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2012年12月24日月曜日

ファッション・ヴィクティム

ファッション・ヴィクティムとは、ファッションの犠牲者、またはファッションのえじきという意味です。
ファッションの犠牲者は誰でしょうか。

先日、バングラディッシュのダッカで、縫製工場の火事があり、
そこで働いていた大勢の方がお亡くなりになりました。
工場には外から鍵がかけられていて、逃げることができなかったという話もあります。
彼らは、明らかにファッションの犠牲者です。

ファスト・ファッションの流行により、
安い労働力を求めて、工場は単価の安い地域へどんどん広がっていきました。
ファスト・ファッションが安くできている理由は、働く人の賃金の安さによります。

それはもちろん、世界的な経済格差によるものでもありますが、
それだけではありません。
その地域においても、より安く使われる労働力が縫製工場へ多く投げ込まれるのです。

では、それを買う私たちはどうでしょうか。
私たちもまた、同じように犠牲者ではないのかと、私は思います。
もしひどい労働環境で作られた服だということを知っていたのなら、
いくら安くたって、そんな服は誰も買わないと思うからです。
そして何より、そんな悲しい思いの上に作られた服を着たところで、
決して幸せにはなれません。

幸せにはしてくれない服が大量に出回って、
そして、大量に余っています。
服から幸福感や幸せ感を得られないので、
人々は、そんな服をすぐに捨てます。
作る人も、売る人も、着る人も、誰も幸せになりません。

服って、もっと楽しいものだったのに、
人々を幸せにするものだったのに、
いつのころからこんなことになってしまったのでしょうか。

まるで、作る人も、売る人も、着る人も、
すべての人が力を奪われてしまったかのようです。
奪われた力を取り返さないことには、みんなハッピーにはなりません。

力を奪い返すため、私たちに残された方法は、想像力を使うことです。
この服は誰がどんな状況で企画されたのか、作られたのか、売られたのか、
服を手にするたびに、想像してみるのです。
そして、少しでも疑問に思えたなら、
そこですぐには買わないで、少し考えてみてください。

幸い今の時代、インターネットという情報網から、
さまざまな情報を得ることができます。
そこには、華やかな雑誌や広告からはうかがいしれない、
隠された情報があります。
そして、それを調べれば、すべてではないにしても、ある程度、真実を知ることができるでしょう。

同時に、見えない情報を見抜く力も使いましょう。
何だか嫌な感じがする、
着てみたら、ふっと重い感じや冷たい感じがする、
そんなふうに、見えない情報は私たちに何かを教えてくれます。
それは決して気のせいなんかではなく、本当のことなのです。
袖を通してみて、うれしいと思えない服には、きっとそれなりの理由があるでしょう。

服を着ることは、喜びであるべきで、
服を着ることによって、力を奪われたりするべきではありません。
着ることによって元気になれる、
力が出る、
リラックスできる、
ハッピーになれる、
そんな服ばかりでワードローブがそろったら、
冒険に出かけることもできるでしょうし、
荒波にも耐えられそうです。

今まで、何だか自分の力が100パーセント出せていないとしたら、
その原因の一端は、あなたの来ている、その服にあるのかもしれません。
もしそうだとしたら、
ほんのちょっとの想像力を使って、
奪われた力を取り返しましょう。
まだ残されている、選択という力を使って、
本当の自分になりましょう。

あなたが着ている服にかかわったすべての人、
デザインした人、パターンを引いた人、生地を作った人、素材を作った人、
綿を育てた人、羊の毛をかった人、
ミシンで縫った人、梱包した人、運んだ人、
アイロンをかけた人、袋に入れた人、
お店に並べた人、レジを打った人、
すべての人が幸せにならなければ、
あなたは本当の意味で、幸せにはなれないのです。
なぜならすべての人々は、世界の中で違う役を演じている、
あなたの舞台の裏方であり、キャストであるからです。

観客の批判や評価ばかり気にせずに、
自分を支えてくれる仲間に目を向けましょう。
その人たちは、みんな幸せでしょうか。
もしみんなが十分に幸せだとしたら、
あなたもきっと100パーセント、幸せであることでしょう。
そうでないとしたら、
そうなるように、何らかの行動をおこしましょう。
服を着るということは日々の行いですから、
毎日何かしらできることがあるはずです。

クリスマスの夜に、ほんのちょっとだけ考えてみてください。
あなたが今着ているその服は、あなたを幸せにしてきただろうかと、
そして、それにかかわったすべての人を幸せにしただろうかと。





2012年12月17日月曜日

レトロ


最近、クラッシックなデザインへの回帰が多く見られるようになりました。
それに伴い、レトロといわれる、いわゆる懐古趣味のスタイリングも多く提案されています。

しかし、この「レトロ」ですが、どこら辺の時代までさかのぼるか、はっきりした定義はありません。
ただ、提案されているものを見る限り、
大体は、50年代から60年代ごろ、
現代ファッションの基礎ができ上がった時期と一致しているようです。
70年代以降になると、それは70年代ファッション、80年代ファッションと呼ばれるようになり、
レトロとは言いません。

では、レトロとは、どんなファッションをいうのでしょうか。
まずは、現代服の基本形であること。
クリスチャン・ディオールが発表したような、フェミニンではあるけれども、
かっちりしたジャケットとタイトスカートや、
その上に羽織るコート、タイトスカートの上に着るカーディガンや丸首ニットなど、
アイテムとしては、ごく普通のものばかりです。
デザイン的にも、袖丈が短い以外、奇抜なものはありません。
その中で、何が一番特徴的かと言うと、サイズ感ということになります。

この時代、まだプレタ・ポルテと呼ばれる既製服は、ないことはないですが、多くありません。
ほとんどの人が、それぞれ寸法をはかってもらい、好きな生地、好きなデザインで、
クチュリエに頼んで作ってもらっていました。
そのため、袖丈、身幅、スカート丈など、その人にぴったりのサイズで洋服ができ上がっています。
現在のように、服のサイズに自分自身をあわせるのではなく、
服のほうが、その人の体に合わせて作られたのです。
ですから、袖をまくり上げたり、裾を折ったり、ウエストをベルトでごまかしたりというような、
着崩す必要がありません。
自分にぴったりのサイズの服を、着崩すことなく着る、
これが当時のスタイルです。

そして、このきっちりした着こなしにあわせて、
帽子、手袋、靴と鞄(同色)をあわせていきます。
洋服のスタイリングの基本中の基本の組み合わせです。
はずしも、着崩しも、ビッグサイズも、リラックスもなく、
すきのないよう、完璧にスタイリングしていきます。
その結果、全体の雰囲気はエレガントになっていくのです。

一部のレディライク・スタイルを除いては、
現代の人たちは、このエレガント・スタイルを経験しないできてしまいました。
本当は、完璧な完成された形を経験して、それを崩すから、
バランスがわかるようになります。
標準があるから、ビッグがわかります。
きっちりしているから、リラックスがあります。
完璧だから、はずせます。
その、おおもとであるエレガントを理解しないと、
それ以外のテクニックは、なかなか理解できません。

エレガントを理解できない大きな理由は、
私たちのほとんどが既製服を着るところから人生をスタートさせたからです。

ぴったりの身ごろとはどんな感じなのか、
ちょうどいい袖丈、
スカート丈は、
コート丈など、
知らないまま既製服を着ています。
服にどうやって自分を合わせるか、それしか知りません。

クラッシック・スタイルや懐古趣味の復活は、
そのことを私たちに問いかけているような気がします。
本当にあなたは、自分にぴったりのスタイルを知っているのか、と。

もし、自分にぴったりのサイズ感、つまり袖丈、身ごろ、スカート丈がわかっていたら、
レトロ・スタイルを取り入れるのは簡単です。
自分にぴったりのものを着て、
すきのないスタイリングをすればいいでしょう。
もうちょっとそれらしく見せたければ、袖丈を七分にして長い手袋をあわせたり、
その時代に流行っていた色や柄を使ったりすればよいでしょう。
その場合、50年代、60年代の映画が参考になります。
(もちろんオードリー・ヘップバーンもその時代に入ります)

では、自分にぴったりのサイズ感がわからないとしたらどうしましょうか。
それは仕方ありません。
今からでも遅くはないので、自分の体に合うサイズを知ることです。
バスト、ウエスト、袖丈をはかってみて、
それに対してどれぐらいのゆるみがあればいいのか、知るのです。
それは一般的な7号や9号サイズとは違うはずです。
そのとききっと、自分がいかにあわないサイズの服を着続けていたかに気づくでしょう。
いつでもどこか足りなかったり、余っていたりして、
ぴったりした感じは、めったに味わったことがないはずです。

それは当たり前のことです。
あなたと同じサイズの体は、ほかにどこにもないのですから。

そして、自分の体型が目指すべき理想のバランスがどんなものか熟知していなければ、本当は、美しく服を着ることなどできないでしょう。

自分の体のことは、案外知っているようで、よく知っていません。
他人からの視線を気にする割には、自分で自分で知ろうとする努力を、私たちはあまりしません。
しかし、自分で自分のことがわかってしまえば、それは力になります。

本当に自分の体型に合った理想のバランスがわかれば、採寸した数字がただの数字にすぎず、全体のバランスさえ整えれば、無理なダイエットなど必要なく、メリハリがある体型があればいいこと、そしていくらでも服を使って修正できることがわかるでしょう。

そして、今まで何だかしっくりこなかったのは、自分の体型が悪いわけではなく、ただ単に、サイズが合った服を着てこなかっただけ、ということもわかると思います。

知ることは力です。
知らないから間違います。
雑誌も、お店の人も、既成のサイズにあなたをあわせたいだけなので、本当のサイズのことなど教えてくれません。
それは自分で探しにいくしかありません。
だけれども、探しにいくだけの価値はあります。
知れば、変えられます。
知らないと、変えられません。
自分にぴったりのサイズの服を着ていた50年代、60年代の女性たちを発見しましょう。

洋服を着るときの理想のバランスを、自分の体型でどうやって作ったらいいか、そしてそのためにはどんなサイズの服を着ればいいのか考えてみましょう。

それがわかれば、次に選ぶ服も、おのずと変わってくるでしょう。

どこを基準にサイズ選びをすれば、自分の目指すべき理想のバランスが体現できるのか、そしてそういった服を作っているのはどこのブランドなのか、試着を繰り返しながら発見していきましょう。

これだけたくさんの服が売られているのですから、
それはきっと、どこかに存在するでしょう。

2012年12月10日月曜日

きらきら

ここ数年、アクセサリーだけでなく、服にもきらきらした要素が取り入れられるようになりました。
スパンコール、ビーズ、ラメ、ビジューなど、生地そのものの場合もありますし、
部分的に刺繍や縫いつけの場合もあります。

そして、特に冬の季節、きらきらした服、小物を使ったコーディネイトが多く登場します。
それは、この季節のどこか華やいだ気分や雰囲気に、合っているからだと思います。

では、このきらきら、全体のコーディネイトに取り入れるとき、
何に注意したらよいでしょうか。

実は、きらきらの輝きには、安い輝きと、高い輝きとがあるのです。
残念ながら、それは値段に比例します。

誰もが納得する最高のきらきらした輝きは、ダイヤモンドです。
その高貴な輝きは、誰をも魅了します。
また、自然光のもとであっても、人工の照明のもとであっても、
その輝きは失われません。

しかし、服に使われるきらきら素材の輝きは、まことに千差万別。
本当に安っぽいものから、高級感のあるものまでさまざまです。

人工物で高級な輝きは、やはりスワロフスキ―のビーズです。
あれは、お値段もそれなりにしますが、その輝きは確かなものです。
ですから、スワロフスキ―を使っているだけで値段が上がるのは、
仕方のないことです。

それ以外の人工のビジューやビーズ、スパンコールは、
やはり値段なりの輝きと見ていいでしょう。
また、素材自体が光るものも同じで、やはり安くて光る素材は、
安い光を放ちます。

その差はどこでわかるかというと、
おもに自然光にさらされたときです。
暗い照明の、すべてのものが素敵に見えるショップの中で、
その輝きは、気になるほど安っぽくはないでしょう。
けれども、一歩、店を出て、太陽の光にさらされたなら、
その安っぽい輝きが明らかになります。
たぶん、光の反射の仕方の問題だとは思いますが、
安い輝きは、どこか平板で、きらめきがないのです。

気をつけたいのは、やはり大人であればあるほど、安い輝きのものを選ばないほうがいいということです。
自分を輝かせるために選んだはずのきらきらが、
自分の輝きをおとしめるはめになりかねません。
こればかりは値段に比例するので、それなりの値段のものを選ぶのが無難でしょう。
できれば、太陽光の入るような店内で輝きを確認してから買ったほうがよいでしょう。

そしてもう一つは、きらきらの分量です。
芸能人でもない限り、100パーセントか、またはそれに近いきらきら、
つまり、スパンコールのドレスは避けたほうがいいでしょう。
大人のきらきらは、あくまでスパイス的に用いるほうが賢明です。
どこか1か所、高貴な光がきらきら輝く、その程度でいいと思います。
きらきらの多所使いはやめにしましょう。

最後に、これはもちろんのことですが、
ダイヤモンドを身につけるなら、服をきらきらさせる必要はありません。
きらきらと、きらきらをけんかさせてはいけないのです。
いつでも、全体のどこの部分がポイントか考えて、
ジュエリーを身につけるのなら、
それに負けるようなスパンコールやビーズはやめましょう。

ここら辺をおさえれば、
今の時代、きらきらした装飾の服は、
必ずしも夜だけや、パーティーのときだけのものにする必要はないと思います。
日中は少しおさえ気味に、夜は少し華やかに、
きらきらしたものを取り入れれば、コーディネイト全体のフォーカル・ポイントができ上がります。

最後に忘れないでください。
いくら服だけきらきらしてみせたところで、
あなた自身がきらきらしていなければ、
全体に輝いては見えません。
服やジュエリーは、輝きを付け足しはしてくれますが、
補ってはくれないのです。
それはあくまで、着る人、身につける人の輝きあってのこと。

きらきら輝いている人は、
遠くからでも、その輝きがわかります。
自分に自信を持って、
他人と比べないで、
固定観念に縛られないで、
自分で作ったおりから抜け出して、
そうして人は、初めて輝きだします。

ダイヤモンドを身につける前に、
まずは、自分を覆う曇りを取り除きましょう。
そのために必要なのは、
不必要なすべてのものを手放すこと。
そして、身軽になった自由さが、あなたを輝かせます。

いらないと自分で決めて、
手放すと自分で宣言すれば、
その不必要なものは手放せます。
すべてから解放されてしまえば、
あなたは、夜空に輝く恒星のように輝くでしょう。
そうしてそれは、誰にも奪われない輝きです。

輝くようになったあなたは遠くからでも、すぐに見つけられるでしょう。
なぜならその輝きは、ダイヤモンド以上だからです。

2012年12月3日月曜日

ロック・テイスト


ロック・テイストを取り入れたファッションが、
かなり定着してきました。
これは、人気のある女性ロッカーではなく、
それを取り入れたファッションをしているケイト・モスや、ファッション関係者のおかげではないかと思います。

ロックといっても、グラム・ロックや、グランジ・ロック、オルタナティブ・ロックではなく、
ハード・ロックやヘビーメタルのテイスト、
つまり、黒革、ライダーズ・ジャケット、どくろ、びょう(スタッズ)などです。

本格的にファッション関係者がロック・テイストの、たとえばライダーズ・ジャケットを着るようになったのは、たぶん、80年代の終わりか、90年代に入ってからだと思いますが、
そのころはまだ、本当にロックの人たちが着るようなアイテムを買ってきて、
ワンピースとあわせて着てみたり、ジャケットのかわりに着てみたりしていました。
しかし、それから年月が経過し、
今ではロックといっても、スタッズが星やハートになっていたり、
必ずしも黒い革ではなくて、ピンクやブルーになっていたりと、
本気でロックをやるつもりのない、一般の女性向けのファッションまだ進化しました。

ただ、ロック・テイストは、まだまだ取り入れるのに抵抗がある方も多いようで、
日本では、特に年齢層が上がるほど、着用率は低いようです。
もちろん大人向けのロック・テイストのアイテムが必ずしも豊富にはないということも一因だとは思いますが。

では、もう十分、定着したと思われる、このロック・テイスト、
本気でロックバンドをやるつもりのない私たちは、どうやって取り入れればよいでしょうか。

まず、避けたほうがいいのは、
「まさかこれからロックやるの?」みたいな格好、
つまり上から下までロックンロールにしないことです。
大人がそれをやってしまうと、それは違う世界の人になってしまいますので、注意しましょう。
(まあ、いないとは思いますが)

お勧めなのは、
前に書いた、「はずし」アイテムとしてロック・テイストを取り入れる方法。
簡単なのは、フェミニンなドレスの上にライダーズ・ジャケットを羽織る方法。
これはおしゃれ上手な人たちがよくやるスタイルです。
ドレスをライダーズという、男っぽいアイテムではずします。

そのほか、やりやすいのは、スタッズのついたアイテムを一点投入する方法。
今、スタッズのついたバッグや靴など、多く出ています。
それを1つ取り入れるだけで、一気におしゃれ度が上がり、垢ぬけた感じになります。
ジミー・チュウで出しているような、スタッズつきのバレエ・シューズなどは、
それだけで2つの要素、つまりフェミニンとマスキュリンが入っています。
おしゃれに見える要素の、100パーセント同じにしないという法則を、靴のみで成立させることができますので、すぐれたデザインだと思います。

では、なぜ大人がロック・テイストを取り入れるとおしゃれに見えるのでしょうか。
ロックというのは普通(もちろん例外もあり)、若者の聞く音楽です。
それだけで若さの象徴です。
それは、年齢や見た目の若さではないのです。
精神的な若さです。
それを取り入れることができるということは、それだけ心が広く、理解があり、
心が若いということなのです。
昔、ロックは大人から嫌われていました。
エレキギターを持っているだけで、不良の烙印を押されました。
(もちろん、私はそんな時代、知らないです。噂で聞いた話)
ロックはレベル、つまり大人社会への反抗の音楽だったのです。

大人への反抗の印であるロックを、その大人が取り入れる。
それは、もうそれだけで、その人が古い常識に凝り固まっていないということ、
新しいものを取り入れることができるということ、
時代の流れを感じることができるということです。
これはまさにファッションと同じです。
ロックを理解できるということは、ファッションを理解できるということなのです。
だから、モデルやファッション誌のエディター、スタイリストたちがよく取り入れるのです。
そして、結果、それはおしゃれに見えるということになります。

ロック・テイストのアイテムには、小さいながらもレベル(反抗)というイメージがついています。
足もとに、スタッズつきの靴を持ってきたことによって、
あなたは世界に反抗を表明できます。
それは、このままではいけないという心の叫びをパンク・ロッカーが叫んだほど、
大きな声ではありません。
けれども、何もしないで黙っているというわけでもありません。

小さな反抗心を心に抱いて、
世界をよいものに変えるために、スタッズのついたバレエ・シューズで街を歩きましょう。
それは小さな一歩かもしれませんし、非力に見えるかもしれません。
けれども、その小さな一歩が集結すれば、世界を変える力となるでしょう。
いつでも始まりは、その小さな一歩です。

☆写真:ジョーン・ジェット。たぶん、最初に影響を与えたのは彼女とクリッシー・ハインド。かっこいいけど、このまま取り入れちゃだめよ。本気ロックの人になっちゃう。



2012年11月26日月曜日

透け感

今年、シルエットが変わってしまったことは、たびたび説明してきましたが、
変わったのはシルエットだけではありません。
最終的にでき上がる印象に、軽さが求められるようになりました。
軽さを表現するにはさまざまな方法があります。
まず1つは抜け感、
次に明るい色を使うこと、
そして、もう1つが、透け感のある素材を使う方法です。

ビッグ・シルエットで、しかも布の分量自体もふえてきた今年から、
軽さを表現するために、多くの透けている素材が使われるようになりました。
それは、
レース、
シフォン、
オーガンジー、
すかし編みのニットなどです。

布が分量がふえると、どうしても印象が重くなってきます。
実際、布自体がふえているのですから、着ているものも重くなるでしょう。
けれども、これからは、それがあたかも軽いかのような印象を与えるように見せることが重要になってきます。
そのために、全体のコーディネイトに何か1つ、透けている素材のものを投入するだけで、印象が軽くなり、今風になります。
それはブラウスでもスカートでもスカーフでも、何でも構いません。
ほんの少しの味付けで、全体の印象を変えることは可能です。

透け感のある素材は、同時にロマンチックも表現できます。
たとえば、トレンチコートもレースで作れば、ロマンチックです。
どんなものでも、ロマンチックにしてしまう力が透け素材にはあります。
軽さ、ロマンチック、どちらもこれからの時代にふさわしいものです。

例えば、透け感は黒一色のコーディネイトを作るときにも力を発揮します。
黒はそれ自体、重く見える色ですが、
ブラウスをオーガンジーにするだけで、軽くすることができます。

透ける素材というものは、肌そのものを見せません。
透けるのではなく、肌そのものを見せたら、もっと軽くなるのではないかと考えるかもしれませんが、
それは違います。
天女を思い出してください。
天女は羽衣があるからこそ、空を飛べるのであって、
裸では空を飛べません。
透けている素材を身につけることによって、軽くなり飛べるのです。
裸では、重すぎるのです。

そしてもう一つ、透けている素材のメリットは、
そこはかとなく色気を感じさせることができることです。
これも、やたらと肌を露出した、あからさまで即物的な色気とは違います。
隠しているからこそ、色気が出ます。
見えそうで見えない、その葛藤がセクシーなのです。
全部見せてしまったら、わかってしまったらだめなのです。

前から何度も書いてますが、ファッションで重要なのは印象です。
ですから、軽さと言っても、実際に体が軽い必要はありません。
いかに軽そうに見せるか、それだけの問題です。
体重が実際に重い方は、この透け感を大いに利用したらいいと思います。
西洋絵画に描かれた女神たちの実際の体重は、重いでしょう。
けれども、透けているドレープの衣装を身につけているからこそ、その体重を感じさせません。
これが、真っ黒で固いウールのコートだったら、本当に重く見えてしまいます。
見た目の軽さが重要です。

今風に見せるために、すべてのワードローブを総入れ替えする必要はありません。
そのときそのときでポイントがあります。
それをうまく取り入れていけば、それらしくなります。
その1つが透けている素材だということです。
来年の春夏あたりから、多くのアイテムが市場に出てくることでしょう。
そうすれば、今よりもっと自分にふさわしいものが選べるようになります。

ロマンチックで、そこはかとない色気、はかなく壊れそうな繊細さ、優しさ、
透けている素材には今まで私たちがあまり重要視していなかった魅力がたくさんあります。
決して、強い女性ではありません。
戦う女性でもありません。
けれども、そこには甘い夢と、癒しの力があります。
忘れてしまった夢を取り戻すように、レースを選んでみましょう。
オーガンジーのブラウスに袖を通してみましょう。

眠り姫が長い眠りから目覚めるように、
その夢は目覚めるかもしれません。
そして、それが夢ではなくて、現実になるのだと、再び確信できるかもしれません。
それは効率でも、実用でもありません。
何の役にも立ちません。
けれども、繊細な弱いものだけが持っている、はかない力をあなどってはいけません。
イマジネーションの力を馬鹿にしてはいけません。
なぜなら、それこそが、あなたを 夢見た場所へ連れて行ってくれるものだからです。













2012年11月19日月曜日

コピー商品がコピーしきれないもの

ファッションの世界では、デザインをコピーしたものが多く出回っています。
服、バッグ、靴、すべてにおいてそうです。
実際、それはあまりにもあからさまな方法で行われます。

実は、私が以前、勤めていたアパレル企業(しかも一部上場企業)も、多くのコピー商品を作っていました。
やり方はこんなふうです。
まず、市場調査と称して、デザイナーやマーチャンダイザーと呼ばれる人たちが、有名デザイナーの服を買ってきます。
私がいたころは、わざわざパリまで行って買ってきていました。
そして、それを会社に持って帰ります。
そして、こう指示するわけです。
生地から、デザインから、何から何まで同じものを作れ、と。
彼らはそれをマーケッティングと呼びます。

これをほかの分野でやったら盗作です。
または、法律違反です。
どちらにしても、誇れるような行為ではありません。
恥ずべき行為です。
それを分別がありそうな、いい年の大人が堂々とやるわけです。
マーケッティングという名のもとにおいて。

では、なぜこんなことをするのでしょうか。
まず、無知だからです。
デザイン能力がないからです。
他人の権利に無頓着だからです。
恥という概念が欠如しているからです。

けれども、一番大きいのはこれです。
自分たちで苦労して一から何か作る努力をせずに、
楽して儲けたいからです。

彼らは、全く同じものを作れと下の者に指示を出します。
しかし、実のところ、全く同じものというわけにはいきません。
まずサイズの問題。
外国のパターンは、日本と違って、サイズに対する許容範囲が大きいらしく、
たとえば、日本の9号サイズを作ろうとしたら、
ウエストが細すぎたり、アームホールが小さすぎたりします。
そのままでは、日本の工業用ボディの9号に、どこもしわもなく、
ぴったり服にはならないのです。
ですから修正が入ります。
ウエストを大きくし、ダーツの位置を変えます。
アームホールも大きくするので、袖の太さも変わってしまいます。

つぎにコストの問題です。
たとえば、シルクのブラウスを買ってきて、そのまま作れと言ったとします。
けれども、実際、シルクはコストがかかりすぎるので、ポリエステルに変更します。
プリントの柄まで同じものにしろと指示があった場合、
生地屋さんにそのように発注するのですが、
シルクとポリエステルでは発色も違いますし、見た目も同じではありません。
上がってきた生地は、似てはいますが、同じものにはなりません。

その後、サンプルを作ります。
すると彼らは、それがたくさん売れるために、次々、修正を加えていきます。
ポケットがなかったら不便だと、ポケットを追加する、
ダーツが2本だと工賃が高くなるので、ダーツを1本に変える。

そうやって、最終的な商品ができ上がるわけですが、
その時点では、もうオリジナルのよかった点は消えています。
そのウエストのバランスが、
その2本のダーツが、
その生地の質感がよかったのに、
それが何一つ残っていません。
楽して儲けるために同じものを作ったつもりでも、結果的にできたものは、
つまらない、安っぽい服です。

なぜ、つまらなくなったのか。
それは、そこにデザイナーが服に込めた魂がなくなったからです。
魂を抜いた服に、新たに楽して儲けたいという気持ちを込めて作られた服が、
よい服なわけがありません。
そんな服を着ても、心が動くわけがありません。

もともと、コピー商品が多くなるようになったきっかけは、シャネルの発言だと言われています。
彼女が、私の服をコピーしてもかまわない、というようなことを言ったらしく、
それ以来、洋服のデザインをコピーして、誰かが訴えるなどということはありません。
それは黙認状態で、当たり前だと思われています。
シャネルの真意はわかりませんが、
たぶん、彼女は知っていたのでしょう。
いくらコピーしようとしても、自分の魂が入った服を他人が作れるわけがないということを。

もちろん、本当の意味で、服にオリジナルなどないです。
袖があって、身ごろがあって、ダーツをとってなど、
原型はもう既にあります。
しかし、デザイナーたちは、その原型の上に、
そのときの時代の気分を入れ込みます。
ウエストの1センチ、肩幅の5ミリ、ダーツの3ミリを細かく決定していきます。
そして、ぴったりバランスがとれるポイントを見つけるわけです。
それがデザインです。
今、自分がわくわくするような、魂がおどるようなポイントの発見、
それがデザインとなるのです。

当然のことながら、魂の入っていない服を着ても、素敵には見えません。
どんなに小さい規模でも、自分の心をこめて作っている服のほうが、
よっぽど人を素敵に見せます。
それは魂を抜かれて大量に作られた服には、できないことです。

服を選ぶときには、そのことに注意してください。
作られた意図を見抜くのです。
すべての作られたものには、意図があります。
それはあなたを利用して儲けようとするために作られたものなのか、
それとも、あなたを素敵に見せるために作られたものなのか、
見分ける目を、
かぎわける鼻を磨いてください。
それは訓練によってのみ、可能となります。

魂を抜かれた服には、独特の雰囲気があります。
デザインのポイントがはっきりしない、
シルエットにめりはりがない、
安っぽい、
何かが足りない感じがする、
生き生きとした感じがない。
それは、よく道端で売っている、名画をコピーした絵画と同じです。
見た目は似ているけれども、それを見ても感動はしません。
服に対しても、同じように見るのです。
この服は本当に感動するか、しないのか。

もし、買ってはみたけれども、着ても心が踊らない服ならば、
それは魂を抜かれた服かもしれません。
魂を抜かれた服は、こんど、あなたからエネルギーを吸い取ります。
そして、あなたは疲れていきます。
そんな服は選ばないように、
くれぐれも気を付けてください。
あなたにエネルギーを与える服だけが、あなたを輝かせるということは自明の理です。

2012年11月12日月曜日

今の時代のシルエット



今日はシルエットについてのレクチャーです。

流行にはいろいろな要素があります。
流行りの色、流行りのアイテム、流行りのブランドなど。
けれども、その中でも一番大きな要素はシルエットです。
その時代のシルエットというものがあり、
そこから外れると、流行遅れに見えます。
そして、そのシルエットは、色、アイテム、ブランドよりは長く続くものです。
流行のメインストリームと言えます。

さて、2012年になって、大きくシルエットが変わりました。
単に、ビッグシルエットと呼ばれていますが、
そんな簡単なものではありません。
ビッグシルエットというと、80年代から90年代に流行りましたが、
今年から始まったビッグシルエットは、それとは明らかに違います。

そこで上の図をごらんください。
一番左が1984年~1998年ごろまでのシルエット。
真ん中が1999年~2011年までのシルエット。
そして、一番右が 2012年から、たぶん、2025年ごろまで続くであろうシルエットです。

まず、80年代中ごろから90年代にかけてのシルエットですが、
これが当時、ビッグシルエットと呼ばれたものです。
特徴は、とにかく全体のシルエットが四角くなること。
そのために肩パッドも入れましたし、コートはロングで、重く裾広がりでした。
全体の雰囲気はマスキュリン、つまり男性的です。
次は、1999年ごろから、去年までです。
シルエットは縦に長く細くのびていきました。
上半身も下半身もタイト。ぴちぴちのTシャツにスキニ―ジーンズ、スーパーハイヒールがこの時代の象徴的なスタイルでしょう。
ケイト・モスが注目され始めたのもこのころからです。
どちらかというと、男性でも女性でもない、中性的なイメージでした。

そして、2012年は一番右になります。
これからのビッグシルエットは、この絵のように楕円形です。
ビッグではあっても、上と下は小さく、丸くします。
そのために、いかつい肩パッドは抜きますし、
足もとをクロップトにしたり、ボトムのすそを短くします。
コートだったら、コクーンシルエットにしますし、
ポンチョやケープといった、体の真ん中あたりにボリュームが出るシルエットのものが流行ります。
全体の雰囲気はフェミニンでロマンチックです。

もう一度、図をごらんください。
左側に矢印を入れてあります。
これは、そのシルエットが指向する重心のポイントです。
80年代から 90年代は、全体の重心を下へ下へと持っていきました。
地上志向とでもいうのでしょうか。
目に見える、実質的な価値というものを大事にした時代です。
お金、キャリア、ブランドなどが重要視されました。
そのため、まさに地に足のついた感じのする、重厚な靴で全体のバランスをとりました。
黒くてごついメンズライクのフラットシューズがその代表です。

2000年代から去年まで、重心は、その前の流れの反動で、上と下に引っ張られました。
だから、ヒールはどんどん高くなっていきました。
上も同時に目指していましたので、髪の色が一気にブラウンになりました。
ブラックでは重すぎたのです。
金髪に近い髪の色とスーパーハイヒール、これがこの時代の特徴です。
ただし、全身のバランスの重心ポイントは分散されて、どこかを強調するということはありませんでした。

最後に2012年以降ですが、重心のポイントは上方向だけになります。
とにかく上を目指します。
それ以前の、上下に引っ張られて、重心のない、まっすぐなラインから、
どこか上の部分が強調されるような重心のポイントに変わります。
そのラインは体のほぼ真ん中、あるいはその上です。
そのために、フラットシューズをはくにしても、80年代のような地上志向の靴ではありません。
それは、まさにバレエシューズに代表される、
軽やかさを持ったフラットシューズということになります。

ちなみに、ここまでの分析は私がしたものです。
ほかの誰も言っていませんし、書いてもいません。
私がシルエットの推移を観察した結果、見つけたものです。
 
では、具体的にこの2012 年からの気分のシルエット、どうやって取り入れたらいいでしょうか。
まず、上の図にあるように、全体のシルエットを楕円形の卵型になるように作りましょう。
そのためには、いかつい肩パッドは抜く必要がありますし、
あまりに裾が重たく広がっているものも避けなければなりません。
足もとはボトムをクロップトにしてみたり、コクーンやバルーンにしたり、
軽く、小さくなるようにします。

そしてもう一つ、シルエット全体に軽やかさが必要です。
たとえば、同じ布の分量でも、黒と白では軽さが違います。
黒い、四角い、分量が多いだと80年代になりますが、
白い、丸い、分量が多いだったら、2012年以降の気分になります。 
分量が多いとしても、オーガンジーやチュール、レース、
または明るい色だったら、大丈夫です。

そして、重心のポイントは体の真ん中より上になります。
だから、ミニのボトムが流行ります。
ボトムをミニにすれば、全体の重心は上がります。
黒いタイツと靴だとしても、ミニ丈ならば、重心を上にあげ、
軽く見せることができるからです。
また、さきに挙げた、ケープ、ポンチョ類、そしてテントシルエットなど、
体の真ん中部分を大きくして、そこに重心を持ってくるシルエットのアイテムは、
これからも続きます。
大判のストールをまく場合でも、下に広げないで、首元でまとめるのが今の気分です。
帽子も大き目になってくるかもしれません。

全体としてイメージがわかない人は、バレリーナの衣装を思い浮かべてください。
あのバランスこそ、今の時代の気分です。
地上ではなく、天上を目指します。
地を這うようには歩きません。

80年代から90年代にかけて、ワンランク上などの、強固なブランド志向がありました。
しかし、その後、ワンランク上の幻想は崩れ、ファーストで横並びの、皆同じファッションが主流となりました。
そして今、目に見えない、そしてお金では買えない価値観を追及する時代に入りました。
やさしさや思いやり、夢や希望など、
お金にはならない、食えないものであると同時に、
お金で買おうとしても買えません。
あなたのやさしさや思いやりは、お金にはならないかもしれないし、
効率も悪いし、全くの役立たずかもしれない。
けれども、人間は、それなしでは生きていけません。
これからのファッションは、それらのことを表現することになります。

もちろん、この天上志向も、行き過ぎた暁には戻ることになります。
せめてそれまでの間、今の気分を楽しみましょう。
お金にはならないと否定され続けたものを、再び生き返らせましょう。
そしてそのほとんどを担うのは、やはり人間のフェミニンの部分なのです。

笑顔も、あいさつも、気配りも、非効率も、
レースも、フリルも、オーガンジーも、何の役にも立ちませんし、お金に換算することはできません。
役には立たないものでも、力はあります。
その力を、今、よみがえらせましょう。
世界は、もう既に、それなしでは成り立たなくなっているのですから。










2012年11月5日月曜日

巻きもの

マフラー、ストール、スカーフなど、
今では一年中を通して身につけますが、
なんといっても出番が多いのは、
実用的な目的も兼ねた、秋冬ではないかと思います。

ワードローブがシンプルになればなるほど、
また、定番と言われているもので構成されればされるほど、
小物の重要度は高くなります。
なぜなら、小物こそが、あなたらしさを表現する道具となるからです。

マフラー、ストール、スカーフなどの巻きものを選ぶ場合の基準は、
色、
大きさ、
素材となると思います。

やはり一番目につくのは色です。
巻きもので使う色は、
全体のコーディネイトの要となります。
ここで妥協してしまうと、すべてがだめになります。
同じブルーを選ぶにしても、
何種類ものブルーがあります。
自分に一番必要な色はどの色なのか、慎重に見極めましょう。
色の選択が成功すれば、半分は成功したのと同じです。

次に大きさです。
大きさは、全体のコーディネイトのバランスの中で決まります。
マフラーの幅と長さ、
スカーフの四角の一辺の長さ、
ストールの全体の分量など、
必ず全身がうつる鏡でチェックしてください。
ふさわしい大きさは身長によっても変わりますし、
もちろん髪型によっても違いますし、
選んだ色によっても違います。
単純に、身長が高いから大きいもの、長いものがよいという話ではありません。
たとえば、全身黒のスタイルに赤を持ってくるとします。
その場合、赤がどれだけの分量見えるのが一番いいかは、
人それぞれ違います。
もちろん、ほかのアイテム、たとえば靴やバッグとの兼ね合いもあります。
必ず全体のバランスをチェックしましょう。

最後は素材です。
これは案外見落とされがちではないかと思います。
もちろん、肌触りのよさのみを重視して、巻きものを選択するということもあります。
しかし、素材の質感によって、
色や重量感が全く違って見えてきますので、そこは注意が必要です。
同じブルーでもシルクのブルーと、ウールのブルー、ナイロンのブルーは違うのです。
これは光の反射具合が違うところからきています。
そして、素材の違いによって、品のよさも変わってきます。
ある程度、大人でしたら、あまりに安い素材のものは、お勧めできません。
特に黒は危険です。
ウールの黒は、いい素材と悪い素材で、全く色の出方が違います。
これは店頭の照明だとわかりにくいのですが、
太陽光の下にさらされると、てきめんにあらわれます。
安いものは、安い光り方をするのです。
注意してください。
逆に、柄物は、黒ほどはっきりと素材感がわかりません。

これらすべて、自分で試行錯誤していろいろ実験してみないと、
どこがいいポイントなのかわかりません。
自分、ワードローブ、巻きもの、そして自分のまわりの世界、
これらをじっくり観察してみないことには、
ストライクゾーンを発見することはできません。
そして、そのストライクゾーンは、少しずつですが、日々変化します。
それは、そのときの流行であったり、自分の気持ちの変化であったり、
あるいはお天気であったりと、いろいろな理由からです。

たとえば、今年らしいバランスとはどんなものかを知るためには、
自分のまわりの世界の観察が必須です。
自分が気分よくなる色を知るためには、
自分の気持ちの観察が必須です。

誰かが1度アドバイスをして、確かにそのときはそれがよかったとします。
けれども、それだって、永遠ではありません。
いつでも、そのポイントは変化しているのです。
たぶん、去年の冬と今年の冬では違います。
去年と違う髪型だったら、今年はもう違います。
去年と違うチークを選んだとしても、もうそれだけで違います。

その変化を見極めるには、毎日、丁寧に自分やまわりの世界を観察していく以外、
方法はありません。
それは、毎日、天気予報をチェックするのと同じように、
常にチェックしなければなりません。
毎日の変化をとらえて、
それにあわせて変えていく。
去年と同じマフラーをするにしても、
今年らしい色のバランスで、
今年らしい巻き方で、
今年らしい気分で、
少しずつ変えていく。

そうやって見つけたポイントが、あなたらしさになります。
その努力は無駄ではありません。
誰かに素敵だね、と言わなくても、
それは続けてください。
その変化に気づいているのがあなただけだとしても、
世界が変わっているようには全く見えなくても、
明らかに、あなたは進歩します。
住む世界が変わります。
そして、そうした努力を積み重ねていけば、
誰だって、おしゃれになれるのです。



2012年10月29日月曜日

「はずし」のテクニック


おしゃれな人がよくやるテクニックで、「はずし」というものがあります。
「はずし」とは何をはずすのかというと、完璧になることからはずす、ということです。

コーディネイトをする際に、すきがない、すべて完璧というスタイルを、おしゃれな人は嫌います。
完璧すぎるというのも、どこかバランスが崩れているということなのです。

しかし、この「はずし」というテクニック、
昔からあるものというものでもないようです。
50年代、60年代の映画を見ても、
あ、これははずしているなというスタイルは出てきません。
きっちり完璧、パーフェクトにエレガントです。
その後、70年代になって、服装が一気にカジュアル化していく中で、
その名残が80年代へと受け継がれ、
そのころから、この「はずし」が言われるようになったようです。

「はずし」をするためには、何通りかの方法があります。
1つ目は、「はずし」アイテムを1つ付け加える方法。
例としては、まず、完璧なエレガント・スタイルを作ります。
そこから今度は、何か1つのアイテムを「はずし」アイテムと交換、
または付け足します。
「はずし」アイテムは、普通なら、これはこのコーディネイトに取り入れない、と考えるものです。
たとえば、シルクのインナーだったものを、ポップなイラスト入りTシャツにかえる、
または、バッグのチャームにスワロフスキーのキティちゃんを付け足す、
全身黒のコーディネイトに、時計だけ蛍光色のバンドのものをする、
などです。
全体として、どう考えても、普通だったら取り入れない、というものをあえて付け足す。
これが「はずし」のテクニックです。
この場合、「はずし」 か所は1か所におさえておきます。
それ以上、取り入れると、「はずし」にはなりません。

2つ目は、着崩す方法です。
着崩すというのも、「はずし」の中に入ると思います。
なぜなら、完璧な着こなしを壊す行為だからです。
「崩す」ですから、壊します。
やり方は、まず普通に着る。
そこから、袖をまくってみる、
襟をたててみる、
シャツのボタンをはずす、
パンツのすそを折るなど、
完成された服の形そのままで着ないで、
「崩す」部分を作っていきます。
これをやる場合は、必ず鏡の前で、全体のバランスを見ながら決定していってください。
袖をまくる長さも、
パンツの裾を折る長さも、
それぞれみんな同じということはありません。
その人にぴったりのバランスというものがあります。
他人の真似ではうまくいきません。
自分でいろいろ実験してみて、ここだというバランスを探してみてください。

この「着崩し」で、最も参考になるのが、前にも出しましたが、
「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンの着こなしです。
機会があれば、アン王女の着崩しの過程のみに注目して、
もう一度、映画を見てみてください。
最初はシャツをきっちり着ていますが、
ボタンをはずしたり、袖をまくったりと、
だんだん着崩していっている姿がわかります。


どうしてこうも、おしゃれにおいて、完璧を嫌うのでしょうか。
理由は、完璧ということは、防衛的であり、
行き過ぎた防衛は、攻撃になるからです。
完璧なものは近寄りがたいです。
触れようとは思いません。
声をかけることも、できません。
そして、たとえば、全身、それとわかるハイ・ブランドで固めたスタイルは、
防衛を通り越して、攻撃的にさえ見えます。
私たちは、その攻撃性を察して、近づかないのです。

「ローマの休日」を見ればわかるように、
完璧な着こなしのアン王女には、自由がありません。
誰かが声をかけるような、気軽さもありません。
しかし、着こなしが崩れていくとともに、
自由でのびのびと、楽しげになっていきます。
そして、新聞記者のグレゴリー・ペックとの関係も深まっていきます。

誰にも声をかけられないような完璧なスタイルは、
もうおしゃれではないと、おしゃれな人たちは気付いているのです。
バッグのチャームがキティちゃんだったら、
誰かが、
「それ、かわいいね」と声をかけるでしょう。
そこから話も広がります。
話しかけられるすきをわざと作る、
それがおしゃれなのです。

完璧なコーディネイトで街をただ1人で歩いても、
それでは意味がないのです。
服は主役ではないのです。
着ている人こそ、主役です。
主役に誰も声をかけないなど、考えられません。
砂漠で一人、ダンスをするのと同じです。
完璧すぎて誰からも声をかけられなくなったら、
服に主役を奪われたということ。
だったら、服からその主役の座を奪い返さなければなりません。
そのための1つの方法が「はずし」なのです。

客席から主役の衣装を点検するつもりで、
鏡の中の自分を見てください。
自分より出しゃばっている服はありませんか。
勝手に自己主張している服はありませんか。
そんな服は、主役の足を引っ張ります。
服はあなたより目立ってはいけないのです。
服はいつだって、単なる服です。
せりふを言うのは、あなたです。

☆写真:「ローマの休日」のワン・シーン。これ、色ついてますね。もう既に着崩したスタイル。最初はもっときっちり着ています。












2012年10月22日月曜日

冬のマリン


おしゃれに見えるということの条件の中に、
他人とは違ったものを着るという項目が、ひそかにあります。
他人とはちょっと違う格好をするだけで、
人目を引き、あ、おしゃれだなと思わせることができます。
この場合の「他人」とは、大多数の人、という意味です。

他人とは違ったものを着るためには、いくつかの方法が考えられます。
まず1つ目。
奇抜なデザインのものを選ぶ。
他人が着ないような、奇抜なデザイン、たとえば袖が4本あったり、
余計なところが膨らんでいたり、実用を完全に無視したような、
そういったデザイン、できれば有名デザイナーがデザインしたものを着る。
2つ目。
誰もが認めるおしゃれブランドの、それとわかるものを着る。
本当におしゃれかどうかはともかく、いわゆるロゴやブランド・マークが入った、
誰が見ても、あ、それ、○○だよね、とわかるものを着る。
3つ目。
デザインは何の変哲もない、しかも、有名デザイナーズ・ブランドのものでもないが、
その季節、ほかの人が着ないようなスタイルを、あえてする。

この3つのうち、 1つ目と2つ目は、お金が解決してくれます。
簡単と言えば簡単です。
お金だけの問題ですから。
では、お金がなくても他人とはちょっと違うスタイルにしたい場合、
どうしたらいいかという答えが3つ目です。
これはお金は別にかかりませんが、工夫とセンスが必要です。
そういう意味では、難易度は一番高い選択肢です。

この3つ目のスタイルとして、去年は「冬のホワイト」を取り上げました。
冬に真っ白いコートを着る人は少数派。
しかし、あえてそれを選択することで、おしゃれに見えるという方法です。

それと似たような方法で、冬のマリンがあります。
マリン、つまり海に関するスタイルは、どちらかというと、夏向きのものが多いです。
夏の湘南海岸にあんなに人がたくさんいたのに、
冬は閑散とするのと同じぐらい、
冬向きのマリン・ルックは、ぐっと少なくなります。
しかし、であるからこそ、冬のマリンはおしゃれに見えます。
みながこぞってマリン・ルックを取り入れる夏よりも、それは数段おしゃれ度が高いのです。

しかも、マリン・ルックというのは、案外、簡単に誰でも取り入れることが可能なスタイルです。
基本は、
紺色+白の2色、または紺、白、赤のトリコロールの3色で構成することです。
そして、この色の範囲を決して出ないようにして、
(靴とジュエリーは除きます)
そこにマリン・テイストのアイテムを加えます。
たとえば、ボーダー、ピーコート、アラン・ニット、デッキ・シューズ、セーラー・カラー、
水兵帽(船長さんがかぶるような帽子)などです。
それはほんの1点でも構いません。
けれども、厳格に色を絞ればマリン・ルックになります。
そして、全体のコーディネイトをする上で重要なのは、白をきかせること。
白い範囲があまりに小さいと、マリンにはなりません。
靴でもバッグでも帽子でもマフラーでも、白をきかせれば、それらしくなります。

一番簡単なのは、みんなが好きなボーダーのニットを取り入れることでしょう。
白と紺、あるいは白と赤のボーダーのニットを取り入れつつ、
全体の色数を絞る。
これだけで、立派なマリン・ルックです。

そして、この簡単なマリン・ルックですが、
実際、冬にやっている人は少数派です。
雑誌では見るけれども、本当にそういう格好をしている人は、ぐっと少ないと思います。
だからこそ、あえてするのが粋でおしゃれ、ということになるわけです。

確かに、世の中にはお金で解決できる問題がたくさんあります。
お金がたくさんあればそれで済むのに、と思うことも多々あるでしょう。
ファッションは、特にその傾向が強いです。
しかも、年々、その傾向は強まっています。

けれども、忘れないでください。
どんなにお金があったとしても、手に入れられないものもあるのです。
そして、お金で買えないものこそ、誰かに奪われることも、
劣化して捨てなくてはならなくなることもないのです。

ファッションは、そのための訓練をする場でもあります。
あえてお金で解決しない方法を選ぶことによって、
あなたの目に見えない口座に貯金がふえます。
その貯金の価値を、初めのころは気付かないでしょう。
けれども、数年たって過去を振り返ったとき、
ああ、あのときお金で解決しないでおいてよかったと思える日がきます。
それは誰にも奪えないもの、
誰にも真似できないもの、
欲しいと言われてもあげられないもの、
そして、あなたしか持っていないものです。

紺、白、赤をテーマカラ―としている方々は、今からどうやったら冬のマリンができるか、
考えてみてください。
それは、たとえば白いマフラーを付け足す、靴を白いスニーカーに変えるといったような、
簡単な方法かもしれません。
真冬の海岸線を散歩する、自分の姿が想像できたなら、
あなたのマリン・ルックもきっとうまくいくことでしょう。

追記:必ずしも紺色のアイテムを持っているとは限らないと思います。
その場合、紺を黒や濃い茶に変えてみても、変形マリン・ルックになります。
トリコロールがベストですが、そうでない場合、自分なりのマリン・ルックができないか、考えてみてください。

☆写真:「ベニスに死す」の ビョルン・アンドルセン。こんな姿を真冬に見たいわけよ。でも、こんな人はいません。



2012年10月15日月曜日

着回し

ワードローブの数をしぼり、少ない数で毎日のコーディネイトを考える上で、
着回し、すなわち、1つのアイテムをそのほかのアイテムとあわせて、
回して着ることは、必ず必要になります。

よく雑誌などで、「着回しアイテム」などといって、
ジャケットなり、スカートなりが紹介されていますが、
この前、そういった記事を見ていて、
そこには重大な欠落部分があることに気付きました。

これを読んでいらっしゃる皆さんも、
雑誌で「着回しアイテム」として紹介されているアイテムを購入したことがあるかもしれません。
しかし、それではたして、着回しできたでしょうか。
雑誌で紹介されているほど、うまくいかなかったのではないでしょうか。
それにはちゃんとした理由があります。

雑誌などで紹介されている「着回しアイテム」には、
それが着回しできるための条件があるのです。
そして大概、雑誌の記事において、その条件についてふれられていません。
その条件とは、
「ここで紹介しているワードローブ内において」、着回しが可能だということです。
つまり、雑誌で紹介されている、その組み合わせの中でのみ可能ということで、
それをほかへ持っていっても、可能かどうかはわからない、ということです。
これは、着回しをする上での絶対条件です。
この前提が欠けていたら、着回しはできません。

ワードローブは1つのチームです。
チーム全体で1つの働きをします。
ですので、ほかのチームのいかにも着回しできそうな、
万能選手がそのチームに入団したとしても、
チームの中での位置や立場がなければ、
使い物にはならないのです。
あちらのチームでは活躍していた、だけれども、こちらにきたら何の活躍もできなかった、
そういうことが着回しのアイテムについても言えるのです。

また、よく雑誌で紹介されている「着回しアイテム」は、
デザイン性の少ない、無難な感じのジャケットやパンツが多いですが、
だからといって、チームにふさわしくなければ、着回しはできません。
逆に、とても変わっているデザインの、あまり見たことがないようなジャケットだとしても、
それが、そのチームにふさわしければ、出番も多くなるのです。
それは、特異な才能の選手が、あるチームにおいて、大活躍するのと同じです。

そう考えると、着回しできるための条件は、以下のとおりとなります。
自分のテーマカラ―に合致していること、
自分のテイストに合致していること、
そのアイテムが好きなこと、
です。

最後の、「そのアイテムが好きなこと」は、一番重要な点です。
どんなに自分のカラーと合っていたとしても、
どんなに自分の好きなテイストと合っていたとしても、
どんなに雑誌でそのアイテムが推奨されていたとしても、
どんなにシンプルなデザインでも、
好きでなければ、それを週に何度か、着回してまで、着る気は起こりません。

皆さんも、自分が毎日選んでいる服をチェックしてみてください。
結局のところ、好きなものばかり着てはいませんか。
それが全体のコーディネイトから見たら、何かそぐわない点があったとしても、
また今日も同じものを着てしまう、
そんなことはないでしょうか。

好きには理由など、ないのです。
理屈では、それよりもいいジャケットがあるとわかっている、
それを着れば、何となくさまになる、
だけれども、やっぱりこのジャケットを選んでしまう。
理由はただ1つ、それが好きだから。
好きでないものを、着回しなどできません。

ファッションは、理屈をこえた世界です。
これが何となく格好よく見える、
これが何となく好き。
理由はない。
ただ好き、それだけです。

そして、その好きという感情は、どこからきたものでしょうか。
自分でもどうしてかわからない、だけれども、好き。
どうしてこんな変なものが好きなんだろう。
わからないけど、好き。
もっと違うものを好きになったほうがいいような気がするし、
みんなもそう言う。
だけれども、これが好きなの。
理由は、自分でもわからない。
いつもそんな調子ではないでしょうか。
自分の好きという感情を自分で選べたことなど、一度もなかったのではないでしょうか。

好きという感情は、自分で選んだり、決めたりしたものではないのです。
あなたより1つ上の世界の誰か、たとえば天使が、
あなたにそれを好きになるように、そそのかしているのです。
あなたは、キューピッドの矢に射られたごとく、
それを好きにならずにはいられません。
だから、自分では理由がわかりません。
だから、自分ではどうすることもできません。
好きという感情を、自分で選ぶことはできないのです。

これはほかの分野においても同じです。
とてもいいものでも、
どうしても好きになれないものがあります。
逆に、どうしようもないと思っても、
好きでたまらないものがあります。

何でも自分で決められると思っていたら、大間違いです。
私たち人間は、自分の「好き」という感情すら、自分で選べることができないのです。

あなたが毎日選ぶもの、そこには必ず「好き」という気持ちが必要です。
しかも、それは自分で選んだものではない。
自分で選んだものではない、その気持ちを自分自身に問うてみてください。
私はこれが本当に好きなの?
私はこれが本当は嫌いなの?
自分でもその理由はわかりません。
そのわからないものをわかろうとするところから、
自分の「好き」の追求が始まります。
そして、その「好き」の追求ができて、初めて「着回し」はできるようになります。

毎日毎日自分に問うてみる。
変化する自分の気持ちを追いかける。
理由もなく、ふいに、つき動かされるようにふれてみる。
それは、自分の「好き」を決めている、
上の存在の意向を知るための、永遠の訓練です。




2012年10月8日月曜日

若さと若づくりの境界線


「若さ」というものの価値に非常に重きが置かれている現代において、
洋服を着るという行為においても、「若さ」が要求されています。
若く見えることはいいことであり、
その反対に、年を取って見えることは、忌み嫌われます。
そして、「若さ」を追及し過ぎると、それは「若づくり」という名の、
非難すべき対象となり、これもまた、指さされ、冷笑される結果となります。

では、ファッションにおいて、「若さ」と「若づくり」の境界線とは、どこにあるのでしょうか。
まず、「若さ」ですが、単純に年齢が若いということ、
または、肉体や容姿が人々の想定する年齢より若く見えるということ、
そして、その肉体にふさわしいスタイルをしていること、
これらの行為を「若さ」と呼ぶでしょう。
そこには、何の作為もありません。
ただ、自分の肉体にふさわしい衣装をまとっただけです。

それに対して、「若づくり」とは、年齢が若くはないこと、
または、肉体が若くないにもかかわらず、
若い年齢、または肉体にふさわしい服装をすることを指します。
たとえば、よくあるのが、娘の服をそのまま着るお母さん。
高校生や大学生の娘の服を、それより20も、30も年が離れた女性が着ることは、
明らかに「若づくり」である行為です。
もう既にその人は、ティーンエイジャーではないのですから、
それを着るということには、何かちぐはぐな感じがつきまといます。
それはサイズだけの問題ではありません。
襟の大きさ、スカートの丈、色といったデザイン的なものから、
素材まで、ティーンエイジャーの肉体にはティーンエイジャーにふさわしいものがあります。
それを、その年よりずっと上の年代の人が着ると、
たとえサイズ的には何に問題がないとしても、やはりそれは無理があるのです。
肉体的には鍛えていて、10代と変わりなかったとしても、
肌の輝き、表情の陰影、選ぶ言葉、すべてが10代とは違うはずです。

「若さ」と「若づくり」の絶対的な違いは、
自分は若くない、と認識しているかどうかの差です。
年齢が若い人、または、肉体や容姿が若い人たちは、
自分のことを若くないなどとは、決して思わないものです。
それに対して、「若づくり」と言われる人たちは、
自分たちが若くない、そして若く見えたいという強い思いの裏返しとして、
自分たちとはベクトルが反対方向の「若さ」を持つ人々のための服を選ぶのです。
その、意識の差こそが、「若づくり」に見える原因です。

人々が冷笑するのは、その実際の服ではなく、
「若くないのに若く見せようとしてわざと若い人たちの選ぶ服を着ている」
という、その行為なのです。
若く見せようとして何をするつもりなの、
その欲望はどこに向かうの、という疑問が頭に浮かぶからです。

ここからは、私の考えです。
私は、ファッションには、年齢は全く関係がないと思っています。
そもそも、人の年齢を一律に同じように考えること自体がおかしいのです。
なぜなら、人の一生の長さは、みな違うからです。
100歳まで生きる人の50歳と、
50歳で死ぬ人の50歳では、意味が違います。
そして、それは決してみな同じではないのです。
生まれてからの年数だけが重要で、
その逆は見ようとしない年齢の数に多くの意味を与えるのは、
バランスを欠いた考え方だと思います。

そしてもう一つ。
「若さ」を追及した途端、すべての人は負けます。
なぜなら、人間は決して「若さ」に向かって歩いてはいかないからです。
「若さ」第一主義は、まず年齢が若い人に負け、
そして、自分の若かったころに負けます。
決してなれないものを目指したら、それはすべて負けであり、
永遠の自己否定です。

自分は若くない、若く見せなければと戦っている人の気持ちを、他人は読みとります。
自分で自分を否定した途端、他人もそれに賛成してくれます。
そうよ、あなたは若くないのよ、と。
若くないからこそ、そんな格好をするのでしょう、と。
そんなことを続けていても、おしゃれに見えるわけがありません。

いつでも今の自分が最高で、
自分の年齢を受け入れて、
自分を肯定した上での服選びをすれば、他人もそれは認めざるを得ません。
年齢を超越した、
自分自身への信頼があればこそ、その人はおしゃれに見えます。

ピナ・バウシュしかり、
フジ子・ヘミングしかり、
節子・クロソフスカ・ド・ローラしかり、
そして、晩年のオードリー・ヘップバーンだってそうです。
誰も「若さ」となど、戦っていません。

今の自分以外のものになろうとするのをやめて、
そのときの自分の最高のものを見せれば、
それだけでおしゃれな人になれるのです。
重要なのは、たったそれだけのことです。

自分以外のものになれというのは、社会からの脅迫です。
決してなれないものになれ、
それはファッション業界の合言葉です。
だけれども、そんな脅迫に負けてはいけません。
それを受け入れた途端、あなたは幸せから遠く離れます。
青い鳥も死にます。
時には、脅迫的な言葉を聞かないように、
耳をふさぎましょう。
この世界には、ノイズがあふれています。
あなたを自己否定に向かわせる周波数から、遠く離れるのです。
瀕死の青い鳥を救えるのは、あなた自身だけです。

☆写真:ユニセフの親善大使として活動するオードリー。画像はユニセフさんよりお借りしました。

2012年10月1日月曜日

ワンピース


誰だって、今日は何を着たらいいか、どうしても思いつかない日があります。
疲れてたり、急いでいたり、脱力していたり、
あるいは恋をしていたり(?)、
服のことなんか、思いつかない!
という日があることと、思います。

それでも何とか、クローゼットの前までいって、
何かをみつくろってみるけれど、
そういうときって、決まらないコーディネートしかできません。
そして、そのまま出かけてしまって、
少し冷静になって自分の姿をチェックすると、
何だかさまにならない組み合わせで来てしまったことにがっかりして、
1日じゅう、それが気になって、気になって仕方なくなってしまいます。
そういう日が年に何回かはあるはず。

そんなときの強い味方がワンピースです。
一番コーディネイトを考える必要がないアイテムは、ワンピースだと思います。
それはスーツやセットアップ以上です。
完璧なワンピースがあれば、コーディネイトを考える必要もないし、何より安心です。

もちろんワンピース単体で着られる日は限られていますし、
コーディネイトがいらないからといって、靴、バッグ、アクセサリーなどは何とかしなければいけません。
それでもなお、ワンピースには強い力があります。

服の歴史をさかのぼってみれば、どの地域においても、まずワンピース、
つまり1枚の布をまとうことが、衣服のはじまりです。
1枚の布を身につけるということは、着ることの根源であり、
衣服の基本中の基本なのです。
基本的なワンピース+装飾品というのが、長い間、装いの原型でした。
人間が、こんなに細かくいろいろなアイテムをそろえるようになったのは、
人間の長い服装の歴史からみたら、ごく最近のことです。
それまではずっとワンピースが主流でした。

ですから、まずは自分にぴったり合った、
そう、まるで自分のためにしつらえられたかのようなワンピースを選び、
似合う装飾品を決めておけば、
それは服の原型にそった、立派な装いであり、
まさにどこに行っても恥ずかしくない、正式なスタイルになります。

そしてもう一つ大事な点。
今のところ、ワンピースは、女子しか着ません。
いくらジェンダーをこえたファッションが出てきても、
いまだ、ワンピース(ドレスという意味で)を着た男性は、街を歩いてはいません。
女装の人を除いては。
そう、まさに女装。
ワンピースを着ること、それは女になることです。
女らしさを表現するのに、これ以上のものはありません。

ワンピースは、すべての女性のためのレスキュー・アイテムです。
何を着るか困ったとき、
疲れてしまったとき、
どうしていいかわからなくなったとき、
いやされたいとき、
助けてほしいとき、
あなたにぴったりのワンピースがあれば、
これほど心強いことはありません。

まずは自分のサイズにぴったりの、
そして着て心地よく、
見て美しく、
歩いて軽やかな、
あたかも女神になれるような、そんなワンピースを探しましょう。
そして、女神にふさわしい装飾品も、一緒に用意しておきましょう。
どんなときでも大丈夫と思えるような、
誰にも文句は言わせないわと思えるような、
そんな最強のワンピースを、少なくとも1枚は持ちましょう。

嵐がきても、雪が降っても、
疲れてもう一歩も歩けないと思っても、
哀しみで胸が張り裂けそうでも、
私たちは、休まず服を着続けなければなりません。
心が疲れて、先のことが考えられないとき、
あのワンピースさえ着ておけば、何とかなると思えることが、
あなたを救うかもしれません。
ばらばらのアイテムを、パズルのように、どのように組み合わせるか、
それについて考えることも重要ですが、
時には、そんなことは放棄して、楽な道を選びましょう。

楽な道を選んだとしても、
すてきなワンピース姿なら、けちをつける人は誰もいないでしょう。

衣服の服と、薬をのむときの服用の服とは、同じ意味です。
服はかつて、薬でした。
そう、きっと、ワンピースは、私たちのレスキュー・レメディです。

☆写真:ポール・スチュアートのノーブルなワンピース。トレンチコート、革のジャケット、ウールのロングコート、テイラードジャケット、ニットカーディガンなど、いろいろなものと合わせることが可能。
もちろん小物を変えればカジュアルにも、フォーマルにも対応できます。
気品のあるデザインなので、どこへ着ていっても、気おくれすることがありません。






2012年9月24日月曜日

カラーブロックと色のトーンについて


ここ最近、カラーブロックと呼ばれている、
2色構成のアイテムがいろいろ売られています。
スカート、ワンピース、コート、いろいろありますが、
最も多いのがニットでしょう。
特徴は単に2色を使うのではなく、どこかにラインが入って、
そこからぱっきり色が変わるということです。
ですから、今まであったような、
たとえば、黒いドレスで、襟と袖口だけが白、というようなものは、カラーブロックとは呼ばれていません。
あくまで色のブロックで構成されているアイテムをカラーブロックと呼んでいます。

大体のものは、シンプルな形に大胆なカラーブロックというデザインで、
今まであまり、こういうタイプのものはなかったことから、
市場にもたくさん出回るでしょうし、取り入れやすいアイテムではないかと思います。

では、このカラーブロック、どのように着こなせばよいでしょうか。
まず基本は、全体のコーディネイトを2色以内におさえるスタイル。
たとえば、紺とベージュのカラーブロックだったら、アクセサリーのゴールドやシルバーを除いて、
すべてこの2色以内で構成します。
コレクションなどで提案されているスタイルには、このやり方が多いです。
色見を最小限に抑えることによって、
シンプルなデザインでも、モードっぽく見えます。

次のスタイルは、3色以内に色をおさえるスタイル。
これがごく一般的でやりやすいスタイルではないかと思います。
鞄、靴、小物含めて、3色以内に抑えます。
いわゆる3色ルールの適用です。
この場合も、貴金属のシルバーとゴールドは除いても構いません。

さて、最後は上級者のためのスタイルです。
つまり、2色でもなく、3色でもなく、多色使いです。
もし、カラーブロックのニットなりワンピースなりを、3色以上のコーディネイトに落とし込むにはどうしたらよいか。
その答えは、使う色全体のトーンをそろえることです。
一般的にトーンは以下のようにわかれています。
ペール(うすい)
ライト(浅い)
ブライト(明るい)
ヴィヴィッド(鮮やか)
ライトグレイッシュ(明るい灰色がかった)
ソフト(やわらかい)
ストロング(強い)
ダル(鈍い)
ディープ(濃い)
グレイッシュ(灰色がかった)
ダーク(暗い)
ダークグレイッシュ(暗い灰色がかった)
(詳しく知りたい方はネットや、色見本帳などを調べてみてください)

もし、全体のコーディネイトを多色使いで構成したいなら、
すべての色のトーンを同じにすると、きれいにまとまります。
これは何もカラーブロックのアイテムを着るときだけに通用するものではなく、
ほかのどんなものの多色使いでも同じです。
柄物でもチェックでも、多色を使いたいなら、トーンを合わせると、
おしゃれに見えます。

しかし、これはとても難しいのです。
なぜなら、トーンがぴったり合わせられるのは、
同じブランドの同じシーズンのものぐらいであり、
ほかのものは全くばらばらだからです。
去年のもの、今年のもの、こちらのブランドのもの、あちらのブランドのもの、
同じブルー一つとってみても、すべてトーンが違います。
年代も違う、いろいろなブランドで、すべて同じトーンでワードローブをそろえるというのは、
至難の業です。
その結果、同ブランドの同シーズンもの以外で多色使いをしようとすると、
色のトーンが違ってしまい、印象が散漫になります。
それはごちゃごちゃしたイメージで、色のハーモニーがありません。
落ち着きない感じがして、美しさからは遠ざかります。
結果的に、おしゃれには見えなくなります。

黒ばかりの服が流行した時代、
色に対する感性はかなり落ちたと思います。
黒だけは、トーンの外側の色です。
もちろん黒も一色ではなく、
墨色のような黒とか、漆黒の黒など、あるわけですが、
ヴィヴィッドな黒やグレイッシュな黒はないのです。黒は黒でまとめれば事足りました。

今また、色に対する感性が問われています。
さぼった分、勉強しなおさなければなりません。
黒ばかり着ていた人が、
色ものを選んだ途端、全くおしゃれに見えなくなった例を何人も見ました。
黒ばかり選んでいる間に、
色を選ぶ眼力が落ちたのです。
いつまでも白黒映画を見ているような、そんな世界に、
いきなり鮮やかな色があらわれても、それにはついていけません。

服ばかり見ていたら、色の勉強にはなりません。
優れた美術やデザインを見て回るのもいいでしょう。
しかし、最も多彩で完璧な色合いをしているのは、自然界です。
自然ほど、完璧なトーンで構成された世界はないのです。

これから、多色使いのスタイルがどんどん提案されていくことと思います。
それに追いつくためにも、今からでも遅くはないので、
色について学びましょう。
色についての理解を深めれば深めるほど、
あなた自身の住む世界の色も多彩になります。

今までは虹を3色でしか認識しない世界に住んでいました。
しかし、これからははっきり7色に見えるよう、目を鍛えましょう。
虹がはっきり7色に見えるようになれば、
虹のふもとにあると言われている黄金の壺が見つかるでしょう。
それは、あなたが世界にどれだけの色を発見するか、
その一点だけにかかっています。
虹の向こうにいかなくても、
あなたの世界は色づいて、かがやき始めるでしょう。

☆写真:Garnet Hillのカタログより、カラーブロックのニット。







2012年9月17日月曜日

ダウンコート、ダウンジャケット

スポーツ・ウエアから始まったダウンジャケットやダウンコートは、
小さな子どもからお年寄りまで、幅広い年代が着用するアイテムとなりました。
まず第一に暖かい、そして軽いというのが、これだけ広がった原因だと思います。
どんなに分厚いウールのコートを着ても実現することのなかった暖かさが、
ダウンを着ることにより、簡単に手に入れることができました。

最初にダウンジャケットをモードに進化させたのは、
私の記憶するところによると、90年代のヨウジ・ヤマモトだと思います。
ウールギャバで作られた、
その彫刻的なダウンジャケットは、今までのスポーツウエアのダウンジャケットの概念を覆すような、
そして、確かにそれまでは存在しなかった、新しいモードでした。
なぜそのことをはっきり覚えているかというと、
私の友達が、その紺色のウールギャバのダウンジャケットを、大枚はたいて買ったからです。
(もちろん、彼女のお給料の半分以上の額でした!)

90年代、いきなりモードの世界にあらわれたダウンジャケットでしたが、
なかなかその追随はあらわれませんでした。
そのため、多くの人は、モードの側に近づいたスポーツウエアとしてのダウンジャケットを着始めたと思います。
それから20年近くたって、やっと最近、おしゃれとしてのダウンジャケットやコートが出てくるようになりました。

しかし、それでもダウンジャケットやダウンコートをおしゃれに着るのは難しいです。
その一番の理由は、あのボリューム感。
まず、やせて見える、などということはありません。
また、コートの場合、ボリュームはすそのほうまで続くので、全体のバランスがとてもとりにくい。
ちょっと失敗すると、寝袋を着て歩いているようになってしまいます。
そしてもう一つの点は、誰もが似てしまうということ。
黒い腰下までのダウンジャケットなど、後ろ姿は男も女も変わりません。
では、どうしたらよいでしょうか。

私も、冬になり、街に出ると、
誰か素敵なダウンコートやダウンジャケットを着ていないかなと、
周りをチェックしながら歩くのですが、なかなか、これはというデザインのものに出会ったことがありません。
もともと、優れたデザインのダウンコートもジャケットもとても少ないのです。
けれども、あの軽さと暖かさは、一度知ってしまったら、手放せない。
そこで考えたのは、以下のとおりです。

まず最初に、優先順位を決めましょう。
防寒なのか、おしゃれ着なのか。
まず、防寒のためと割り切ったら、おしゃれには目をつぶる。
あたり一面の雪の中やスキー場、
誰もいない真夜中の街のようなところで、
おしゃれを最優先させることはありませんから、
その場合は、防寒第一に考えて、ダウンジャケットやコートを選ぶ。
そして、「暖かさ」が第一と決めたなら、その点は妥協しない。
そんなふうにして選ぶといいと思います。

次に、ダウンだけど、おしゃれに見えるためと決めたなら、
多少の機能性はあきらめる。
この丈だと、背中がちょっと寒いとか、ダウンの量が少ないとか、
おしゃれに見せるために、いろいろ欠点が出てきます。
けれども、「おしゃれに見せる」を最優先させるなら、そこはこだわらない。
この2つをどちらも望むと、結局、中途半端なものを買うことになってしまいます。

ダウンジャケットやコートをおしゃれに見せるために、まず気をつけるべきことは、
自分の身長とのバランスです。
日本の既製服の設定身長は163センチぐらいだと思います。
しかし、多くのダウンコートは、163センチの人がヒールの靴をはいて、初めてよいバランスがとれるようにデザインされているように思います。
そうなると、それより小さい身長で、フラットの靴をはくとなると、
もうそれだけでバランスは崩れます。
まず、試着するときは、冬用の靴とコートのバランスをチェックしましょう。
そのとき、下のほうにボリュームが出て、
何となく重たく感じるものは、あまりおしゃれには見えません。
いくらコートが軽くても、それだけで太って、重たそうに見えます。
特に、背の低い方は注意です。

また、ダウンジャケットやコートは、そのデザインをステッチをかけることで表現しています。
ステッチの入れ方によって、印象を変えているのです。
ステッチを入れることによって、ウエストを高くし、しぼることにより、
全体でAラインのシルエットを作っているものもあります。
そういったステッチの入っているものは、全体的にすっきり見えますし、
バランスもとりやすいでしょう。
ステッチがない場合でも、ウエストにベルトがついているものもあります。
ベルトつきダウンも、ボリュームを減らしますので、こちらもお勧めです。

最後に素材ですが、おしゃれ用として着るなら、
表地の素材の光り方にも注意してください。
サテンのような美しい輝きならよいですが、
ビニールのようだと、安っぽく見えます。
光り過ぎない適度な光沢のものを選びましょう。
その中でも、ウール素材(またはウールに似せたものなど)は、ダウンの中でも、都会的でおしゃれに見えるものです。
自分の身長にぴったり合うものが見つかったら、そちらを買うとよいでしょう。
割合、どこに着ていってもおかしくない、ウールのコートに劣らない品があるアウターだと思います。

着こなしですが、ダウンのボリュームが大きいほど、そのほかのインナーやボトムはコンパクトにしましょう。
逆に、ダウンベストや小さめのジャケットだったら、ボトムにボリュームスカートを持ってくることもできます。
とにかく、全体で一定のボリューム以上は作らないようにすること。
ある限度をこえると、とたんに太ってみえるので、注意してください。

実際のところ、ダウンジャケットやコートは、まだ発展する余地があると思います。
シルエットが大きいものに変化していくこの時期から、
デザインのバリエーションも広がっていくことでしょう。
まだまだ過渡期なので、今は練習段階です。
そしてもう少しデザインが洗練されていったら、それこそイブニングにもふさわしいような、
ゴージャスなダウンコートがあらわれるのではないかと思います。

軽さ、暖かさ、快適さ、
これらは人をリラックスさせます。
自分にぴったりのバランス、ボリューム、素材感のダウンが手に入ったら、
そのリラックス感も手に入れられるのです。
重いコートを引きずって、冷たいアスファルトの上を、
ぎりぎりの体力で、歯を食いしばって歩く時代は終了しました。
無理をすることがファッションだと教えられてきましたが、
きっと、そうではない道があるのです。

深夜近くの満員電車、
蛍光灯の光に照らされた、疲れ切った顔が正面の窓ガラスに写っていました。
そこには、リラックスなど、ありませんでした。
そうでないといけないと信じこまされてきたけれど、本当はそうでなかったのです。
太陽の下、明るい顔で、冬の冷たさなど、あたかもないかのように、
重いコートの重圧から解放されて、
軽やかに冬の街を歩きましょう。
ダウンコート、ダウンジャケットは、そんなときにうってつけのアウターです。

2012年9月10日月曜日

ボーイフレンド・スタイル

服全体のシルエットが大きくなってくると、
ボーイフレンド・スタイルが復活してきます。
ボーイフレンド・パンツ、
ボーイフレンド・シャツ、
ボーイフレンド・ジャケット、
ボーイフレンド・セーターなどなど、
あたかもボーイフレンドから借りたような、
自分のサイズよりは大き目の服のことを、こう呼びます。
では、なぜ単なるビッグパンツでも、ビッグシャツでもなく、
「ボーイフレンド」なのでしょうか。

勘違いしないでほしいのは、
ボーイフレンド・スタイルは、女らしさを感じさせないようにする、
あたかも少年っぽく見せるスタイルではないということです。
ボーイフレンド・スタイルだから女っぽく見えない、
ボーイフレンド・スタイルだから男の子っぽい、
そうではないのです。
その逆に、ボーイフレンド・スタイルは、女らしさを際立たせるために用いる、
ファッション独特の手法です。

おしゃれに見えるスタイルは、常にバランスがとれています。
色のバランス、
分量のバランス、
古さと新しさといった、具体的に目に見えるバランス。
それと同時に、フェミニン、マスキュリンといった、何となく、そんな雰囲気というような感性のバランスも、常に崩れないようにします。
そんなとき、行き過ぎた女らしさや、男のようなスタイルは、好まれません。
女らしさだけを強調するスタイル、
たとえば胸を必要以上に強調したり、
くっきりボディラインを見せたり、
スカートを短くするようにといったスタイルは、
女性の体の強調であり、見せつけではあっても、
それを「おしゃれ」とは呼びません。
それらが意図するものは、ただ1つのことであり、
おしゃれとは違うものだからです。
そして、即物的な、そのやり方を、おしゃれな人々は嫌います。
なぜなら、そこには想像する余地がないからです。
ミステリアスではない、そんな、これ見よがしの、もの欲しげなスタイルでは、
相手を魅了することはできません。


ボーイフレンド・スタイルとは、女性らしさを表現するための、
わざと反対のベクトルを使うおしゃれのテクニックの1つです。
ボーイフレンドのようになるのではなく、
ボーイフレンドのアイテムを使って、女性らしさを作ります。

ここまで書いたら、具体的な取り入れ方はもうおわかりでしょう。
ボーイフレンド・スタイルを取り入れるときは、
決して、ボーイフレンドのように、少年のように、男のように、ならないこと。
大きめなシルエットの中で、きゃしゃな体が泳いでいる、
その姿がかわいらしく他人の目には映ります。
ボディラインがわからないから、ボディラインを想像させることができます。
男っぽいものを着ているからこそ、女らしさを感じさせます。
女らしさと、着ているものの男っぽさ、そのギャップこそ、
おしゃれに見えるポイントです。
だから、すべてを男仕立てにして、
振る舞いや言動まで、男のようだったら、
ボーイフレンド・スタイルは台無しです。
ボーイフレンドアイテムを1点取り入れる。
そして、必ずどこかに女性しか身につけないようなものを入れる。
たとえば、ピンヒールだったり、
パールのピアスだったり、
真っ赤な口紅だったり、
わざとボーイフレンドとは一番遠いものを持ってきます。
そして全体のバランスをとり、女性らしさを演出します。

おしゃれとは、一種の頭脳ゲームです。
他人にどう見られるか、ではなく、
他人にどう見せるか。

主導権はいつも自分が握ってなければいけません。
よくしつけられた犬のように、
あなたは服に着られるのではなく、
服を手なずけなければなりません。

そのために必要なのは訓練だけ。
毎日の訓練の繰り返しをすれば、
思い通りに行動する犬のように、
洋服は、あなたの忠実なしもべになるでしょう。
リードするのは、いつでもあなた自身です。

☆写真:ボーイフレンド・スタイルとはちょっと違うけど、ユニセックスな着こなしのジェーン・バーキン。
ポイントはかごバッグ。




2012年9月3日月曜日

抜け感

雑誌のスタイリングを見ていると、
「抜け感」という表現が出てきます。
これは、肌の露出が多い春夏にはあまり出てこない言葉なのですが、
秋を過ぎたあたりから、急激に言われ始めます。
この「抜け感」とは何でしょうか。
どこにも正確には定義されていないでしょうし、
感覚的なものなのですが、簡単に言うと、
ずっとつながっている部分からの「隙間」というような意味です。
「抜け感」のスタイリングですが、基本は、首、手首、足首を少し出すことを言います。
たとえば、首だったら、タートルネックではなくVネック、
袖は七分丈、
パンツはクロップトパンツなど、
隠してもいい部分、本当だったら覆われている部分をあえて出す、そのことを「抜け感」 と呼んでいます。
そのほかの部分でも可能なところもあります。
例えば、半そでに長い手袋など。
ただし、「抜け感」とは呼ばないものがあります。
それは、あいている胸元、ダメージジーンズから透けて見える肌、ミニスカートとニーハイソックスの間、これらは「抜け感」とは呼びません。
エロを感じさせたら、「抜け感」ではないので、そこは勘違いしないようにしましょう。

ではこの「抜け感」、なぜ必要なのでしょうか?
「抜け感」が表現するのは女性らしさの一種です。
その証拠に、男性のスタイルで、「抜け感」は要りません。
短い袖に短い丈のパンツだったら、ミスター・ビーンになってしまいます。

「抜け感」を取り入れると、
女性の無防備な感じが表現できます。
つまり、そういった、一つ抜いた感じがないと、そのスタイルは無防備とは逆の、防衛的スタイルに見えるのです。
たとえば、体型を隠したいがために、全身くまなく布で隠してしまう、
または寒いから、 とにかく全身をくるむ、
それはいろいろな意味で防御のためのスタイルです。
そこに隙はありません。
その隙のなさが、かたくなに見えます。
かたくなな女性には、かわいさはありません。
一方、どこか肌が出ていると、見ているほうは、防衛心が感じられず、
リラックスして、ほっとします。
「抜け感」は、相手が安心して話しかけてもいいような雰囲気を作りだすためのテクニックです。

取り入れ方ですが、
基本は、首元を見せる、手首を見せる、足首を見せるです。
もちろん素肌のほうが、より「抜け感」がありますが、
真冬の寒いときなど、足もとだけシアーなストッキングをはくだけでも、かなり違います。
また、首はVネックで、その上からスカーフをまき、
小さく三角形に素肌が見えているだけでも、十分抜けた感じになります。

「抜け感」は、同時に垢ぬけた感じを出します。
おしゃれを知っているな、
よく研究しているな、
ただ、服を着ているだけではないな、
という感じを相手に与えます。
ほんのちょっとの工夫ですが、相手に与えるイメージをコントロールできます。

今年(2012年)の秋冬は、足首を見せるクロップト丈のパンツのバラエティが豊かです。
一番簡単に取り入れられるのが、パンツだと思います。
もちろん、自分で長いパンツを丈詰めしてしまっても構いません。
鏡の前で、必ずはく靴のヒール丈にあわせて、
くるぶしがどのように見えるのが一番よいか、研究してから切ってください。
フラットな靴とヒール靴では、切る位置が違ってきます。

おしゃれのコツは、知ってしまえば、何ていうことはありません。
本当に「たったそれだけ」のことなんです。
それを知らないがために、うまくいかないだけのこと。
だけれども、知ってしまったら簡単でしょう?
いつでも、知っているだけで、実践しなかったら、それは知らないと同じことで、意味がありません。

ここでこうしてブログを読んでいるだけではなく、
明日から早速取り入れてみてください。
知識を実際に実践してみたこと、それがあなたのおしゃれ力になります。

2012年8月27日月曜日

季節感

 


おしゃれに見せる大事なポイントの1つに、「季節感を早めに取り入れる」という暗黙のルールがあります。
おしゃれと感じさせる人たちは、季節をいつも先取りして取り入れるのです。
その逆に、おしゃれにはあまり関心がないのだろうなという感じの人たちは、季節感がありません。
春なのに、いつまでも重いコートを着ていたり、秋なのに、トロピカルプリントのサンドレスを着ていたら、そのコートやドレスがいかに素敵なものであっても、おしゃれには見えないのです。

特に日本では四季を大切にします。
だから寒くても春の、暑くても秋の服装にかえることを好みます。
多分、このルールは着ものの世界のほうがもっと厳しいでしょう。
季節ごとに花や柄が決まっていて、その季節とは違う時期にその柄を着ては、いけないことになっています。

そうはいっても、最近の長い夏や、遅めの春には、9月だからすぐ秋に、3月だからすぐ春にと、着るものを変えられないのが現状です。
9月1日が過ぎても、まだまだ残暑は厳しいですし、4月1日を過ぎても、ストーブをつけたい日はたくさんあります。
ちょっと昔は、それでも、早めに衣替えしてしまって、やせ我慢をして、気温にあわない服装をしていました。特におしゃれな人たちは、率先して、季節を先取りしていました。
けれども、さすがに最近は、それも無理なほどの気温の高さ、気温の低さです。
では、どうしましょうか。

今までの季節感というものは、主に素材で表現されてきました。
春夏はコットン、麻など涼しげな素材、秋冬はウールなど、暖かい素材。
つまり、衣替えとは、素材の変化でした。
素材の変化は、主に季節の気温の変化に対応するものです。
しかし、気温が変化しない今、素材を変更して季節感を表現するのは無理があります。

素材がだめなのですから、できるのははシルエットや形、または色ということになります。

まず、シルエットや形ですが、
春から冬にかけてだと、コートの形が変化します。4月を過ぎてもダッフルコートはおかしいです。

トレンチコートやステンカラーのコート、そしてピーコートも素材違いなら、春向けになります。
それ以外のインナーやボトムスのシルエットは、冬と春では変わらないので、そのままでいいでしょう。

夏から秋にかけてですが、
ここでは若干のシルエットの変化があります。
夏にコートは着ないので、コートは問題ありませんが、半そでやノースリーブ、またはサンドレスや、リゾート向けのドレスは、やはり夏をイメージさせます。
(リトルブラックドレスやニットのツインセットの半そで、ノースリーブはこの限りではありません)
どこが線引きかわからない場合は、リゾートに似合いそうとか、海辺の町に似合いそうというものは、夏のシルエットということです。

最後に残ったのは色です。
一番簡単なのは、春なら春色を、秋なら秋色を取り入れることだと思います。
その場合、素材は前の季節のものをそのまま引きずっても構いません。
4月に入ってもまだ寒いのだったら、ウールでもかまいませんし、 9月に入っても、暑い日々が続くようだったら、コットン、麻でもいいのです。
特に最近の麻は、昔と違って通年着られる素材になってきましたので、気にすることはないでしょう。

春の場合は、ダークだった色合いが明るくなります。
秋の場合は、その逆に、明るい色合いがダークになります。
もちろん、全身すべて色合いを変えれば、一気に季節が変化したようで、すごくおしゃれに見えますが、なかなかそれは難しいので、まずは小物、アクセサリー、靴、鞄など、小さい面積から季節感のある色を取り入れていくといいでしょう。
たとえば、9月に入って、今までジーンズに白いTシャツをあわせていたのを、ダークな茶色や紫など、秋を思わせる色に変えるだけで、全体の雰囲気は変わります。
そしてもう少し涼しくなったら、足もとをブーツにかえれば、同じジーンズでも、それは秋冬モードに早変わりです。
持っているアイテムを、自分がもういいかなと思う時期より、気持ち早く取り入れる、
そうすると、それは人々の目にも新鮮にうつり、結果的におしゃれに見えます。

おしゃれとは、印象の操作です。
同じコットンでも水色だったら夏っぽく見えるし、ダークブラウンだったら、秋っぽく見えるのです。
その操作の仕方を知っていればいいだけの話です。
そのために必要なのは、いつだって、知恵と工夫です。
どんな高価な服を持っていてっも、
どんなにたくさんの服を持っていても、
その知恵と工夫には負けるのです。

本当の安心は、たくさん持つことではなく、
知恵を身につけ、工夫することを怠らない努力から生まれます。
それはお金では買えません。
お金で買えないものは、他人から奪われたり、壊されたりしません。
それは形としては見えないけれど、
見えないナイトのように、
ずっとあなたを支え続けてくれます。
そして、それはものを抱え込むよりも、ずっと安心なことなのです。



2012年8月20日月曜日

ヴィンテージ


ヴィンテージ、またはヴィンテージ風のものが最近、流行しています。
ヴィンテージを取り入れることによって、いろいろな効果が生まれます。
まず1つは、オリジナルということ。
ヴィンテージは、ほぼ1点ものです。
ですから、ほかの人とかぶるということがありません。
現在のような、大量に同じ品物が出回る時代において、手軽に1点ものを取り入れられるということは、着る人のオリジナル性を出すのに役立ちます。
次に、その風合いです。
新しいものと違って、ヴィンテージには年代を経たものが持つ、独特の親しみやすさがあります。
また、大事に着続けられてきたものだけが持つ、一種のはかない輝きも、特徴ではないかと思います。
ノスタルジックなはかなさが、着る人のセンスのよさをあらわします。
それはぴかぴかした新品の服にはないものです。
人は、すべてが真新しい空間にいるときに、何かそわそわしてしまうように、
新しいものだけのスタイルも、ほんの少しですが、居心地が悪いのです。
ヴィンテージを取り入れたスタイルは、なじみのカフェでくつろぐような、
リラックスした雰囲気を着る人に与えてくれるので、誰からみても親しみやすくなるでしょう。

また、いつも書いていることですが、
洋服のスタイリングはバランスが最も重要です。
新しいものだけではなく、古いものも取り入れないと、全体のバランスが悪いのです。
ですから、その全体のバランスをとるためにも、ヴィンテージは使われます。

ただ、ここで問題があります。
ヴィンテージを選ぶのは、とてもとても難しいのです。
私もロンドンなどに行ったとき、必ずヴィンテージショップへ行って、見てはみるのですが、
今まで一度も買ったことがありません。
ずいぶんと丁寧に、スカーフの一枚一枚までも吟味するのですが、これがなかなか買えないのです。
なぜかというと、そのヴィンテージの服や小物が持つ、目には見えない歴史の部分が感じられて、
おいそれと自分のものにしたいとは、思えなくなってしまうからです。

人には五感があります。
目に見えるもの、
さわる感触、
香り、
聞こえるもの、
味覚。
このうち、洋服を選ぶときに主に使うのは見た目と、感触でしょう。
(少しばかり、においというものもあります)
だけれども、ヴィンテージを選ぶときは、この五感をこえた、目に見えない、
さわってもわからない、その服が持っている歴史、層、レイヤーも重要なのです。
それは見えないし、さわってもわからない。
けれども、たしかにそこにある、それ以上の情報。
ここのショップに来る前に、
あの小高い丘の貴族の館に住んでいた、
美しい貴婦人が、
いつも散歩をしていたときにかぶっていたしゃれた帽子。
その貴婦人は、貴族の末裔ではあったけれども、
つつましく暮らしていて、つい最近、ひっそりとこの世を去っていった。
そのとき、婦人の部屋のクローゼットに大事にケースに入れられてしまってあった、その帽子。
それが今、このショップにあり、私が目で見て、手で触っているもの。
これは、ただの古い帽子ではない。
あの美しい貴婦人が大好きだった帽子。
こんなふうに、ヴィンテージには、その背景に物語があるのです。

私たちはサイキックではないので、さわっただけで、この情報のすべてを感じとるわけではありません。
けれども、何かがわかるのです。
このものが持っている、感情や思いが。
それは誰にでもある経験だと思います。

だから、ヴィンテージのものはなかなか買えません。
手に撮った瞬間、うん、大丈夫だ、いい気分がすると断言できるものでないと、
自分のたんすに入れるわけにはいきません。

では実際、どうやってヴィンテージを選んだらいいでしょうか。
まずは、信頼できるショップをみつけること。
信頼できるオーナーを見つけて、その人が選んだものなら大丈夫と思えるものを選ぶこと。
そういったショップは、余り規模が大きくないですから、少数精鋭の品ぞろえでしょう。
その中から、何度も通って選ぶこと。
そして、ほんのちょっとでも、何か違うかも、と思ったら、決して買わないこと。

また、なるべく先によいものを見ておくこと。
外国に行ったら、服飾博物館を訪れて、展示品を数多く見ておくこと。
ある程度、目が肥えてから、実際に買いに行くとよいでしょう。

次、もう本物のヴィンテージを買うのはあきらめて、
ヴィンテージ風のものを選ぶ。
新品ではあるけれど、古い感じが出ているものは、それだけでリラックス感があります。
そういうものを1つ取り入れると、全体として、スタイルがしっくりくるでしょう。

見えたり、触ったりしたものの先に、見えない、触われない情報がある。
これは、何もヴィンテージに限ったことではありません。
本当はどんな新品の服にも、見えない情報があります。
誰が、どこで、どんな環境で、どんな気持ちで作ったか。
生産されたものは、すべてこの情報を持っています。
プレタポルテという、既製服がこの世に出てから、
この情報は限りなく買う側から遠ざけられて、わからなくなりました。
大量消費時代になった現在、隠されている情報はたくさんあります。

見えるもの、さわれるものに惑わされないで、
それ以上の情報を探索してみましょう。
どんなものにもそれがあります。
それは人でも同じです。
見た目、
語られた言葉、
つけている香り、
それらは、いとも簡単に人をだまします。
そろそろ私たちは、それ以上の情報を知る能力を開発したほうがよさそうです。
ヴィンテージを選ぶとき、あなたも試してみてください。
見えないものが、そこにあると感じるかどうかを。
そしてそれがわかる自分であるかどうかを。

☆写真:これは私のヴィンテージ。70年代のウンガロ(日本製)のヴェルヴェットジャケットと、70年代のグッチの鞄。名づけて銀座ルック。都会に行くときしか使いません。ジャケットは母が着ていたもの、グッチは父がヨーロッパから買ってきたもの。本当はこれにエルメスのスカーフもあるけど、恥ずかしくて身に付けたことがないです。お店で買わなくたって、家にだってヴィンテージのものがあるはず。それをうまく使うのが、本当は一番のお勧めです。


2012年8月6日月曜日

ビッグ・シルエット

今の季節、雑誌はもう既に秋物の特集ですし、店頭にもちらほら秋物が並び始めました。
2012年の春を境にシルエットが変わってしまったわけですが、
秋冬に向かって、その変化は加速し、どんどん形が大きくなってきました。
タイトなシルエットからビッグ・シルエットへの移行です。
もちろんすべてのアイテムがビッグになるわけではありませんが、
コートを中心としたアウターは間違いなく大きくなるでしょう。

さて、ビッグ・シルエットの流行は80年代半ばから90年代にかけてもありました。
あの時代、シャツ、パンツ、スカート、コート、すべてのアイテムが大き目に作られていました。
(このおかげか、今ほどダイエットがブームではなかったと思います)
「大きいことがかっこいい」、そんなふうに見えるのが80年代、90年代でした。
では、この80年代のビッグ・シルエットとこれからやってくるビッグ・シルエットは同じなのでしょうか。
答えは、違います。
今年から始まるビッグ・シルエットは決して80年代と同じではありません。
よって、80年代、90年代のコートを掘り出してきて、そのまま着ても、今風には見えません。
ではどこが違うのでしょう。

皆さんは、80年代、90年代のファッションを覚えていらっしゃいますか?
80年代生まれだったら、覚えてないかもしれませんね。
けれども、それより前だったら、まだ記憶があるはずです。
あのころ、日本人デザイナーたちが一世風靡したそのシルエットは確かにビッグでした。
ビッグで、黒く、そして四角いものでした。
この形のバリエーションが80年代に流行した日本発のファッションです。
ポイントは「四角」です。
四角いシルエットを作るために、パターンからは曲線が消え、肩線は丸みを消すために、
分厚いパッドが入れられました。

私がちょうどアパレルで働いていた90年代は、まだまだ肩パッド全盛期で、
パッドなしのジャケットやコートなど、考えられない時代でした。
肩が丸いラグランスリーブにさえ、無理やり肩パッドが入れられました。
ふわふわのワンピースでさえ肩パッド入りでした。
とにかく、シルエットが四角くなければだめだったのです。

あの頃のデザイナーたちは何を目指していたのでしょう。
黒く、四角く、骨ばって、ノーメイクで、平らな靴。
あのころ、強調されたのは、こういった女性のマスキュリンのサイドでした。
四角い服や、固い肩パッドは、女性の丸みを消すためのもの。
パステルカラーは封印され、黒や紺といった、影のような、そして制服のような色がよいとされました。
そこには、スイートのかけらもありません。
甘いものなど忘れて、ハードさが求められました。
それを象徴しているかのように、最も流行った日本のブランド名は、
「少年のように」でした。

けれども、今年から始まるビッグ・シルエットは違います。
誰も、少年のようになれなどと、言いません。
あのときから閉じ込められた、女性的な体が復活します。
今回のビッグ・シルエットは、女性の体を隠すためのものではなく、
その体をより美しく見せるためのものなのです。

実際の大きな違いは、まず肩パッドでしょう。
似たようなビッグ・シルエットのコートでも、2センチもするような肩パッドは入ってないはずです。
入っていたとしても、ごく薄いものでしょう。
ジャケットも同様です。
もう2センチ肩パッドのいかり肩には戻りません。
つまり、もう四角ではないのです。
丸い曲線が入ります。

またただのビッグではなく、装飾的にも大きくなるでしょう。
ドレープ、フリル、タックなど、布をたくさん使い、たたむことによってシルエットを作ります。
80年代の、北風に負けないための壁のような衣服ではなく、
風が吹いたら、それに揺れる服です。
それは女性の肉体をより美しく見せるためのものです。

また、80年代はビッグ・シルエットに必ずマニッシュな靴をあわせましたが、
今回は、そうはならないでしょう。
もちろん、シルエットが大きくなった分、スーパー・ハイヒールをあわせる必要もなくなったわけですが、だからといって、ヒールの靴はなくなりません。
これからのビッグ・シルエットは、最後のバランスをヒールの靴を合わせることによって完成させるものが数多くあります。
ヒールの靴というものは、やはり洋服にとっては、女性性の象徴なのです。
ですから、その象徴はこれからも使われます。

確かに、女性が男性のような服装をすると、魅力的に見えることもあります。
シェイクスピアの芝居の中の、
「ヴェニスの商人」のポーシャも、「十二夜」のヴァイオラも男装していました。
けれども、それは物語の中の困難を乗り越えるためにとりいれたもので、
最終的な目的ではありません。
ポーシャもヴァイオラも、最終幕の最後の場面では、ドレスを着てでてきます。
彼女たちは、男性のように生きるために男装したのではなく、
女性として、女性らしく生きるために、その手段として途中で男装しただけです。
決して、男のようになりたかったわけではありません。

裸になって、深い海に潜って、意識の中から捨てたものを拾ってきて、
海面に浮かびあがったら、
まるでボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」のように女神が生まれるのです。
今、私たちがそれぞれやる作業は、まさにそのことです。
捨てろと言われた、
捨てるのが格好いいと言われた、
捨てなければいけないと思わされた、
その捨てたものを拾ってきて、再び思い出すときです。
それをしないと、深い海の底から、死んだと思っていた、自分の一部が暴れ出し、
嵐をおこして、あなた自身に復讐します。
なぜなら、それは決して死なないから。

本当に今年からの数年間、あらわれるファッションは楽しみです。
やっといろいろな呪縛から解放されます。
その呪いは人それぞれだと思いますが、
何より一番大きなものは、あなた以外のものにならなければいけないという呪いでしょう。
もう自分以外のものになるための努力はやめましょう。
もうそんなことをしても無駄だって、わかったはずです。
そして、ファッションを利用しましょう。
少年のようになるためにではなく、
自分自身になるために。








2012年7月30日月曜日

グレージュ


去年ぐらいからでしょうか、グレージュと呼ばれる色のものがでてきました。
実際には、グレイッシュ・ベージュを誰かが略して呼んだものだと思いますが、
要するに、グレイがかった、ベージュということで、
イエローに黒を混ぜ、グレイッシュにした色全体のことを呼んでいます。

これは鞄や靴といった、皮革製品から広がったのではないかと思いますが、
今年になって、普通の布帛や、ニットといった、日常に着るものまで、
このグレージュのものが増えてきました。

通常ですが、
大体、アイテムをそろえるとき、黒系統、または茶系統に統一すると思います。
もちろん、茶も、黒も、ということもあり得ます。
そんなとき、このグレイがかったベージュはとても便利です。
というのも、茶にも、黒にも、どちらにも自由に合わせられるからです。

本当は、黒なら黒、茶なら茶と、カラースキームを統一して、色目を少なくするほうがエレガントです。
しかし、洋服は色だけでコーディネイトを作るわけではありません。
シルエットやバランス、気候による寒さや暑さ、どういった場面かなど、
考慮する点がたくさんあります。
そうなると、鞄や靴、小物など含めて、必ずしも黒だけ、茶だけでコーディネイトすることは難しくなります。
そんなとき、役に立つのがこのグレージュのものです。

グレイッシュなので、当然、グレーとのなじみもいいです。
ダークな黒や茶ではなく、ライトグレーからダークグレーにかけては、とても上品に見えます。
また、地の色はイエロー・ベースなので、
アジア人の肌にもよく似合います。
顔の近くに持っていっても、顔色がよく見える色です。
また、髪の毛をブラウンに染めている場合も、よく合うと思います。

今年あたりから、ニットやコートなど、このグレージュのものが多く出てくるでしょうから、
茶も黒もグレーも好きという方には、もってこいの色だと思います。
例えば、黒のブーツに、ライトグレーのニットとスカート、そしてグレージュのコートに、
アクセサリーはパールなら、華やかで上品、しかもカラースキームもそろっています。
また逆に、茶色のコートにも黒のコートにもあわせたい靴や鞄が欲しいとき、
グレージュを選べば、どちらにもコーディネイト可能です。

1つ注意点は、グレージュと呼ばれる色には、非常に幅があります。
黄色が強いもの、グレーが強いもの、明るいもの、暗いものなど、
名前だけで判断してしまうと、思ったものと違う場合もあります。
ですから、買う場合も、グレージュとついているから安心しないで、
きちんと自分が合わせたい色と合うかどうか確認しましょう。
繊細な色ですので、丁寧に選ばなければなりません。

色選びは楽しい半面、実はとても厳密なものです。
いつも言っているように、
あのブランドと、このブランドのグレージュは違います。
作る人の数ほど、色もあります。
その膨大な色の海から、自分にぴったりのグレージュを見つけるのは、
本当は、そんなに簡単な作業ではありません。
海も、砂浜も決して一色ではないように、服についた色も、すべて違います。
まずは自分が求めているのは、どんな具合の色なのかを突き止める。
そして、ぶれいない気持ちで、リラックスして、色の海からぴったりの色を見つける。
そうすれば、それだけでおしゃれに見えます。
それと、色のハーモニーというものは、心を落ち着かせるものです。
色がぐちゃぐちゃだと、心もぐちゃぐちゃになります。
色がぴたっと決まると、心も揺れることなく、ぴたっと止まります。
それは正しく使ったときの色の力です。

力はよくも、悪くも使えます。
どうせなら、よい方向に使いましょう。
色の魔法で、揺らがない心を手に入れたら、
どんな告白も交渉も可能です。
うまくいくことは、間違いありません。

☆写真:マンセルのカラーチャートのイエローのページ。左2列の真ん中辺が、グレージュと呼ばれている色です。

2012年7月23日月曜日

ローゲージニット


暑くなってまいりました。
ということは、秋冬ものについて計画する季節の到来です。
実店舗はまだですが、雑誌などには、もう秋冬の情報が掲載されています。

さて、このブログをずっと読んでいらっしゃっる方々は、
今は流行の変わり目で、特にシルエットが大きく変化している時期だということはおわかりですね。
そのシルエットの変化というのは、スリムでリーンなシルエットからビッグなシルエットへというものです。
それも、ただビッグなシルエットというだけではなく、飾りのないリーンな形から、こんどはデコラティブの方向へ動いています。
新装飾主義のはじまりです。

スリムでクリーンなシルエットが席巻していた、2000年以降、
ニットはどんどんタイトにスリムに、そして糸はどんどん細く、ハイゲージが主流でした。
それは、ハイゲージでないと、スリムフィットにならないからです。
また、スリムにするために、編地もとにかくフラット、スムーズになり、
でこぼこしていたり、装飾はどんどん省かれていきました。
代表的なデザインは、ハイゲージで薄手のVネックやタートルネックのセーターでしょう。
その薄さはあたかもTシャツのようで、下着の上にすぐニットを着て、上にジャケットを着るというスタイルが定着しました。
 その流れが行きついてしまったのは2011年で、
今年はもう完全に折り返しています。
折り返し地点を通過したニットの行き先は、ビッグ、ラフ、デコラティブです。
そして、ローゲージニットの復活です。

ニットがローゲージになってくると、
ニットの表現の幅が広がります。
縄編みや、ポップコーン編みなどのような、ニットならではの飾りや、
カウチンセーターに代表されるような、編み込みによる模様の表現、
また、かぎ針編みの使用による装飾的なモチーフなど、
手作業による糸の装飾的表現を多用したセーターやカーディガンが出てきます。
一昔前だったら、古臭いと思われていた、
あの、おばあちゃんが作ってくれたニットのセーターが、再び洗練されて帰ってきます。
これはニットファンにとっては、大変喜ばしいことだと思います。
だって、今までのニットは、あまりに味気なかったですから。

そこで、私が予想しているのは、編み物ブームの復活です。
80年代にビッグシルエットが流行ったとき、
手編みニットが一時ブームになりました。
手編みのスタイルブックもどんどん発売され、
私も蒲田のユザワヤへ、毛糸選びに何度も足を運びました。
そして、パピーにしようか、それとも何だかよくわからないヨーロッパ製の糸にしようか、
2時間も、3時間も悩んで買って、太い編み針で自分のセーターも編みました。
(「装苑」を見て、誰だったか、デザイナーがデザインした、ピンクのメランジ糸使用のニットを一生懸命編んで、それを着ていったのがデヴィッド・ボウイのライブでした。今考えると、変かも?)

今、一部の方々の間で、手作りで自分の着るものを作ることがブームになっているそうなので、
編み物も、再びブームになるかもしれません。
何か自分で作りたいなと思っていて、編み物が得意な方は、ぜひこのブームの波に乗っていただきたい。
デザインは、80年代よりも、はるかに洗練されています。
そして、そんな手編みのためのスタイルブックも発売されるはずです。

一針一針、糸を編んでいく過程を経験することは、
ただ単に、着たいものを作るという経験ではないのです。
糸と編み針と自分の手という、最もシンプルな道具で、
何もないところから形を作っていく、その過程こそがクリエイティブな行為です。
だから、でき上がったものがうまくできたか、下手だったかは、どうでもいいのです。
何もないところから一つの形を作り上げた、その経験と時間こそが宝物です。

この夏の時期に、スタイルブックを買って、道具を買って、糸を買ってとりかかれば、
冬場には十分間に合います。
何を作ろうか楽しく選ぶこと、どの糸がいいか悩むこと、
その糸がどういうふうにでき上がるか想像してみること、
そしてそれを着てどこかへ行ってみること、
誰かと会っておしゃべりしてみること、
この一連の行為が、ニットがつむいだすてきな1つの物語です。
毎日同じ、繰り返しの、何の変哲もない毎日に、
新しい動きを自分から作るために必要なことは、
あなたが、よし作ると自分で決意すること、ただそれだけです。
本当に小さな一歩が、あなたの世界を変えるかもしれません。
やってみる価値は、十分あると思います。






2012年7月16日月曜日

二の腕の見せ方



二の腕が、気になる季節になってきました。
半そでにするか、ノースリーブにするか、悩みどころです。

先日、タレントのYOUさんがラジオで、袖がついている服は着ないと、
その理由は、うっとうしいから、というようなお話をされていましたが、
理由は、それだけではなさそうです。

最初は、半そでの、あの途中でまっすぐ切ったような形がいけないのかなと思いました。
確かに、それも1つあります。
洋服の歴史を見てみると、
半そでが、なかったわけではありませんが、
あったとしても、パフスリーブや、フリルのような袖で、
今のように、ただ横に切っただけの袖、というのはありません。
五分そでにする場合も、必ずカフがついています。
カフのない袖というものが出てきて、
それが普段、着られるようになったのは、ごく最近です。
ですから、Tシャツや、半そでワイシャツの、ただ横に切って、
カフの処理をしていないデザインは、まさに効率化のために出てきた、
イレギュラーなもので、正式で、正当なものではありません。
だから、それは、カジュアルにしか見えないのです。
エレガントには、見えません。

それと同時に、二の腕の形の問題があります。
子供のころ、クラスの女の子の二の腕は、みな同じような太さ、形でした。
20代前半ぐらいまでは、自分の二の腕も、他人の二の腕も、特に気にも留めないでしょう。
しかし、30を過ぎたころから、
二の腕は、それぞれに発展していきます。
筋肉質の腕、ふくよかな腕、きゃしゃなままの腕など、
それぞれの二の腕が、それぞれの発展をしていきます。
そして、だんだんそれは自分らしくなっていき、他人とは、少し違うものになっていくのです。
一律に、誰もが白い半そでTシャツが似合わなくなってくるのは、たぶん、この頃です。

二の腕の形状は、人それぞれなので、
どの袖の形で、どの袖丈が一番おしゃれで、すてきに見えるかなど、
一言では言えません。
それぞれの人に、それぞれの似合う形、袖の長さがあります。

もちろん脚も、人それぞれ違います。
しかし、私たちは、他人の脚を、腕ほどには見てはいません。
なぜなら、コミュニケーションをとるとき、ほとんどの場合、上半身から下は、
目に入らないからです。
逆に言うと、二の腕というのは、案外、人の目がいくポイントなのです。

洋服の形の歴史と、自分の腕の発展が出会うとき、
自分に似合う袖丈が、難しくなってきます。

まずは、自分の二の腕はどんな形か、客観的に観察してみましょう。
そして、その次に、どう見せたいか、考えましょう。
そして、どの袖を選ぶか決めます。

エレガントに見えるのは長袖か、ノースリーブです。
横で切っただけのTシャツや、半そでシャツは、カジュアルです。
これは洋服の歴史から、そういうことになっています。
まず、それを決めます。

そして、もし半そでにしたい場合は、どの位置で切れるのが、
自分の二の腕が最も魅力的に見えるか、研究しましょう。
五分そでで隠したほうがいいのか、2分ぐらいの袖がいいのか。
1つ言えるのは、無造作に、二の腕の最も太いところでただ切っただけの袖は、
エレガントではないし、ふけて見えます。

これは、他人の目を気にして、そうしましょうという話ではありません。
決めるべきは、自分の見せ方です。
自分という素材のプレゼンテーションの仕方を、
自分の意思で決めましょうということです。
それによって、他人がどう受け止めるかは、

こちらがコントロールできる問題ではありません。
コントロールできない問題は、気にしても仕方ありません。

まずは自分がどう見せたいか。
この世はすべて舞台なのですから、
二の腕を通して、自分がどう見られたいか、
自分で演出しましょう。
それは、袖丈1つでできるのです。
自分が監督で、
自分が自分専属のスタイリスト、
どうやったら、自分という主人公が魅力的に見えるか、
自分という素材を研究して、工夫しましょう。
その1つの方法は、すべての袖を切り取ってしまうことかもしれませんし、
長袖をまくって、五分そでにする方法かもしれません。
そうやって少しずつ、奪い返すのです。
デザイナーや、流行や、マーケッティングが、あなたに押し付けてくる、
ステレオタイプの 、こういう年齢の、こういう年代の女性はこうすべきというイメージから、
決定権を取り戻しましょう。
いつだって、自分の人生を演出する権利は、自分にあるのですから。














2012年7月9日月曜日

スカート+パンツはまだ続く



ここ数年、あるスタイルの発祥が日本である、ということがよく言われています。
たとえば、鞄や携帯にじゃらじゃらつけるあのストラップの飾り。
日本の中学生や高校生は、当たり前のように鞄に何かをつけていますが、
あれはどうやら日本だけだったよう。
しかし、最近では、有名なメゾンがご立派な何万円もするバッグ用の飾りを売り出し、
一般的になりました。

そしてもう一つ、日本発ではないかと言われているのが、
スカートの下にパンツをはくスタイル。
これは、よく女子中学生や高校生が冬場、寒いので制服のスカートの下にジャージーのズボンを
はいて家に帰っていた、あのあたりぐらいからではないかと思うのですが、
スカート+スパッツ(80年代のマドンナのスタイルね)はあっても、
スカート+ズボンはなかったように思います。

このスタイルも同様に、最近では、外国のストリートファションでも多く見受けられるようになり、
日本の高校生スタイルでなく、世界的に認められたスタイルにまでなりました。

そんなスカート+パンツのスタイルなのですが、
若い人たちのそういうスタイルはよく見かけますが、
ある年齢以上になると、そんなスタイルをしている方は激減します。
それはたぶん、大人の女性のための、より洗練されたスカート+パンツルックが
提案されてこなかったせいではないかと思います。

しかし、次の2012/13の秋冬シーズンでは、
プラダ、シャネル、ルイ・ヴィトンなど、そうそうたるメゾンが、こぞってこのスタイルを取り上げているのです。
しかもより洗練された、エレガントなスタイルに。
これだけ洗練されれば、もちろん大人の女性でもとりいれることができます。

これらのメゾンが提案したスカート+パンツスタイルの特徴なのですが、
どれもすべて、スカートとパンツが同じ素材です。
ほぼ、すべてです。
スカートとパンツを同素材で作ることによって、このスタイルの洗練度が増しました。
こうすると、エレガントに見えるのです。
プラダでは、柄物を使い、スカートとパンツを全く同じ生地で作って、それを重ね着しています。
この方法を取り入れれば、若い人たちとはまた違った、シックなスカート+パンツスタイルが楽しめます。

ただ、実際のところ、スカートとパンツ、同時期に買って、同素材のものを持っているということは、
なかなかないのではないかと思います。
そうするためには、新たに両方を買うか、自分で作るかになってしまうでしょう。
けれどっも、全く同じ素材は無理だとしても、同色で、似たような質感というのなら、
あるのではないでしょうか。
特に、同じブランドのものでしたら、色の系統は似ているので、黒や紺などでしたら、
可能ではないかと思います。
それでもまだ無理という場合は、手持ちのスカートと全く同じ色のレギンスを探しましょう。
最近は、レギンスのカラーバリエーションがふえているので、
スカートと同じ色のレギンスを探すのは、さほど難しくないと思います。

今回、これらのメゾンが提案しているスタイルの中には、
たとえば、ルイ・ヴィトンの、ロングスカート+パンタロン、
プラダのワンピース+パンツ、
シャネルのドレープスカート+パンツなど、
今までの、ミニ、またはひざ丈スカート+パンツ以上に、
いろいろなスタイルが提案されています。
若い人たちの、ミニ+パンツとは違うバランスで取り入れれば、
大人の女性にも十分可能で、しかもエレガントになると思います。

流行は確かに変わっていきます。
けれども、必ずしも、新しいものを買わなくても、
その新しいスタイルを作るのは、工夫次第で可能です。
そのためには、スカートの丈を少しつめたり、
大きすぎるパットをとったり、
または、袖をそのまま切ってしまったりと、
手を加えることが必要となってきます。
もちろん、お金を出せば何でも買えます。
でも、そうする前に、知恵と工夫で、古いものを新しく生まれ変わらせることも可能なのです。

今の時代、自分で手をかけるより、買ったほうが安いものもたくさんあります。
しかし、その安さに足を取られている間に、
何か大事なものを失います。
もうずいぶん、長い間、
ゆっくり時間と手間をかけてやることより、
何でも早くやることのほうがよいとされてきました。

ゆっくりと時間をかけて、考えながら作り上げていく。
本当の服作りは、きっと、そちらの方法です。
早く作ったものは早く飽きられ、長い時間をかけて作ったものは、長く愛されるのです。




2012年7月2日月曜日

縦ストライプ


ここ何年か、ボーダーは継続的に流行していて、
常に新しいスタイルが提案され続けていましたが、
その一方、縦ストライプは、全くなくなったわけではないにせよ、
以前よりずっと存在感がなくなっていました。
しかし、その縦ストライプですが、今期より復活です。

これには理由があります。
特に2000年以降、服がタイトに、細くなり、
その細さを作るため、
使われるのはストレッチ素材、ストレッチではない場合は、ダーツを多く、または深くとり、
そのシルエットを作ってきました。
そして、服作りがそうなるにつれて、縦ストライプは消えていきました。
なぜかといいますと、
ダーツをたくさんとると、ストライプが崩れてしまうからなんです。
同様に、ストレッチ素材で、脇線だけぐーっと、内側にカーブを入れても、
縦のストライプは途中で切れることになり、
柄がおかしなことになります。
こうして縦ストライプ、特に太いストライプは使われなくなってしまいました。

しかし、ここへきてシルエットの変化です。
必要以上にタイトな服が、流行りではなくなります。
そうすると、縦ストライプの復活です。

縦ストライプのいい点は、
何といっても、縦線の強調。
ここのところ、着やせコーディネイトの特集をよく雑誌で見かけましたが、
あれはどうにも着やせの難しいアイテムばかりとなってしまった結果、
どうしたものかと、みんなが悩んだことから生まれた企画だったのですね。
だって、どう考えたって、ボーダーでは着やせしませんもの。

また、縦ストライプは、上の写真を見てもわかるように、
なぜか「はいから」に見えます。
ボーダーがカジュアルの代表ならば、
それを縦にしたストライプは、その上をいくおしゃれ感があります。
そんな復活した縦ストライプ、ワードローブに取りいれない手はありません。

さて、縦ストライプの着こなしですが、
太いほど、おしゃれ度は高くなります。
(ってことは、食いだおれ人形は相当のしゃれものかもよ)
また、縦線強調の効果も大きいです。
大柄な方は、特に太めのストライプがお勧め。
ゆったりしたリラックスパンツや、たっぷりしたギャザースカート、
そして、ボリューム感のあるワンピースもいいと思います。
ただ今の時点では、まだまだ市場にたくさんは出回っていません。
着やせコーディネートに悩むよりは、こちらを取り入れるほうが手っ取り早いです。

さて、おしゃれで、すっきり見える縦ストライプですが、
欠点があります。
それはとても印象的である、ということ。
ですから、こういう印象的なストライプは、他人の記憶にも残りやすいです。
他人の目が気になるという方は、ボトムだけに取りいれましょう。
そんなの気にしないわという方は、大胆な柄のワンピースなど挑戦してみてください。

最近、ボーダーを着ている人はもてないなどという都市伝説が聞かれますが、
実際はどうなんでしょうか。
もてるか、もてないかはわかりませんが、
ボーダーの作る印象が、ある一定方向に向かっていることは確かです。
それは、とりあえずボーダー着ておけばおしゃれに見えて安心という、その安心感でしょう。
でも、縦ストライプには、その安心感はありません。
そこに見えるのは冒険心です。
チャレンジする姿勢です。
縦ストライプの女性が、もてないはず、ありません!
(今思いだせる、縦ストライプのパンツの素敵だった人はマドンナとカヒミ・カリィさん。)
  
ファッションで冒険してみたところ、死ぬわけではありません。
日本人には、縦ストライプはなじみやすいと思います。
だって、着ものの柄で縦縞は多いでしょう?
あれだって、すごく粋な感じがします。

自分の体を呪ってないで、
おしゃれの冒険で、自分の体型がどうだったかなんて、忘れてしまいましょう。
人が最初にキャッチするのは、その人の体の周囲にある、見えない雰囲気です。
縦ストライプを着て、あ、自分のスタイルは素敵だって心底思えたら、
他人だって、あなたのことをそう見ます。
その逆だったら、そうなります。
他人が見ているのは、あなたの実際の実像の姿だけではないのです。
忘れないでください。
おしゃれは実際の体型やスタイルではないのです。
その印象です。

☆写真は1780年代のフランスのドレス。1989年の「華麗な革命 ロココと新古典の衣裳展」の図録より。これ、見に行ったんです。素敵だったわ。



2012年6月25日月曜日

貫頭衣リバイバル






洋服全体のシルエットが変わって、次の流れはドレープだなと踏んでいた私ですが、
なんとその前に貫頭衣がやってきました。
しかも、急速な勢いで広がっています。

貫頭衣というものは、服飾史で最初に出てくる衣服で、
文字どおり、四角い布の頭の部分だけくりぬき、脇を縫い合わせた、
ごくごく簡単な服です。
それこそ、弥生時代から着られていたような、原始的な衣装のことです。

その服の原型とも言える貫頭衣が、今ブレイクしています。

貫頭衣の布の分量が増え、洗練されたドレープを作るには、
技術と、美意識が必要となりますが、
あたかも歴史を再現するかのように、まずは貫頭衣がリバイバルしています。

この貫頭衣、たしかに最近の外国のコレクションの写真などを見ても、
出て きていないことはないですが、これほどの勢いは日本独特のものではないでしょうか。
(調べようがないので、断言はできませんが)

なぜこんなにも貫頭衣が日本でこれほどまで受けているのでしょう。
答えは簡単です。
私たち日本人は、結局のところ、平面を着用するのが好きだし、安心するからです。

貫頭衣から始まり、大陸から唐風様式が取り入れられ、着ものに発展していった
日本服飾史の流れは、明治維新をきっかけに洋装が取り入れられるまで、
ずっと平面から構成される衣服でした。
現代になり、いくら体格が向上し、変化していったとしても、
それでもやはり私たちの血には、この平面文化が流れているのです。
貫頭衣は、最新のファッションではなく、何万年も古代までさかのぼる、
「なつかしい」ファッションなのです。

流行が変わり、いつも新しいスタイルが提案されますが、
まったく誰も見たことのない、真新しいスタイルの衣服など、存在しません。
いつでもそれは、過去の焼き直し、繰り返しです。
なぜなら、人間の五体は、何万年も変化していないからです。
クリエーションというものは、神のみの行う行為で、
人間がやるのは、いつでもどんなときでも、既に知っているものの再現なのです。

それでも、誰も見たことのない新しいものを作ったなどと、デザイナーがのたまうとき、
たとえば袖が3本ついていたり、奇妙で不必要な人体とはかけ離れた立体物だったりするだけで、とどのつまり、それは服なんかではなく、撮影用の衣装か博物館行きのオブジェです。
生活している人にとって、そんなものに、それ以上の意味はありません。

さて、この貫頭衣、おしゃれに着こなす方法は次のとおりです。

貫頭衣は、うまく使えば体型カバーとなるわけですが、
失敗すると、逆に体型の強調になります。
スタイルのいい人、ボディをちゃんと鍛えている方たちには、
シンプルな無地の、ドレープのでやすい生地で作られたスタイルが最も似合うと思います。
では、そうでない人は?
体型カバー目的で着たい場合、無地は避けましょう。
そして、なるべく視線を惑わす大胆なプリントやブロックチェックなどを選びましょう。
そうすることによって、目くらまし効果で、体型は気にならなくなります。
また、そうした柄物を着る場合、ほかのボトムや上に羽織るものは目立たない無地にすること。
柄に目が釘付けになるように、ほかの部分はあたかも背景のように扱いましょう。
そうすれば、体型に目がいきません。
柄の色も、ヴィヴィッドなコントラストのはっきりしたものが向いています。
地の色と柄の色のはっきりしない、小花柄などは、この場合、向きません。

私たちは立体が不得意なのではなく、平面が得意な存在です。
今こそ、その能力を目覚めさせましょう。
洋服では使わないような柄を使うのです。
そして、そのヒントは、もちろん着ものにあります。
あの組み合わせのセンスが、これから大いに役立ちます。

自分以外のものにあこがれても、決してなれません。
いつもなれないだれかにあこがれた時代は、もう終わりにしましょう。
私たちは、パリジェンヌなんかではありません。

バラはバラに、ユリはユリに、椿は椿に。
私たちは、日本という大地に美しく咲き誇る花になればよいのです。

誰かにならなければならないという呪縛から解かれましょう。
私たちは、悪い魔女に魔法をかけられました。
呪いを解く呪文は簡単です。
「私は私が好き。私は日本が好き」
そう唱えるだけです。
そうすれば、あなたにかかった悪い魔法は解かれます。
眠っていた遺伝子が目を覚まします。
その後は、あなたの感性に従いましょう。
それが、あなたという花が美しく咲く、唯一の方法です。

☆写真は「 月井良子のかんたん、かわいいまっすぐソーイング」 高橋書店。
パターンは限りなく四角く、縫うところも少ないので、ソーイング初心者にはうってつけ。
気にいった生地を見つけたら、自分で作ってみるのもお勧めです。