

2010年12月10日金曜日

ジュエリー


Dさんより、ジュエリーについて書いてくださいというリクエストをいただきました。
Dさん、ありがとうございます。

さて、私がジュエリーについて提案したいことは、3つです。
・ユニーク、つまり1つしかないものを探しましょう。
・普段から身につけましょう。
・そのジュエリーを誰がどういう気持ちで作ったか、使われている宝石は、どうやってやってきたか、そこまで想像してみましょう。

 ベーシックを基本とするコーディネートをしていると、やはり小物の存在が大きくなります。
 別にジュエリーでなくてもよいのですが、小物の選択にオリジナル性を出すと、よりその人の個性が際立ってきます。ジュエリーもそのために利用できる、最適なアイテムと言えます。
 そのジュエリーを選択するときには、より自分らしさを表現するために、誰が見ても、あ、あそこで売ってる、あのジュエリーねとわかってしまうようなものでなく、この世に1つしかないような、かつ自分にふさわしいものを探してほしいのです。それは、アンティークかもしれません。あるいはまた、おばあさまから受け継がれてきた指輪かもしれません。そして、作家がひとつひとつ丁寧に心をこめてつくった一点モノかもしれません。とにかく、根気よく探していけば、必ず出会うはずです。
 特に、狙い目はまだ若い作家たちの作品です。
 上の写真は、うちのすぐ近くのギャラリーで行われた、uiさんというジュエリー作家の展覧会です。
 もちろんすべてオリジナルで一点モノ。また若い作家さんの場合、値段も4000円ぐらいからと、非常に安いです。シルバーにスワロスキーがついた指輪で1万2000円ほどでした。
 私も、ずっとものづくりにかかわってきたのでわかるのですが、デザインを考えて、完成品にするまで、1日では決して終わりません。若い作家たちは、自分たちがかけてきた時間を、本当に安い価格で提供しています。そんな作家の方々を応援する意味でも、ぜひお近くのショップやギャラリーで、このような展覧会があったら、チェックして、買っていただきたいなと思います。それは有名ブランド品を買うより、ずっと意味のあることです。
 
 次の点ですが、みなさんも、死蔵している、たとえばダイヤモンドの指輪やネックレスがあるのではないかと思います。どうせ、持っているのだったら、普段からどんどん身につけてしまいましょうというのが私の提案です。
 住んでいる地域にもよると思いますが、やはり日本では、よほど特殊な職業の方か、もしくは都会に住んでいる方以外、そんなにパーティーや、それにふさわしいシチュエーションというのはなかなかないと思うのです。そうすると、パーティーのときだけとか、結婚式に出席するときなどと、決めていると、ほとんどの時間、そのジュエリーは宝石箱に寝ているだけです。
 やはりそれではもったいない。だれかのためではなく、自分の気分を盛り上げるために、身につけてしまいましょう。それで、近所へお買いものに行ってもいいと思いますし、もしそれが恋人や、旦那様からのプレゼントされたジュエリーだとしたら、贈ったほうも喜んでくれると思います。

 そして、最後に、そのジュエリーはだれが制作したか、そしてその石はどうやってあなたの手元まで運ばれてきたか、思いをはせてみましょう。
 イギリスの中世のアーサー王の物語をご存じでしょうか。
 この物語で、少年のアーサーは、石から剣を取り出したことにより、王だと認められます。
 これは、石、つまり地中から、剣、当時では鉄や金を取り出したものこそが王という権力者だと認められたということを物語っています。
 中世の昔から、地中から貴金属や貴石を採掘するという行為は、常に権力と絡んでいました。
 現在でも、アフリカのダイヤモンドや、コロンビアのエメラルドなど、高価な石は、不当な扱いを受ける労働者と、それを搾取する権力などと、切っても切り離せない関係です。
 高価な石ではなくても、クリスタルであってもしかりです。
 地球の石は有限です。その石が、あなたまで届けられたという奇跡を胸に、このクリスマス前に、宝石箱から、そっとジュエリーを取り出しましょう。
 今のあなたにできることは、そのジュエリーがあなたのもとまでやってきた長い旅を想像してみてみること、大切にそのジュエリーを扱うこと、そして身につけることなのだと思います。

2010年12月7日火曜日

日本のパターンについて

パターンの話の続きです。

はっきり言って、日本の洋服のパターンは、西洋に追いついていません。
でも、それも無理のないことなんです。
歴史を振り返ってみましょう。
日本に洋服が入ってきたのは、明治時代でしょう。
鹿鳴館で、日本人が無理してドレスを着ていた時代、あれが最初なんです。
明治時代は1968年ですから、140年ぐらい前でしょうか。
けれども、実際に庶民が一般的に洋服を着るようになったのは、もっとずっと後です。
小津安二郎の映画なんかを見ても、年配の方はまだまだ着もの姿です。
それで、やっと第二次世界大戦後です。
まだ、60年ぐらいしかたっていません。
それまでずっと長い間、日本人は着ものを着ていました。
着ものは、凹凸がないので、たたむとフラットになります。
まるで折り紙のようです。
日本人の美意識というのは、このフラットな面に、どういう色合いをのせるかということに重点を置いていたのです。
はじめから、立体的な造形など、ないのです。
ずっとずっと、このフラットなものに何色の帯をのせるか、柄はどうするか、そればかり考えてきたのです。
そこへいきなり洋服がやってきました。
今度は、立体的でなければいけません。
しかし、その立体感覚は、なかなかつかむことができません。
毎日、ミケランジェロばりの彫像を見ている人たちと同じ立体感覚など、100年ばかりでは身に着くものではないんです。
80年代の半ばから90年にかけて、一躍、日本人デザイナーが世界に躍り出ました。
今、そのころの日本人デザイナーの服を客観的に見てみるとわかりますが、
やはり折り紙の延長です。
パターンは限りなく、フラットに近く、肉体の上に四角い布がかぶさる造形が基本です。
ビッグシルエットの流行とあいまって、世界的に通用するようになったのだと思います。
その証拠に、洋服のシルエットがずっとタイトになるにつれて、
昔ほど、日本人デザイナーの服は、もてはやされなくなりました。
その理由は、やはり日本のパターン力の弱さにあるのだと思います。

パターンについてはまだ続きます。

2010年12月4日土曜日

スローファッション

最近、辻信一先生の、スローライフに関する本を多く読んでいます。
そこで提唱されているのは、お金では換算できない幸せということ。
大量消費して、まだ着られるのに捨てなければならない、あの何とも言えない申し訳ない感じ。
めまぐるしく追ってくる流行は、私たちを決して幸せにはしないでしょう。
本当に、心も満たされて、幸せになるおしゃれというのは、お金という価値観から超えたものの中にしか、見出せないのかもしれません。
ヨーロッパの服飾博物館で見られる、丁寧に刺繍されて、きっと大事にされたであろうドレス。
何年たっても、見る人に、素敵だなと思わせる、あのドレスを着る感覚、
それを取り戻すためには、私たちも、もっとスローにならなければいけないのだと思います。
おしゃれをすることによって、心が貧しくなるのではなく、豊かに、幸せになる。
そのためには、大量に流されてくる情報をうのみにするのではなく、
少し知恵をつけて、自分にふさわしい選択をひとつひとつ行っていくことが必要でしょう。
多分、もう少しで大量消費の時代は終わります。
どこでどういう人が、どういう気持ちで作った服なのか、
作っている人は幸せなのか、
売っている人は、本当にお勧めしているのか、
そして、買った私たちも、本当にそれを着れば幸せになるのか、
それを見分ける目を養うことが、結局は、幸せなおしゃれへの近道ではないかと思います。

2010年12月1日水曜日

立体裁断とは何か

たとえば、補正下着の説明で、誇らしげに「立体裁断です」などと書いてあります。
立体裁断についてよく知らない場合、何だかそれが、たいそうすばらしいことのように感じられます。
では、立体裁断とはどういうものなのでしょうか。
立体裁断と対になる言葉として、平面裁断というものがあります。
これは言葉どおり、平面上で裁断、つまり、建築の地図のように、洋服のパターンを机に置いた紙で作成し、それをトワルといって、シーチングという生なり色の生地に写し、1度組み立ててみて修正していくやり方です。
裁断というのは、カットということで、パターンのことをカッティングなどと表現することもあります。
立体とは、そのカットを、紙の上ではなく、ボディ(洋裁で使う人体模型)の上に直接シーチングをのせて作っていく方法です。
平面裁断の場合は、原型という人の体のプロトタイプの型を使い、その原型の上にゆるみなどを計算してのせていきながら形を作りますが、立体裁断の場合は、計算はせず、パターンを作る人の感覚で、これぐらいでどうだろうかと決めながら造形していきます。

こうやって書くと、いかにも、立体裁断のほうが人体にフィットしていそうだと感じるかもしれませんが、日本の企業のやり方は、1度立体裁断で作ったパターンを、必ず平面で修正していきますので、感覚だけでパターンができるというわけではありません。
また同様に、平面裁断の場合も、組み立ててみたものを、やはりボディの上で修正していきますので、最終的には、その両者とも、さほど変わりがないものになります。

日本の既製服の多くは、細かいサイズ設定がなされていて、たとえばバストのゆるみは何センチ以上、アームホールの大きさは何センチなどと決められています。ですので、自由に立体裁断でパターンを作ったとしても、最終的には、そのプロトタイプに合うように、修正をかけられます。

ですから、立体裁断と書いてあるからいいパターンだとか、平面だからだめだとか、そんなことはないのです。実は、問題はもっと違うところにあるというのが、日本のパターンです。
 日本のパターンについては、次回に続きます。