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2013年11月25日月曜日

グレー

ファッションの流れが、よりリラックスしたものになっています。
それに伴って、都会的で、洗練されてはいるものの、
黒ほどに緊張感を伴わない、グレーやベージュがその表現として、重要になってきました。

同等に語られることの多いグレーとベージュですが、
グレーはベージュよりも、はるかに簡単な色です。
色の構成を考えてみればわかることですが、
グレーは白と黒の2色、ベージュは赤、黄、黒、白の3色で構成されています。
グレーのアイテムを集める際は、明るいグレーから暗いグレーの明度だけを考えればよいですが、ベージュの場合、明度、彩度、両方を考えなければなりません。
一口にベージュといっても、赤味が強いもの、黄味が強いもの、明るいもの、暗いものなど、幅が広いです。
ですから、違うブランド同士のベージュを並べて見ても、必ずしも色が合うとは限りません。
どちらかといえば、合わないベージュのほうが多いのです。

それに比べて、グレーは単なる黒から白へのグラデーションですから、
ブランドや買った時期が違っても、並べたときの違和感はありません。

そんなグレーですから、全体をグレーのグラデーションで統一したいとき、
白いほうへふっても、黒いほうへふっても、簡単にコーディネイトすることができます。

また、グレーはほかのどんな色とも相性がいいのが特徴です。
ヴィヴィッドな赤やピンク、緑、黄色でもいいですし、
または、ニュアンスのあるピンクベージュ、ネイビーなど、
どんな色でも受け入れる懐の広さがあります。
もちろん、すべてのグレイッシュ・トーンと相性がいいのは、言うまでもありません。

完全なる緊張が必要ではなく、かといって緩すぎるわけでもなく、
適度にリラックス感とやわらかい雰囲気を作りたいとき、
全体をグレーのグラデーション、またはグレープラスさし色で構成するコーディネイトは、どんな人にもお勧めです。
特に色合わせが苦手という方には、グレーだけのコーディネートは失敗のしようがないので、臆することなく、着こなすことができると思います。

しかし、そんな使い勝手のいいグレーにも、大きな欠点があります。
それは、多くのグレーは、顔色を悪く見せるという問題です。
特に気をつけてほしいのは、蛍光灯照明の部屋。
蛍光灯の光の下のグレーは、顔色が悪く見えます。
特に蛍光灯とグレー、そして顔色の悪さは、作業服を思い起こさせ、
心がすさんだ印象を与えます。

もう一つの欠点は、冬物以外、グレーのボトムは案外多くでまわっていないという点です。
冬だけは、グレーのフラノに代表される、ウールのパンツやスカートが多く売っていますが、
春から夏にかけて、グレーのボトムは、あまり売っていません。
ですので、こういうグレーで、こういうタイプのボトムが欲しいと思っても、
なかなか選ぶことができません。常にあるのはグレーのスウェット地のパンツぐらいです。

まず、顔色が悪く見える点を解消するためには、
顔回りが明るく見えるよう、トップスはかなり明るい、銀色に近いグレーを持ってくるか、
そうでなかったら、ジュエリーやスカーフで光を補うことです。
また、たとえばチャコールグレーのニットで、Vネックの場合は中に白いTシャツを着る、
クルーネックの場合は中に白シャツを着るなど、
インナーを白にして、見えるようにするのもお勧め。
ありきたりではありますが、グレーのトップスとパールはよく合います。
顔色をよく見せるために、大人になればなるほど、この点は気をつけたほうがいいでしょう。

もう一つ、冬以外、ボトムスが売っていないという問題ですが、これは地道に探す以外、方法はありません。
いつも自分の欲しい形、色を覚えておいて、あったときに買っておかないと、
なかなか次は見つかりません。
特に夏物はありませんので、夏にグレー1色のコーディネートをしたい場合には、
年間を通して、ボトムを探し続けるといいでしょう。

他人がまず、その人のことをおしゃれかどうか判断するのは、その色合いによってです。
ひとつひとつのアイテムが、どんなに優れていても、
色合わせがおかしいと、それだけでもうおしゃれには見えません。
デザインや素材感はその次にきます。
とにかく、まずは色なのです。

しかし、この色の感性を後天的に育てていくのは、なかなか難しいものだということが、
最近、私も分かり始めました。
この色とこの色が合う、合わないの判断は、できない人にとってはできないようです。
それならば、無理して難しい色合わせに挑戦しないで、
まずは自分のわかる範囲、つまり1色、または1色プラスさし色でコーディネートすれば、
その欠点はカバーできます。
そして、それができるようになったら、難しい色合わせに挑戦していけばいいでしょう。
何事にも段階というものがあります。
経験と時間なしに、たどり着くことはできません。

できないならできないなりにやる。
できるようになったら、次へ進む。
失敗したら、そこから学ぶ。
知らないことは調べる。
わからなかったら、誰かの手を借りる。
友だち同士、わかったことを分かち合う。
おしゃれも同じです。
そうやって、少しずつよいものになっていきます。
それなしに、ひとっとびに一流になろうとしても、無理な話です。
他人からすべてを借りてきても、それはその人の実力にはなりません。

グレーのグラデーション・コーディネイトがうまくできたと思ったら、
その感覚を記憶しましょう。
その自信を忘れないでおきましょう。
そして、同じ感覚がわきあがるような、
次の色の組み合わせを考えましょう。
そうやって、一段一段、のぼっていくのです。
その一段がどんなに低くても、続けていけば、必ず上がり続けます。
振り返ってみたら、もうこんなところまできていた、
そう思える日が、きっとくることでしょう。





2013年11月18日月曜日

アシンメトリー

アシンメトリーとは、シンメトリーではないこと、つまり左右非対称という意味です。
シルエットが大きく変わった今シーズン、
久々にアシンメトリーのデザインがたくさん出てきました。
これもやはり、シルエットがタイトからビッグに変化したためで、
タイトなシルエットでは、アシンメトリーの表現は難しいからです。
アシンメトリーにするためには、ある程度のボリュームが必要になります。

ベーシックな服のほとんどは左右対称のデザインです。
今思いつくのは、トレンチコートのガンフラップが片側のみにあることぐらいで、
そのほかは、あまりありません。

洋服の歴史を振り返ってみると、必ずしもいつも左右対称というわけではありません。
ギリシャ時代のドレープに代表される、カッティングのない衣服は、
どれもみな、左右非対称です。
その後、ダーツやカーブを取り入れ、
布を身体にそわせてカットする形へ発展するにつれ、
洋服は左右対称になっていきました。
その後、特殊なデザインでない限り、主流は左右対称のデザインとなります。

シンメトリーにも、アシンメトリーにも、それぞれ美しさはあります。
幾何学模様のように、一寸のずれもなく、完璧な左右対称性は、
美の極致でもあります。

しかし、自然に存在するものを見てみると、
多くのものが左右非対称です。
私たちの身体もその例にもれません。
心臓は、左側、もしくは右側に偏って位置しています。

森の木々も花も、左右対称に育つものはありません。
ベルサイユのル・ノートルによる整形式庭園の植木は、人間の手によって刈りこまれたものです。
自然には、あのような形の木は存在しません。

自然へ回帰する傾向が強まると、
それに伴って、服もアシンメトリーなデザインへと変わっていきます。
それはより自由で、自然な女性性へのあこがれであり、
優しい力です。

さて、明らかに、アシンメトリーのデザインの服は、おしゃれ上級者のものです。
まだ勉強が足りない、修行の身の人たちにとっては、
なかなか着こなすのが難しいデザインだと思います。
なぜなら、左右非対称にもかかわらず、全体としてはバランスをとらなければならないからです。

それでも、ベーシックから抜け出したいならば、
より一歩、自分のおしゃれを前へ進めたいならば、
アシンメトリーのデザインの服を取り入れてみましょう。
バランスが崩れたものを着つつ、全体のバランスを保つのは、高度なテクニックではありますが、
できないわけではありません。

初心者にお勧めなのはワンピースです。
それ1枚でアシンメトリーのデザインが完成されたものは、
なにも付け足すことなく着ることができます。
左右非対称がデザインの肝なので、それを壊すようなアイテムを付け足さないことが肝心です。
さらりと1枚で着こなし、その他のアイテムはごくごくベーシックで目立たないものにすれば、
うまく着こなすことができます。

その次はアシンメトリーのコートです。
アシンメトリーのコートを買うのは冒険ではありますが、
ほかに付け足さなくてもスタイルが完成されるという意味で、
お勧めです。
これもやはり、あまりごてごてと飾らずに、アシンメトリーのよさだけを見せる形でのコーディネイトがよいでしょう。

そのほか、今シーズン、たくさんのワンショルダーデザインのトップスが出てきましたが、
これはどちらかというと、難易度が高いアイテムだと思います。
1枚で着られるワンピースなら問題ありませんが、
Tシャツなどの場合、ほかに合わせるものが難しいです。
色と形、両方で全体のバランスをとるためには、
トータルでコーディネイトを構築していく必要があります。
それでも着る場合は、そのほかのものはベーシックでまとめておくのが、
まずは無難なやり方です。

整然とそろった、完全なる左右対称のものには、
完璧な美しさがあるのと同時に、
息苦しさも持っています。
その中にはまったら、抜け出すことができません。
延々と続くそのパターンに、逃げ道はないからです。
しかし、私たち人間は、そんなパターンからすでにはみ出た存在です。
かしこまり形式ばった、息苦しく神経質なその空間の中では、
一定の時間以上は、存在することができません。
完璧主義は、同時に排他主義でもあります。
そうでなければいけないというルールの中では、
クリエイティビティは抑圧されます。

自分のはみ出た部分を認めることができなければ、
他人のはみ出た部分を認めることはできません。
シンメトリーではないのだと、
完璧ではないのだと、
そろってなどいないのだと気づくことは、
寛容なる自然のように、優しさのあらわれです。
アシンメトリーのデザインの服は、そのことを私たちに思い出させます。

完璧などありません。
あるのだとすれば、
それは歪みや失敗さえも含まれた完璧です。
私たちは、左右非対称を含みつつ、完璧なバランスを保ちます。

アシンメトリーのドレスを着てみたならば、
それだけで魅力的に見えるでしょう。
なぜならそれは、アシンメトリーのバランスに満ちた地球の写しだからです。





2013年11月12日火曜日

チェック

2013年の秋冬コレクションで、セリーヌやステラ・マッカートニーが、
大柄チェックで、ビッグ・シルエットのコートを発表しました。
これらのデザインは、
チェックが戻ってきたという意味において、
重要な位置づけになります。

このブログでも、もう何度となく、
シルエットの変化について書いてきました。
私がシルエットの完全なる移行を感じたのは今年の夏です。
このシルエットは今後10年前後、続いていくものと思われます。

大きな柄が復活してきたというのは、
単にデザイナーの好みの問題だけではありません。
大柄のチェックとシルエットの間には、大きな関係があるのです。

大柄のチェックを生かすデザインとは、
その柄が崩れないように見えることが基本です。
そのために、ダーツや曲線が少ないことが理想です。

日本の着物を想像していただければわかると思いますが、
着物は反物をほとんど余計にカットせずに衣服に仕立てます。
そのため、生地の柄を崩すことなく、そのよさを表現することができます。

ビッグ・シルエットのコートにチェックの生地が使われたのは、
まさにこのためです。
ビッグで、しかもダーツや曲線が少ないデザインでなければ、
チェックが生えないのです。

ここに来るまでの約14年間、
服がタイトになるとともに、
大柄のチェックの服は消えていきました。
なぜなら、服の中に多くのダーツ、そして曲線がふえていったからです。
切り刻まれることによって、チェックは崩れていきます。
そのため、この時代、チェック柄はごく小さな柄のもの、
もしくはメンズ・テイストのアイテムに使われるのみになりました。

シルエットというものは、服にとって最も重要です。
色、生地など、ほかにも服にとって重要な要素がありますが、
シルエットこそ流行であり、
その変化は生地も、柄も、たぶん色も変えていくほどの力を持っています。

今回のシルエットの変化により、選ぶ素材、柄の選択肢が大きく増えました。
大柄のチェックはその1例です。
チェックだけではなく、大柄のプリントや、14年春夏コレクションでプラダが発表した大きな模様なども、その例ですし、 フェルトなどの張りのある素材、逆にシフォンやオーガンジーのように、
ダーツや切り込みが不向きな素材もふえてきます。

どんな流行も、行きすぎると不自由になります。
大柄なチェックがなかった時代、私たちはあたかもそれが当たり前のように感じていましたが、
今から考えると、いかに面白みや、選択肢がなかったかがわかります。
その不自由さから抜けるには、前のものからの脱却が必要なのです。

時代遅れということは、
つまり、この前の流行の不自由さを引きずっているということです。
それは、もう進んだ目から見たら、
あまりに古臭く、自由がありません。
昔買った服だから、ものとして古いということだけではなく、
私たちが無意識のうちに察知するのは、
新しいものを受け入れない、柔軟性のない、その姿勢です。

チェックは、これからもいろいろなアイテムとなって登場してくるでしょう。
メンズライクなシャツ、キルトスカートなど、
ダーツや曲線が少ないアイテムの中で、それは見られるはずです。

行きすぎたものは、壊れる運命にあります。
それはあまりに固すぎるからです。
固くなったがために、壊れるのです。
周りの世界がまったく目に入らず、自分の身体の殻の中に閉じこもっているならば、
その人はもうおしゃれではありません。
それは、いい意味での他人の目を気にしないという態度とは、
わけが違います。

人間は、見えないエリアを見抜くアンテナを持っています。
流行は、まさに見えないエリアに流れているエネルギーの動きです。
自分の身体だけを見ていたら、
それを感じることはできません。
ファッションは、時代を流れる見えない情報が具現化されたものです。
ほんの少しでもいいので、流行を取り入れたほうがおしゃれに見えるのはそのためです。

大きなチェックが目にとまったならば、
それはあなたのアンテナが正常に働いているということです。
アンテナを張り巡らせましょう。
そしてキャッチしたものを、自分の中に取り入れましょう。
そのことが、あなたのおしゃれを一歩先へ進ませます。

2013年11月4日月曜日

ショート・パンツ

子供のころよくはいたショート・パンツ。
あのころ、大人でショート・パンツをはくというのは、
テニスプレーヤーぐらいのものでした。
それ以外、しかも街ではくなどということは、ちょっと考えられませんでした。

コレクションでデザイナーがショート・パンツを提案したことは、
過去何度かあったと思いますが、流行るまでには至りませんでした。
デザイナーが仕掛けても、必ずしも多くの人がそれを受け入れるとは限らないのです。

ところが、最近、ショート・パンツは大人が街で着られることができるアイテムとして、すっかり定着しました。
いい年の大人、それはたぶん30過ぎたぐらいの大人がショート・パンツをはくようになったのは、
たぶん、ケイト・モスの影響が大きいと思います。
彼女のスナップを見ていくと、2003年ごろから、ロック・フェス会場でのショート・パンツ姿があらわれます。
そして、ケイト・モスは今でもショート・パンツをはいてあらわれます。
その結果、ショート・パンツは大人のものとして認められました。

ショート・パンツは、丈という意味ではミニ・スカートと同じですが、
下着が見えそうなミニとは、やはり意味が違います。
階段をのぼるとき、後ろが気になるかどうか、
電車の座席に座ったとき、前の人の視線が行き場に困るかどうか、
その心配がないということは、やはり大きな差なのです。

着こなしにさえ気をつければ、
ショート・パンツはパンツの丈だけの問題として、
大人でも十分はくことができます。
そして、秋冬こそ、大人がショート・パンツをはくのに最もふさわしい季節です。
小学生の女子のように、ショート・パンツをはいて、
ひざ下ソックスをはいただけのスタイルと差をつけるためには、
この冷たい気温がちょうどいいのです。

ショート・パンツをはくことによって、
下半身は、パンツ、靴、それをつなぐものに分割されます。
その分割のバリエーションはいろいろです。
好きなものを選べます。
たとえば、
ニーハイブーツとカラータイツ、
サイハイブーツとストッキング、
バレエシューズと靴と同色のタイツ、
ブーティーと黒いシアーなストッキングなど、
靴とストッキングやタイツを、自分の好きな形とバランスで作ることができます。

ここで大人が気をつけるべきなのはただ1つ。
素肌感はぎりぎりまで減らすこと。
素のままの脚をさらせばさらすほど、
おしゃれからは遠くなります。
見る人が気になるような生の脚は、すべてを幻滅にさせ、
その人の人格すら疑わせます。
なぜなら、ショート・パンツから出た、素のままの脚は違う目的を持っているからです。
(あえてそれがなにかは言いませんが)

ショート・パンツ自体は、大人にふさわしい素材のものを選びましょう。
表革やスエード、
凝ったツイードやラメ入りのウール、
繊細なレース、またはシルバーやゴールドのメタリックなど、
小学生が決してはかないような素材を選びます。

もし、カットオフしたショート丈のジーンズを選ぶのであれば、
その他のアイテムは豪華なものにしましょう。
全体のコーディネイトの中の「はずしアイテム」として、
ショート丈のジーンズを用いればいいです。

子供が着るようなアイテムを大人が着るときこそ、
腕の見せどころです。
自分にとって最適なボトムから靴までのバランスを見つけてください。
ブーツやタイツをはくことができる季節だからこそできるおしゃれが、
そこにはあります。
そして、素の脚を見せないというそのかせによって、
努力と工夫のし甲斐が出てくるのです。

誰でもが、一度は自分が持ち得なかったまっすぐで長い脚に憧れたことがあるでしょう。
そして、多くの人が脚にコンプレックスを持っているに違いありません。
しかし、そのコンプレックスがあるからこそ、人は努力するのです。
知恵をしぼるのです。
楽であるだけというのは、いいことばかりではありません。
そして、コンプレックスも、悪いことばかりではありません。
コンプレックスがあったからこそ、手に入れられるものがあります。
そしてそれこそが、絶対、誰にも奪われない、
そして誰にも傷つけられない、
あなただけの宝物です。