ページ

2012年8月27日月曜日

季節感

おしゃれに見せる大事なポイントの1つに、「季節感を早めに取り入れる」という暗黙のルールがあります。
おしゃれと感じさせる人たちは、季節をいつも先取りして取り入れるのです。
その逆に、おしゃれにはあまり関心がないのだろうなという感じの人たちは、季節感がありません。
春なのに、いつまでも重いコートを着ていたり、秋なのに、トロピカルプリントのサンドレスを着ていたら、そのコートやドレスがいかに素敵なものであっても、おしゃれには見えないのです。

特に日本人は、四季を大切にします。
だから寒くても春の、暑くても秋の服装にかえることを好むのです。
多分、このルールは着ものの世界のほうがもっと厳しいでしょう。
季節ごとに花や柄が決まっていて、その季節とは違う時期にその柄を着ては、いけないのです。

そうはいっても、最近の長い夏や、遅めの春には、9月だからすぐ秋に、3月だからすぐ春にと、着るものを変えられないのが現状です。
9月1日が過ぎても、まだまだ残暑は厳しいですし、4月1日を過ぎても、ストーブをつけたい日はたくさんあります。
ちょっと昔は、それでも、早めに衣替えしてしまって、やせ我慢をして、気温にあわない服装をしていました。特におしゃれな人たちは、率先して、季節を先取りしていました。
けれども、さすがに最近は、それも無理なほどの気温の高さ、気温の低さです。
では、どうしましょうか。

今までの季節感というものは、主に素材で表現されてきました。
春夏はコットン、麻など涼しげな素材、秋冬はウールなど、暖かい素材。
つまり、衣替えとは、素材の変化でした。
素材の変化は、主に季節の気温の変化に対応するものです。
しかし、気温が変化しない今、素材を変更して季節感を表現するのは無理があります。

素材がだめなのですから、できるのははシルエットや形、または色ということになります。

まず、シルエットや形ですが、
春から冬にかけてだと、コートの形が変化します。4月を過ぎてもダッフルコートはおかしいです。
またロングコートというのも、春らしくありません。
トレンチコートやステンカラーのコート、そしてピーコートも素材違いなら、春向けになります。
それ以外のインナーやボトムスのシルエットは、冬と春では変わらないので、そのままでいいでしょう。

夏から秋にかけてですが、
ここでは若干のシルエットの変化があります。
夏にコートは着ないので、コートは問題ありませんが、半そでやノースリーブ、またはサンドレスや、リゾート向けのドレスは、やはり夏をイメージさせます。
(リトルブラックドレスやニットのツインセットの半そで、ノースリーブはこの限りではありません)
どこが線引きかわからない場合は、リゾートに似合いそうとか、海辺の町に似合いそうというものは、夏のシルエットということです。

最後に残ったのは色です。
一番簡単なのは、春なら春色を、秋なら秋色を取り入れることだと思います。
その場合、素材は前の季節のものをそのまま引きずっても構いません。
4月に入ってもまだ寒いのだったら、ウールでもかまいませんし、 9月に入っても、暑い日々が続くようだったら、コットン、麻でもいいのです。
特に最近の麻は、昔と違って通年着られる素材になってきましたので、気にすることはないでしょう。

春の場合は、ダークだった色合いが明るくなります。
秋の場合は、その逆に、明るい色合いがダークになります。
もちろん、全身すべて色合いを変えれば、一気に季節が変化したようで、すごくおしゃれに見えますが、なかなかそれは難しいので、まずは小物、アクセサリー、靴、鞄など、小さい面積から季節感のある色を取り入れていくといいでしょう。
たとえば、9月に入って、今までジーンズに白いTシャツをあわせていたのを、ダークな茶色や紫など、秋を思わせる色に変えるだけで、全体の雰囲気は変わります。
そしてもう少し涼しくなったら、足もとをブーツにかえれば、同じジーンズでも、それは秋冬モードに早変わりです。
持っているアイテムを、自分がもういいかなと思う時期より、気持ち早く取り入れる、
そうすると、それは人々の目にも新鮮にうつり、結果的におしゃれに見えます。

おしゃれとは、印象の操作です。
同じコットンでも水色だったら夏っぽく見えるし、ダークブラウンだったら、秋っぽく見えるのです。
その操作の仕方を知っていればいいだけの話です。
そのために必要なのは、いつだって、知恵と工夫です。
どんな高価な服を持っていてっも、
どんなにたくさんの服を持っていても、
その知恵と工夫には負けるのです。

本当の安心は、たくさん持つことではなく、
知恵を身につけ、工夫することを怠らない努力から生まれます。
それはお金では買えません。
お金で買えないものは、他人から奪われたり、壊されたりしません。
それは形としては見えないけれど、
見えないナイトのように、
ずっとあなたを支え続けてくれます。
そして、それはものを抱え込むよりも、ずっと安心なことなのです。



2012年8月20日月曜日

ヴィンテージ


ヴィンテージ、またはヴィンテージ風のものが最近、流行しています。
ヴィンテージを取り入れることによって、いろいろな効果が生まれます。
まず1つは、オリジナルということ。
ヴィンテージは、ほぼ1点ものです。
ですから、ほかの人とかぶるということがありません。
現在のような、大量に同じ品物が出回る時代において、手軽に1点ものを取り入れられるということは、着る人のオリジナル性を出すのに役立ちます。
次に、その風合いです。
新しいものと違って、ヴィンテージには年代を経たものが持つ、独特の親しみやすさがあります。
また、大事に着続けられてきたものだけが持つ、一種のはかない輝きも、特徴ではないかと思います。
ノスタルジックなはかなさが、着る人のセンスのよさをあらわします。
それはぴかぴかした新品の服にはないものです。
人は、すべてが真新しい空間にいるときに、何かそわそわしてしまうように、
新しいものだけのスタイルも、ほんの少しですが、居心地が悪いのです。
ヴィンテージを取り入れたスタイルは、なじみのカフェでくつろぐような、
リラックスした雰囲気を着る人に与えてくれるので、誰からみても親しみやすくなるでしょう。

また、いつも書いていることですが、
洋服のスタイリングはバランスが最も重要です。
新しいものだけではなく、古いものも取り入れないと、全体のバランスが悪いのです。
ですから、その全体のバランスをとるためにも、ヴィンテージは使われます。

ただ、ここで問題があります。
ヴィンテージを選ぶのは、とてもとても難しいのです。
私もロンドンなどに行ったとき、必ずヴィンテージショップへ行って、見てはみるのですが、
今まで一度も買ったことがありません。
ずいぶんと丁寧に、スカーフの一枚一枚までも吟味するのですが、これがなかなか買えないのです。
なぜかというと、そのヴィンテージの服や小物が持つ、目には見えない歴史の部分が感じられて、
おいそれと自分のものにしたいとは、思えなくなってしまうからです。

人には五感があります。
目に見えるもの、
さわる感触、
香り、
聞こえるもの、
味覚。
このうち、洋服を選ぶときに主に使うのは見た目と、感触でしょう。
(少しばかり、においというものもあります)
だけれども、ヴィンテージを選ぶときは、この五感をこえた、目に見えない、
さわってもわからない、その服が持っている歴史、層、レイヤーも重要なのです。
それは見えないし、さわってもわからない。
けれども、たしかにそこにある、それ以上の情報。
ここのショップに来る前に、
あの小高い丘の貴族の館に住んでいた、
美しい貴婦人が、
いつも散歩をしていたときにかぶっていたしゃれた帽子。
その貴婦人は、貴族の末裔ではあったけれども、
つつましく暮らしていて、つい最近、ひっそりとこの世を去っていった。
そのとき、婦人の部屋のクローゼットに大事にケースに入れられてしまってあった、その帽子。
それが今、このショップにあり、私が目で見て、手で触っているもの。
これは、ただの古い帽子ではない。
あの美しい貴婦人が大好きだった帽子。
こんなふうに、ヴィンテージには、その背景に物語があるのです。

私たちはサイキックではないので、さわっただけで、この情報のすべてを感じとるわけではありません。
けれども、何かがわかるのです。
このものが持っている、感情や思いが。
それは誰にでもある経験だと思います。

だから、ヴィンテージのものはなかなか買えません。
手に撮った瞬間、うん、大丈夫だ、いい気分がすると断言できるものでないと、
自分のたんすに入れるわけにはいきません。

では実際、どうやってヴィンテージを選んだらいいでしょうか。
まずは、信頼できるショップをみつけること。
信頼できるオーナーを見つけて、その人が選んだものなら大丈夫と思えるものを選ぶこと。
そういったショップは、余り規模が大きくないですから、少数精鋭の品ぞろえでしょう。
その中から、何度も通って選ぶこと。
そして、ほんのちょっとでも、何か違うかも、と思ったら、決して買わないこと。

また、なるべく先によいものを見ておくこと。
外国に行ったら、服飾博物館を訪れて、展示品を数多く見ておくこと。
ある程度、目が肥えてから、実際に買いに行くとよいでしょう。

次、もう本物のヴィンテージを買うのはあきらめて、
ヴィンテージ風のものを選ぶ。
新品ではあるけれど、古い感じが出ているものは、それだけでリラックス感があります。
そういうものを1つ取り入れると、全体として、スタイルがしっくりくるでしょう。

見えたり、触ったりしたものの先に、見えない、触われない情報がある。
これは、何もヴィンテージに限ったことではありません。
本当はどんな新品の服にも、見えない情報があります。
誰が、どこで、どんな環境で、どんな気持ちで作ったか。
生産されたものは、すべてこの情報を持っています。
プレタポルテという、既製服がこの世に出てから、
この情報は限りなく買う側から遠ざけられて、わからなくなりました。
大量消費時代になった現在、隠されている情報はたくさんあります。

見えるもの、さわれるものに惑わされないで、
それ以上の情報を探索してみましょう。
どんなものにもそれがあります。
それは人でも同じです。
見た目、
語られた言葉、
つけている香り、
それらは、いとも簡単に人をだまします。
そろそろ私たちは、それ以上の情報を知る能力を開発したほうがよさそうです。
ヴィンテージを選ぶとき、あなたも試してみてください。
見えないものが、そこにあると感じるかどうかを。
そしてそれがわかる自分であるかどうかを。

☆写真:これは私のヴィンテージ。70年代のウンガロ(日本製)のヴェルヴェットジャケットと、70年代のグッチの鞄。名づけて銀座ルック。都会に行くときしか使いません。ジャケットは母が着ていたもの、グッチは父がヨーロッパから買ってきたもの。本当はこれにエルメスのスカーフもあるけど、恥ずかしくて身に付けたことがないです。お店で買わなくたって、家にだってヴィンテージのものがあるはず。それをうまく使うのが、本当は一番のお勧めです。


2012年8月6日月曜日

ビッグ・シルエット

今の季節、雑誌はもう既に秋物の特集ですし、店頭にもちらほら秋物が並び始めました。
2012年の春を境にシルエットが変わってしまったわけですが、
秋冬に向かって、その変化は加速し、どんどん形が大きくなってきました。
タイトなシルエットからビッグ・シルエットへの移行です。
もちろんすべてのアイテムがビッグになるわけではありませんが、
コートを中心としたアウターは間違いなく大きくなるでしょう。

さて、ビッグ・シルエットの流行は80年代半ばから90年代にかけてもありました。
あの時代、シャツ、パンツ、スカート、コート、すべてのアイテムが大き目に作られていました。
(このおかげか、今ほどダイエットがブームではなかったと思います)
「大きいことがかっこいい」、そんなふうに見えるのが80年代、90年代でした。
では、この80年代のビッグ・シルエットとこれからやってくるビッグ・シルエットは同じなのでしょうか。
答えは、違います。
今年から始まるビッグ・シルエットは決して80年代と同じではありません。
よって、80年代、90年代のコートを掘り出してきて、そのまま着ても、今風には見えません。
ではどこが違うのでしょう。

皆さんは、80年代、90年代のファッションを覚えていらっしゃいますか?
80年代生まれだったら、覚えてないかもしれませんね。
けれども、それより前だったら、まだ記憶があるはずです。
あのころ、日本人デザイナーたちが一世風靡したそのシルエットは確かにビッグでした。
ビッグで、黒く、そして四角いものでした。
この形のバリエーションが80年代に流行した日本発のファッションです。
ポイントは「四角」です。
四角いシルエットを作るために、パターンからは曲線が消え、肩線は丸みを消すために、
分厚いパッドが入れられました。

私がちょうどアパレルで働いていた90年代は、まだまだ肩パッド全盛期で、
パッドなしのジャケットやコートなど、考えられない時代でした。
肩が丸いラグランスリーブにさえ、無理やり肩パッドが入れられました。
ふわふわのワンピースでさえ肩パッド入りでした。
とにかく、シルエットが四角くなければだめだったのです。

あの頃のデザイナーたちは何を目指していたのでしょう。
黒く、四角く、骨ばって、ノーメイクで、平らな靴。
あのころ、強調されたのは、こういった女性のマスキュリンのサイドでした。
四角い服や、固い肩パッドは、女性の丸みを消すためのもの。
パステルカラーは封印され、黒や紺といった、影のような、そして制服のような色がよいとされました。
そこには、スイートのかけらもありません。
甘いものなど忘れて、ハードさが求められました。
それを象徴しているかのように、最も流行った日本のブランド名は、
「少年のように」でした。

けれども、今年から始まるビッグ・シルエットは違います。
誰も、少年のようになれなどと、言いません。
あのときから閉じ込められた、女性的な体が復活します。
今回のビッグ・シルエットは、女性の体を隠すためのものではなく、
その体をより美しく見せるためのものなのです。

実際の大きな違いは、まず肩パッドでしょう。
似たようなビッグ・シルエットのコートでも、2センチもするような肩パッドは入ってないはずです。
入っていたとしても、ごく薄いものでしょう。
ジャケットも同様です。
もう2センチ肩パッドのいかり肩には戻りません。
つまり、もう四角ではないのです。
丸い曲線が入ります。

またただのビッグではなく、装飾的にも大きくなるでしょう。
ドレープ、フリル、タックなど、布をたくさん使い、たたむことによってシルエットを作ります。
80年代の、北風に負けないための壁のような衣服ではなく、
風が吹いたら、それに揺れる服です。
それは女性の肉体をより美しく見せるためのものです。

また、80年代はビッグ・シルエットに必ずマニッシュな靴をあわせましたが、
今回は、そうはならないでしょう。
もちろん、シルエットが大きくなった分、スーパー・ハイヒールをあわせる必要もなくなったわけですが、だからといって、ヒールの靴はなくなりません。
これからのビッグ・シルエットは、最後のバランスをヒールの靴を合わせることによって完成させるものが数多くあります。
ヒールの靴というものは、やはり洋服にとっては、女性性の象徴なのです。
ですから、その象徴はこれからも使われます。

確かに、女性が男性のような服装をすると、魅力的に見えることもあります。
シェイクスピアの芝居の中の、
「ヴェニスの商人」のポーシャも、「十二夜」のヴァイオラも男装していました。
けれども、それは物語の中の困難を乗り越えるためにとりいれたもので、
最終的な目的ではありません。
ポーシャもヴァイオラも、最終幕の最後の場面では、ドレスを着てでてきます。
彼女たちは、男性のように生きるために男装したのではなく、
女性として、女性らしく生きるために、その手段として途中で男装しただけです。
決して、男のようになりたかったわけではありません。

裸になって、深い海に潜って、意識の中から捨てたものを拾ってきて、
海面に浮かびあがったら、
まるでボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」のように女神が生まれるのです。
今、私たちがそれぞれやる作業は、まさにそのことです。
捨てろと言われた、
捨てるのが格好いいと言われた、
捨てなければいけないと思わされた、
その捨てたものを拾ってきて、再び思い出すときです。
それをしないと、深い海の底から、死んだと思っていた、自分の一部が暴れ出し、
嵐をおこして、あなた自身に復讐します。
なぜなら、それは決して死なないから。

本当に今年からの数年間、あらわれるファッションは楽しみです。
やっといろいろな呪縛から解放されます。
その呪いは人それぞれだと思いますが、
何より一番大きなものは、あなた以外のものにならなければいけないという呪いでしょう。
もう自分以外のものになるための努力はやめましょう。
もうそんなことをしても無駄だって、わかったはずです。
そして、ファッションを利用しましょう。
少年のようになるためにではなく、
自分自身になるために。