ページ

2021年11月17日水曜日

あなたが迷う、その理由

 時々「おしゃれ迷子」という言葉を日本の女性誌で見つけます。
これはモード系の雑誌や、海外のファッション誌では見られない言葉であり、表現です。
また同様に、10代、20代といった、若い人向けの雑誌でも見られません。

どうやら迷うのは若い人ではなく、30代後半、あるいは40代以上のようです。

この人たちはどこでどう迷ったのでしょうか。

10代に女の子たちには憧れのアイドル、アーチストがいたりして、自分もそうなりたいと願っている人も多いです。
また誰かへの憧れはなくても、自分もこうだったらいいなという、好きなドラマや映画、マンガはあるでしょう。
あの主人公のような格好で、ああいう感情を経験したいという思いが彼女たちの服を選ぶときの動機になります。

20代から30代前半までは、恋愛、仕事、結婚が主なテーマになるでしょう。
恋愛のための衣装、仕事を得るための衣装、結婚相手を見つけるまでの衣装、
それぞれ雑誌に提示されています。
20代から30代前半までの、モード誌を買うような服が趣味な人たち以外は、こういった目的に従って、服選びをすることが多くなります。
彼女たちのほとんどには達成したい目的があります。
仕事を見つけたい人、結婚したい人、恋愛したい人、
その目的がある人たちは、服選びに迷うことはほとんどありません(絶対とは言いませんが)。

さて、30代も後半になってくると、だんだんと目的を達成したか、あるいはあきらめたかが決まってくるでしょう。
また、人によっては「母」「妻」「キャリアウーマン」といったものに自分自身を一致させているかもしれません。
こういう人は、服を選ぶのに迷うことも少ないでしょう。
なぜなら母らしい服、妻らしい、服、キャリアウーマンらしい服は、それを演じるドラマの役者のように、ある程度はパターン化されているからです。

問題は、こういった自分を定義するもの、あるいは人生の目的が漠然としている人です。

自分がどういう者なのかもはっきりしない、また若いころのように「仕事につきたい」あるいは「恋愛したい」あるいは「結婚したい」という動機もないとき、その人は服選びに迷うでしょう。

何を着るかが決まったら、目的も後からついてくるのではありません。
目的があって、その後に何を着るかが決まります。
目的が決まらない限り、何を着るかも決まりません。

ではどうしたらいいでしょうか。

あなたの目的はあなたしか知ることができません。
あなたが自分の目的がわからなくても、誰かがそれを教えることはできません。
あなたを動かすものが何なのか、わからないでしょうか?

わからないのなら、探すしかありません。
以前のように、恋愛も結婚も、あなたを動かさないでしょう。
では何があなたを動かすのか?

その目的は、見つけてもらうためにどこかに隠れています。
探してもらうまで、隠れ続けるつもりでいます。
かくれんぼのように、誰かに見つけてもらうのを待っています。
だけれども、このかくれんぼの参加者はあなただけなのです。
鬼はあなたの分身です。

見つからないなら、そのまま迷うことになるでしょう。
あなたの分身である鬼だけが、あなたが何を着たらいいかを知っています。

見つけるも、見つけないも、あなた次第です。
迷子のまま生きるか、鬼のふりした明るい光を見つけて生きるか、
どちらでも、選べます。

見つけたら、もう迷子ではありません。
光を頼りに、歩いていけばいいだけです。



2021年11月3日水曜日

おしゃれをしない権利もある

 おしゃれをする権利があるのと同様に、おしゃれをしない権利もあります。
おしゃれに価値を置かない、
あえておしゃれに見えないようにする、
わかっているけれども、今はできないからおしゃれはしない、
そういう権利は誰にでもあります。

服を着ないで、あるいは下着のまま街を歩けば、
それはとがめられますが、
おしゃれでないからといって、誰かから何かを言われる筋合いはありません。
それは、誰かがおしゃれであることを選択したように、
おしゃれでないことを選択した結果にすぎません。
この選択は自由なのです。

新しいものを買えないとき、
服を買うお金がないとき、
病気のとき、
おしゃれする気分ではないとき、
家庭の事情でおしゃれができないとき、
またはおしゃれであることに全く意味を見出せない、
おしゃれであることは邪魔である、
あるいはおしゃれであることが嫌な場合など、
おしゃれをしない理由はさまざまです。
人にはそれぞれ違う事情があります。

その事情を知ろうともせず、
誰かが誰かにおしゃれであることを強制することはできません。

おしゃれがどんなにか素敵で、どんなにか楽しいことであったとしても、
それをやるかやらないかは、その人自身の選択の問題なのです。

おしゃれでなくてもいい人はたくさんいます。
おしゃれであっても、最低の人間もたくさんいます。
おしゃれは人生の優先順位の一番ではありません。

おしゃれをしない権利もあることを覚えておいてください。
そしてそれを自分、もしくは他人が行使しているときは、
批判したり、邪魔をしたり、
あるいは「女たるものおしゃれをするべき」などと言って脅迫しないように。
それは本当にはた迷惑な行為なのです。

2021年10月12日火曜日

移り変わるのは流行だけではなく

20代のころ、ファッションで変わるのは流行ばかりだと思っていました。
けれども、それから年を重ねると、
ワードローブに影響を与えるのは、シルエットや色の変化としての流行だけではない、
ということがよくわかります。

変わっていった点を挙げてみましょう。
・買い方
・購入可能な服、靴、バッグ
・服、靴、バッグの値段
・使う金額

まずは買い方です。
これほど多くの人たちが通販を利用して服、靴、バッグを買うことは、過去ありませんでした。
昔、といっても90年代の通販は、まずハガキで紙のカタログを請求し、
それが届くまで鷹揚と待ち、買うものを選んで、ハガキあるいはファクスで注文し、
届くまで待つという、今の「明日届く」とは程遠い、のんびりしたものでした。

では多くの人たちはどこで服を買っていたのでしょうか。
それはブティックと呼ばれる地元の商店街にある店舗や、少し大きな街にあるデパートでした。
私が住んでいた街では80年代、商店街のブティックにさえ、
ライセンス生産のディオールやサンローラン、ジバンシーが売られていて、
ごく普通のマダムたちがそれらの衣服を買っていました。

次に、購入可能な服、靴、バッグです。
昔から商店で売られているものはもちろん購入可能でした。
しかしその購入可能なものの範囲がどんどん広がってきました。
まずはフリーマーケットやフリマアプリを通して個人のものを、
海外通販を通して海外のもの、
アウトレットではアウトレット商品を、
古着屋で古着を、
セカンドハンドのショップでは中古品をというように、
商店やデパートで売られている新品のものだけが購入可能なものではなくなり、
買う際の選択肢は一挙にふえました。
コート1枚買うのに、デパートのコート売り場に並ぶものから選択していた時代は、
もうとっくの昔に終わったのです。
今コート1枚買うのなら、
新品、中古品、アウトレット品、古着、フリマアプリで誰かが出品しているものなど、
多くの選択肢があります。

次に服、靴、バッグの値段です。
90年代、服の値段はどんどん上がりました。
今でも黒いセーターを28000円で買ったことを覚えています。
一緒に働いていた同僚は、ヨウジヤマモトのダウンジャケットを13万円で買ったと言っていました。
それが90年代の20代です。しかもバブルよりも後の話です。

それが今はどうでしょう。
普通に働いている20代が、こんなお金の使い方はしないでしょう。
10分の1とまでは言いませんが、
ファストファッションが出現し始めてから、
どうやったらその価格で作れるのかわからない、
安い服、靴、バッグが売られるようになりました。

それに伴い、人々の被服費も90年代の半分近くまで減りました。

ここ10年ぐらいの流れを見ていると、
人々の関心は、デザインそのものよりも、
どこで何をいくらで買ったかということに興味があるように見えます。
例えば「ネイビーでVネックのシルクウールのセーター」ということよりも、
〇〇というブランドの〇〇円のセーターということが先にきて、
その評価も「コスパがいい」「高見えする」または「〇〇万円もした」など、
価格について言及されるものがふえました。

特に安い価格重視の傾向は強まった結果、
ポリエステル、アクリル、レーヨン等、
化学繊維が使われている商品が大きく増えました。

買い方の変化、購入可能なものの種類の増加、安い値段の服、靴、バッグの出現により、
ファッションを取り巻く環境は大きく様変わりしました。

価格や、使われる素材はデザインに大きく影響します。
安く作るためには安い素材が使われ、
複雑な仕様、用尺の必要なデザインは排除されます。
そしてデザイン、素材とも凝ったものが欲しい場合は、多くの人がおいそれとは手が届かないようなハイブランドを選ぶか、
もしくは高価格設定の新進気鋭のブランドから選ばざるを得なくなりました。

その結果、街の風景さえ変わりました。

こんなにも選択肢があるにもかかわらず、
多くの人がデザイン的に無難で、ウエストゴムのように簡単な仕様の、
似たような服を着て歩くようになりました。

売られている量もふえたにもかかわらず、デザインや色の多様性は失われました。

さて、どうしましょうか。

答えはありません。
それぞれが、それぞれ自分の考えで選択するのみです。

ただ、覚えておいてほしいのは、
本当は選べる、ということです。

お金がないならないなりに、
デザインも、素材も、縫製も優れているものを選ぶことが、今は可能です。
それは80年代、90年代には想像することすらできなかったことです。

たくさんあります。
選べます。
望みさえすれば、90年代以上に、
よりオリジナルで自分らしいおしゃれは可能です。
それはやるか、やらないかの、その人の意思の問題なのです。





 

 


 






2021年10月5日火曜日

古着とヴィンテージの取り入れは世界的な流れ


先日、ある人から「古着やヴィンテージを取り入れると、他人からお金がないから買えない人と思われる」という話を伺いました。

そんなことを言うその「他人」は、今、古着やヴィンテージがどういうものなのか、全く理解していない様子ということがよくわかります。

まず第一に、古着やヴィンテージは現在、ファストファッションのように安いものではありません。

特に1980年代、90年代の古着は最近、値段が上がってきていて、古着でさえ、シャツで2万円近くするものもあります。

もちろんそれがシャネルやエルメスといったハイブランド品だったら、ジャケットやコートが10万円以上するものがたくさんあります。

次に、古着やヴィンテージは現在の新品に比べて価値やクオリティが低いと考えているのではないか、という点です。

10代、20代の方にはなかなかわからないと思いますが、現在作られている多くの服は、2000年代以前の服よりもクオリティが低くなりました。
それは素材、縫製、ともに言えることです。
特に、ポリウレタンの入った素材がふえたため、もはや古着にならないものが多いのです。

ちなみに、ポリウレタンの入った素材の消費期限は3年と言われています。

以前、服はこれほどクオリティの低いものではなかったのです。

特に日本の80年代、90年代の服は、今の日本のそこそこのブランドの服よりも、ずっとクオリティが高く、それらは現在、古着、あるいはヴィンテージとなって、高く取引されています。

さて、古着やヴィンテージをワードローブに多く取り入れるのは世界的な流れです。
アンバー・バレッタのように積極的に古着を買うように推奨しているモデルもいますし、
オリヴィア・ロドリゴのように、ヴィンテージと古着でステージに立つアーチストもいます。
海外のおしゃれな人のインスタグラムを見れば、「old celine 」「old prada」とタグづけられた多くのスナップを見ることができます。

サステナビリティを無視できないこと、
最近の服のクオリティが低く、すぐに着られなくなるようなものが多いこと、
高いクオリティの服は、定価で買うには高すぎるようになったこと、
デザイン的にも、素材、縫製とも、優れたものが古着やヴィンテージには多いことなどから、
これからますます古着とヴィンテージを取り入れることは、世界じゅうのおしゃれな人たちの重要なテーマになっていくでしょう。

もし誰かに「古着やヴィンテージを買うなんて貧乏な人がやることだ」と言われたら、
議論などせず、適当にあしらっておいてください。

古着やヴィンテージはそれほど安くはないこと、
選ぶには目利きでなければならないこと、
今の服よりもクオリティの高いものが古着やヴィンテージには多くあること、
サステナビリティを考える上でも、それは必須であること、
これらがわかっていて、かつ実践できる人こそが、
今の最先端を行く世界に通用する本当のおしゃれな人です。

 




 


2021年9月19日日曜日

服、靴、バッグが片付かない理由

 服や靴、バッグが片付かないという方がまだまだいらっしゃいます。
いろいろな片付け方法を試してみた。それでもまだ片付かないとおっしゃる皆さん。

では、服や靴、バッグが片付かない理由はなんでしょうか?

それはいろいろな意味において、服、靴、バッグがその人自身のコントロールする能力を超えたからです。

まず、収納の問題。
どういうところに住んでいるかによって、どれぐらい収納できるかが変わってきます。
狭い都会のマンションに住む人もいれば、田舎の広い一軒家に住む人もいます。

狭ければ狭いなりの収納スペースしかないでしょう。
そのスペースに収納できる量を超えたら、もうそれはコントロールできていないということです。
入らないものができたとき、それは片付かない理由となるでしょう。

次に、案外見落とされているなと思うのが、
人のコントロールできるものの量についてです。
たくさんのものを管理できる人は少数です。

多くのものを管理し、コントロールするにはその人のエネルギーと時間が必要です。
能力はあっても、時間がないなら、やはりそれは無理になります。
服、靴、バッグが多ければ多いほど、管理することは難しくなり、
難しくなればなるほど片付きません。

もちろん人によって、管理して、コントロールできる量は違います。
けれども、ほとんどの人は少ない量であればあるほど管理しやすくなり、
その結果、片付けも簡単になります。

片付かない理由は、その人の管理、コントロールできる以上の量の服、靴、バッグを所持しているからです。

場所、そして人の管理能力、これらは両方とも限界があります。
場所、時間、エネルギー、すべて有限で、無限にあるものではありません。

そしてこの有限を超えれば超えるほど、片づけることは難しくなっていきます。

好き、嫌いといった感情だけで所持する量を決めるのではなく、
場所、時間、エネルギーといった物理的な問題について、
客観的に判断する必要があります。

狭い収納スペースしかないところに住んでいて、片づける時間もないのなら、
それに見合った少ない量のものを持つしかありません。

最初に所持できる限度の量を決めて、その範囲内に常におさめていることが重要です。

感情と欲望が、もっともっととあなたを急き立てるかもしれません。
そんなあなたを肯定的にとらえる人たちもたくさんいます。
けれども、理性的にならないでいたら、最終的に困るのは自分自身です。

無限の欲望の言うことだけを聞いていたら、時間もお金もかかります。
片付かない状態が毎日のストレスの原因になります。
その眼に見えないストレスが日々重なって、あなたはなんとなく不調を感じるようになるでしょう。

まずは客観的かつ理性的に自分の状態を判断しましょう。
そしてどれぐらいまでなら自分が管理、コントロールできるか見極めて。
今がうまくいっていないのなら、それは持ちすぎているという証拠です。
どこまでなら自分が管理、コントロールできるかわからないのなら、
全体量を減らしつつ、自分ができる量がどこまでなのか見つけましょう。

それがどこなのかを知っているのは自分だけです。

自分の管理、コントロールできる量がわかり、
すっかり片付いた暁には、あなたは心底安堵することでしょう。

限界を超えてたくさん持つことは、幸せにはつながらない。
もっともっととあおった人たちの嘘が、あなたにもきっとわかる日が来るでしょう。

 




2021年9月3日金曜日

いいものを探す目

昔、テレビ番組のコーナーで、
文化服装学院の卒業生のタレントの方が、
街ゆく人をつかまえて「ファッションチェック」なるものをし、
あれやこれやだめだしするというものがありました。

あれは、いいところを見つけることよりも、
悪いところを抽出することにポイントが置かれた演出で、
チェックされた方たちもみな一様に「笑うしかない」様子でした。
内心は傷ついていらっしゃったのではないかと想像します。

そういう私も、
とある雑誌の取材を受けたとき、
「大人の女性のファッションのだめな点を教えてくれ」と言われました。
けれども私は、
「おしゃれはしてもしなくてもいいものだと考えているので、
おしゃれかどうかという点において、ダメ出しはしない。
それに私はいつもいいものを探しているので、
誰かのダメな点を見ようとはしていない」と答えました。

ほとんどのおしゃれについてよく知っている人、
あるいは勉強した人たちが探しているのは「いいもの」です。
観察する目的は「いいもの」を見つけることです。

そりゃあ、絶対に誰かのよくないところが目に入ることはない、
とは断言できません。
ストレッチのきいたパンツに下着のラインが出ていたら、
それは気になります。
けれども、あるとしたらその程度で、おしゃれかどうかは関係ありません。

世の中に、心から引きつけられるものはそう多くはありません。
その少ないものを探すためには、どうでもいいものを見ている余裕などないのです。
玉石混交の中から玉を見つけるために、いちいち拾った石について吟味している暇がないのと同じこと。
私たちが育てているのは、玉を素早く見つける目です。

その玉とは、ブランドのロゴではありません。
ロゴは単なる情報です。
私たちが探しているのは情報ではありません。
私たちが探しているのは心が動かされるという現象です。

画家の名前でその作品がいいものかどうか判断するのは素人です。
それでは贋作に騙されます。
贋作に騙されない目を持てば、どうでもいいものの前では素通りすることができます。

言えるのは、
おしゃれな人たちから変に思われるのかなんて気にしなくていいということ。
そして、
探すならいいものを。

いつでもいいものを見つめて。
いいものに意識を向けて。
そうすれば、いいものはこちらにやってきます。

まずは、いいものを見つめ続けてください。
日常の中で、いつもの場所で。

 

2021年8月31日火曜日

ウエストを強調するかしないか、それが問題だ

 ファッショントレンドにおいて、ウエストを強調するのかしないのかは、
かなり重要な問題となります。

ウエストの強調で思い出されるのはコルセット。
16世紀ごろに身体にぴったり添わせるボディスという形が完成し、
その後、20世紀初頭まであらわれては消えていったコルセット。
もちろん21世紀になっても、ヴィヴィアン・ウエストウッドやジャンポール・ゴルチエ、そして最近のプラダやディオールに至るまで、コルセットが忘れ去られたことはありません。

(ちなみに、ナポレオンの后妃ジョセイフィーヌが着用したことで有名なエンパイアドレスはコルセットを着用しません。)

要するに、ウエスト周りをふんわりさせるか、
もしくはウエストをはっきり強調するかが問題なわけです。

さて、80年代から90年代へ続いたビッグシルエット、
2000年以降の、その反動としてのタイトシルエット、
そして、そのまた反動としての2012、3年以降の再びのビッグシルエットの後、
少しまた違うシルエットの波がやってきつつあります。
それはビッグシルエットを維持しつつ、身体のどこかを強調するスタイル。
特にウエストを強調したい「気分」が世界じゅうにまん延。
理由ははっきりとわかりませんが、男性のスタイルと区別するためにも、
ウエストがことさら大事だと感じている人がふえたせいかもしれません。

ウエストを強調するためにはいくつかの方法があります。
前述のコルセットもその一つ。
昔のように苦しいほどにウエストを締め付けるわけではありませんが、
ウエストにコルセットをわざわざつけることにより、
自然と目はウエストにくぎ付け。

次に、ウエストに何も身に着けないという方法。
ボトムとトップスの間に隙間を作り、肌を見せます。
ただしこれは、「引き締まったウエストを見せる」というのが前提。
細いとか太いとかいうよりも、鍛えて引き締まった肉体が肝です。

次はベルト。
コートやジャケット、カーディガン等、そこにベルトがなくても平気なのに、
わざわざベルトをつけてウエストを強調するスタイルがこれ。
どこかでコートやジャケットを脱いだときにベルトを忘れそうになるからでしょうか。
とても簡単な割にはやっている人は稀なのが特徴です。

そして最後、ウエスト周囲を強調するデザインのもの。
前述したベルトで強調を、より一層際立たせるため、
パンツやスカートのウエストをハイウエストにするスタイル。
またそれだけではなく、ウエストから下にギャザーやタックを入れることにより、
ウエストとヒップに落差を作り、さりげなくウエストの細さをアピール。
例としては最近出てきたペーパーバッグと言われる、紙袋を口をぎゅっと絞ったようなウエストのスタイル。
スカートでもパンツでも、ペーパーバッグウエストのものを一点投入するだけで、
世界にまん延する今の気分、つまり集合的無意識に訴えます。
だから、誰が見てもなんだか新しい気分を感じ取るわけです。

ウエストを強調するかしないか、それは各個人の自由です。
そこにはその人の主義主張があります。
どちらでもいいのです。
それは選べます。

だけれども、多くの人の今の気分に訴えたいなと思ったら、
その気分が世界じゅうにうずまいているときに、
ジャケットの上にベルトの1本でもしてみるといいのです。
そのスタイルは言葉が通じない相手にも通じます。
少なくとも、同じ時代の空気を吸っている人なら、
ぼんやりとでも、その今の気分に気づくことでしょう。

気づくのはぼんやりでも、
印象は刻印されます。




2021年8月29日日曜日

好きと過剰

雑誌や、あるいはブランドのヴィジュアルでは、細部にわたって気を配った、
完ぺきなコーディネートが提示されます。
着ているものも、靴もバッグも、
アクセサリーや、そしてメイクはヘアスタイルも完璧で、
手を抜いているところはありません。

一方、私たちの日常生活において、すべてを完璧に整える機会は、
そう多くはないでしょう。
家で過ごしたり、仕事をしたりするときには、
アクセサリーやジュエリーはつけないかもしれませんし、
誰かに見られないのなら、なおさらのこと、
すべてを完璧にする必要性はありません。

このように必ずしも完璧に装う必要がないときに、意識せずともあらわれてくるのは、
その人の好き、つまり趣味嗜好でしょう。

誰でも好きなものに対しては過剰になるものです。

例えばTシャツが好きな人はTシャツが、
ジーンズが好きな人はジーンズが、
ピアスが好きな人にとってはピアスが重要な意味を持ち、
抜かしてはならないものになるとともに、
所持する数においても、過剰な傾向になるでしょう。

過剰があれば、その反対に不足気味のものもあるわけで、
Tシャツ好きは布帛のシャツについてはこだわりも薄く、枚数も少な目かもしれませんし、
ジーンズ好きはスカートのことなど念頭にないかもしれません。
またピアス好きに至っては、服よりもジュエリーのほうが重要かもしれません。

私が考えるに、これはごく普通のことであり、
全く問題のないことです。

雑誌やブランドの広告ヴィジュアルは彼らの目的のために完璧なルックを作っているのであって、それは私たちの目的とは違います。

私たちの目的はそれぞれ違うでしょう。
けれども、大方は、毎日が気分よく過ごせるように、
あるいは、快適に過ごせるようにと、
自分のポジティブな感情を維持するために身に着けるものを選んでいるのではないでしょうか。

自分の感情をポジティブに維持するのは自分の問題であり、
自分がその責任者です。
ですから、その責任を果たすためにも、好きなものについては多少、過剰気味であったとしても、誰からも文句を言われる筋合いはありません。

服好きはジュエリーにはそれほど興味がないかもしれないし、
靴好きは、服にはそれほど力を入れないかもしれません。

皆それぞれ何が好きかは違います。
そして自分の好きなことについて、誰かが強要することはできません。

自分の好きと過剰について、自分に許すということは、
その人が自分の感情についてきちんと責任をとるということです。

私たちの好きについては、私たち自身が任されました。
詳しい事情について知っているのも私たち自身です。
その事情は他人にはわかり得ないものです。

好きと過剰があなたのスタイルを作り上げます。

自分の好きと、その過剰さは大事にしましょう。
なぜなら、そういうものこそが、これから先もずっと、
私たちの気持ちに寄り添ってくれるものだからです。

 



2021年7月26日月曜日

おしゃれ上達方法

 多くの人が、
「おしゃれ上手になるにはいいものを見て、触れなさい」
ということを言っています。

私も同じことを言います。
しかし、これは土台の部分です。
この次の段階があります。

いいものを見て触れます。
そしてまずは感覚器官にいものを記憶させます。
記憶するのは、服の場合、主には色とバランスです。
そうすることによって、自分の中に基準ができます。

次にやることは、そのいいものと自分との差をなくしていく行為です。

例を挙げます。
ダンサーはこれを鏡の中の自分を見ながら調整します。
画家は、描いている作品を途中で客観的な視線でチェックして修正します。
作家は、書いたものを少し寝かせて、厳しい視線で見直してから書き直します。
歌手は、録音したものを聞き直して、新しく歌い直します。

どれも、自分の作品を客観的な視線で見直すことによって修正をかけます。
おしゃれもこれと同じです。

まずは、感覚器官に記憶させ、基準を作り、
次には自分自身を客観的な視線で見て、そして修正します。
服であったら、鏡の中の自分を客観的に見て、自分が既に持っているいいと思える基準に近づけるまで修正を加えていきます。

服なので、書き直したり、録音し直したりはできません。
ですから、試着を繰り返し、納得のいく色とバランスに近づけます。

鏡は家にあるものだけではありません。
街でふと目に入る自分の姿が映ったガラスも同じ役目を果たします。
子供でないのなら、チェックするのも、修正するのも自分です。
大人になればなるほど、大人は教えてくれません。

基準を高く持つこと、
そして修正を加えることで、おしゃれは上達していきます。
それはダンスや絵画、音楽、文章の上達方法と同じです。

大人になればなるほど、
鏡から遠ざかる人がふえていきます。
しかし、おしゃれな人とは鏡と仲がいい人にほかなりません。

気に入らなくても、鏡を割ってはいけません。
それは仲良くなるものです。
それはあなたのおしゃれを助けてくれる仲間です。

鏡と仲良くして、
そして鏡の中の自分と、
もう既に記憶の中にある理想の自分を近づけていきましょう。

問いかければ問いかけるほど、鏡は何が正解かを教えてくれるでしょう。





2021年7月22日木曜日

ボディコンシャス、ボディポジティブ

 1980年代、アズディン・アライアの登場によって多くの人に知れ渡るようになったボディ・コンシャス。
それは、伸縮性のある素材が身体にぴったりフィットし、
あたかも第二の皮膚のように身体を覆い、
ボディラインをはっきり見せるデザインでした。

(日本ではこれを「ボディコン」と呼びました)

実際に流行したのは、アライアほどのテクニックをもったデザイナーが作った
高度な技術を駆使して、フィットしつつ構築的に見せるスタイルのものではなく、
小さ目の服の中にぎゅっと身体を押し込んで、どこかしらフィットしているような、
コンシャス、つまり意識的というよりは、ボディを強調するような服でした。

あれから40年近くになろうかという2020年代、
同じように身体を意識する、しかし今回はボディポジティブと呼ばれる、
身体を肯定的にとらえるスタイルが復活しました。

1980年代との相違点はいくつかあります。

まず一つが、どのような身体でもポジティブにとらえる、ということです。
1980年代のそれは、スーパーモデルに代表される理想の体型というものがあり、
それに寄せていくことがよしとされましたが、今回のものは違います。
モデル体型だけが理想ではありません。
それぞれがそれぞれの身体を肯定的にとらえ、
それをさらすことを躊躇しない、というスタイルです。
背が高いくても低くても、やせてても太っていても、
それぞれにそれぞれのボディポジティブがあります。

もう一つの違いは、必ずしも全身にぴったりフィットしたものを着る、
という形で表現されない、ということです。
どういうことかというと、ボディポジティブは、
例えばボディスーツのような形をとることもあれば、
お腹を出したり、腕や背中、脚を出したりと、
部分的に露出させるという方法をとることもあるということ。
とにかくその人の身体を感じさせる部分があるのなら、
そこに衣服があってもなくてもよいのです。
表現方法は多岐にわたるので、好きな方法を選べます。

さて、このボディポジティブの流れは、ますます加速するだろうと予測されます。
身体そのものの「生(なま)」の感じを表現すればするほど、
新しい時代の空気を人はそこに読み取るでしょう。

表現方法としては、
ミニスカート、ショートパンツ、ベアトップ、オフショルダー、
クロップトトップス、ブラトップのように身体の一部を見せる方法、
そしてもう一つ、
ボディスーツやぴったりしたニットのセーターやパンツなど、
伸縮性のある素材で身体にぴったりフィットさせる方法です。

身体の重要性とは、すなわち「生き生きとした若々しさ」の強調です。
必ずしも若くある必要はありませんが、
閉じ込められた人工的な雰囲気よりも、
自然を感じさせる生っぽさのほうが重要になります。

それぞれの身体がそれぞれ肯定的に自分の身体をとらえるボディポジティブ。
どんな方法でそれができるか、それぞれ考えてみるといいでしょう。

自分の身体の好きなところ、どこでもいいのでさらしてみることを選択してみる。
他人の評価ではなく、自分が愛でている自分だけのボディを、
自分自身で見つめてみる。
そうすれば、
今まで忘れ去れてきたその部分が、はっとするほど美しく変容していくでしょう。



 

2021年7月20日火曜日

たくさん見ていくとわかること

 ときどき、自分がどういうものが欲しいかよくわからない、
と言う人がいます。

ではこういう方々は、なんでもいいのかといったら、
そういうわけではなく、逆にあれやこれや、着たくないとおっしゃいます。

自分はどういうものがいいかわからないけれども、
嫌なものはたくさんある。
こういう方が案外多いです。

こういう方々が何を欲しているかは、その人にしかわかりません。
宮廷料理人が好き嫌いの激しい王様に、
次々に最高の一皿を出しても拒絶されるように、
そういう方々に、あれやこれやとお勧めしたところで、
何を本当にお望みなのかは、こちらはわかりません。

ではどうしましょうか。

わからないのなら探すしかありません。
しかも膨大な資料の中から探すのです。

幸いなことに、今これを読んでいる方ならば、
インターネットにアクセスすることができます。
インスタグラムでも、ピンタレストでも、タンブラーでも、
どこからでも画像を取り出せます。

何が自分の望みかわからない方は、例えば、
「2021秋冬 コート」や「2021春夏 ワンピース」などと検索ワードを入れて、
上がってきた画像を片っ端から見ていけばいいでしょう。

たくさん見ていくと、その中に1枚ぐらいは、
自分の心が動くものが出てきます。
出てこないのなら、自分の心に何か引っかかるまで、見続けましょう。

探し物は、探さないと見つかりません。
探し物は、待っていても、あちらからはやってきません。

自分の本当に欲しいものをよく知っている人は、
探索して、それを発見した人たちです。

またどこかで、何が欲しいかわからない、というぼやき声が聞こえます。
実際に見に行って、多くのものと出合った人だけが、
探し物を見つけることができるのです。

秘訣はたったそれだけ。
やったかやらなかったか、それだけの違いです。

そうしてこれもまた、ほかの多くのものと同じように、
やるかやらないかは、自分で選べるのです。

自分が本当に欲しいものを知りたかったら、探索するという選択をすればいいでしょう。


2021年7月8日木曜日

大人こそ、セカンドハンドを取り入れて

 政府の家計調査によると、この20年間で被服費は約半分になっています。
また、服1枚の単価も2000年の約6000円から2019年の3202円とこれも半額程度になっています。
こちら

西洋の衣服というものは、大人になればなるほどクオリティの高いものを着るように設計されています。

2000年から2020年にかけて、誰でも大人になったでしょう。
そして中には、いい年の大人になった方も多いと思います。

しかし、20年前よりも半分程度になった被服費では、大人にふさわしい服は何かしら工夫を凝らさないと手に入れることはできません。

その工夫の一つはセカンドハンド(中古品)を取り入れることです。

セカンドハンド、その名のとおり、誰かの手に一度わたった中古品は現在、市場にあふれています。

ロードサイドのリサイクルショップ、駅ビルの中の古着屋、そしてメルカリを始めとするフリマアプリの利用により、以前にもまして中古品は身近なものになりました。

それだけではありません。セカンドハンドをワードローブに取り入れることは、世界のファッションの潮流にもなっています。

サステナビリティを意識した人たちは、当たり前のようにセカンドハンドを取り入れたルックを披露しています。
インスタグラムを見てみれば、「old celine」や「old prada」が散見され、それはむしろ誇れることになっています。

別にハイブランドのセカンドハンドを買う必要はありません。
けれども、もし好きなブランドがあるならば、メルカリを探してみてください。
セカンドハンドのものが安い値段で出品されているのがわかるでしょう。
また、数は少ないですが、街のリサイクルショップにも有名なブランドの中古品は売られています。

ただいいものを探しているのは皆同じです。
クオリティが高く、値段が安いものはすぐに売れてしまいます。
ですから、何か探しているのなら、定期的な検索が必要になりますし、
常に目星をつけておかなければなりません。

ある程度の年齢になったら、服は将来の財産になります。
年齢が上がれば上がるほど、ワードローブの新陳代謝もゆるやかなものになり、
今あるものを着ることになる人がほとんどです。

自分の好きなブランドのセカンドハンドを少しずつ買い足していけば、
立派なワードローブができ上がります。
それは将来、必ずや役に立ちます。

将来の財産となるようなセカンドハンドをぜひ探してみてください。
好きなブランドがあれば大丈夫です。
それについていけばよい。

ついていく相手を間違えると、簡単に迷子になります。
そこを間違えないようにして、将来にわたって着られる服を集めていきましょう。



2021年5月30日日曜日

11年後、変わったこと、変わらないこと

ブログ「誰も教えてくれなかったおしゃれのルール」を始めたのは2010年7月のこと。
あれからそろそろ11年。
ファッションに関して、変わったこと、変わらないこと、両方があります。

まずこの11年間で変わったこと。


・多くの人の1年間の被服費は減った。けれども買う枚数はふえた。
これは日本の統計を見ると出てきます。
どういうことかというと、1枚当たりの単価が安くなったということです。
この11年間で、安価な衣料への支出がふえ、かつ1年間で買う枚数がふえました。

・カジュアル化が各年齢層へと一層進んでいった。
11年前、ぼちぼちとお年寄りがスニーカーをはき始めましたが、現在はごく普通のことになりました。
ジーンズにスニーカーは若者の象徴ではなくなりました。

・11年のあいだにタイトシルエットからビッグシルエットへと変わっていった。
シルエットの変遷は2012年ごろから始まりました。タイトで丈の短いTシャツ、スキニージーンズやスーパーハイヒールに代表されるタイトシルエットは終了。
ビッグシルエットのTシャツにボリュームスカート、ワイドパンツが標準となりました。

・日本の夏はより暑くそして長くなったため、季節感が以前と変わった。
11年のあいだに日本の夏の気温は高くなり、また雨が多く、湿度が高い期間が長くなりました。
関東だと、5月の終わりから10月の頭まで、気温が高く、雨が多い日が続きます。
そのため、雨や湿度に対応する衣服が重要になりました。

・アウトドアウエア、スポーツウエア、ワークウエアの日常化
カジュアル化が進んだこと、日本の気候が変わったこと等の原因により、アウトドアウエアやスポーツウエア、ワークウエアを日常着として着る人がふえました。
また、同時にアウトドアウエア、スポーツウエア、ワークウエアのデザイン、機能が高まり、日常着としてふさわしいものが多く市場に出てくるようになりました。

・化学繊維の服がふえた。
これは1点が安価になっていることとも関連しています。原価が安いポリエステル、レーヨン、ナイロン、アクリル等、化学繊維の服が非常にふえました。
同様に天然繊維と化学繊維の混紡もふえました。
一方で、高温多湿の夏に対応するための、透湿性、UVカット機能など、高機能素材の化学繊維で作られた服も多く市場に出回るようになりました。

このようにファッションを取り巻く環境は随分と変わりました。

では変わらなかったことは。

最近、自分の書いたブログを古いほうから見直していますが、私が言っていることは変わっていません。
・長く着られる服を選ぼう。
・要らないものはリサイクルしよう。
・服は余っている!
・服装で他人をジャッジしないで。
・たくさんあることとおしゃれであることは関係ない。
・お金がなくても、工夫でおしゃれは作れる。

そのころは今ほどサステナビリティについて多くの人が語っていませんでしたが、最近は、それなしではファッションは語れないところまでやってきました。

さてこの11年。描いた未来が実現した部分と、思ってもいなかった現実の到来と、両方あったことと思います。
特に2020年から始まった新型コロナウィルス感染拡大による自粛生活については、一部の感染病について研究している人以外は、思いもよらなかった現実でしょう。

私も、初期のころからこのブログを見ている方々も、同じように11年分、年を取りました。
自分の中でも変わった部分、変わらない部分、両方あるのではないでしょうか。

変えなくていい部分は変えずに、変わらなければいけない部分は変えて。
ファッションが世界の疫病神にならないためにも、
いいものを長く大事に、リサイクルできるものはリサイクルして、
自分の人生の主人公になるためのワードローブを作っていきましょう!



 

2021年5月11日火曜日

要らなくなったら売れるような服を選びましょう

環境省の調査によると、
服を手放すときに、その服を譲渡、バザー、フリマアプリ、リサイクルショップなどを使ってリユースする率は20パーセントであるということです。

こちら

そのうち古着として販売されるものはわずか11パーセントです。

もちろん服を手放すときは、モノとして破損、汚れ等、もう着られないというものもありますから、すべてのものが古着として再利用できるというわけではありません。

しかしそれでも、全体の11パーセントしか古着として回されないというのは、少なすぎるのではないかと思います。

リユース目的で手放すにはいくつかの方法があります。

フリーマーケットで売る
フリマアプリで売る
古着店へもっていって売る
等です。

このブログを書き始めた当初から、私はモノとしてもう着られないというもの以外で、まだ着られるけれども自分では着られないものは、古着店へもっていくか、もしくはフリマアプリで売ってきました。

特に3年前からはフリマアプリ(メルカリ)を利用し、通販で買ってサイズが合わなかった衣類、もうつけないアクセサリー、もう使わなくなったアウトドアのバッグ、通販で買ったけれども痛くてはけなかった靴など、それぞれ1点か2点ですが、売ってみました。

ありがたいことに、私が出品したアイテムは出品して数時間後、遅くとも3日以内には売れるものばかりでした。
しかもつけた値段も買った値段の半額から3分の1程度であり、500円や1000円という値段設定ではなくても売れました。

早く、しかも高額で売れるには理由があります。

まず、一定数のファンがついているブランドのものであるということ。
また、その期間でしか売られないもの、かつ販売点数が少ないものであるということ。
そして、セールをほとんどしないブランド、またはしたとしても値引き率が低いところであるということです。

この条件をクリアすれば、出品しても確実に売ることができます。

これを読んでいる方のもう既に持っているアイテムが、この条件に合致するかどうかはわかりません。
しかし、これからの買い物をなるべく上の3つの条件を満たすものにしていけば、もし何かの理由で、まだ着られるのに着なくなった、あるいははかなくなった場合、フリマアプリを通して高額で売ることができます。

安価な大量生産された、誰もが着ているもの、誰でも持っているものは、
出品することは可能ですが、高額で、しかも早くはなかなか売れません。

最初の選択が重要です。
その選択を間違えなければ、自分が着なくなっても、まだまだそれを着たい人のところへ服、靴、バッグを送り込むことができます。

大量に買っても、大量に保持していても、身体はひとつであり、1年は365日しかありません。
着る機会、はく機会、持つ機会は有限です。

同じ手放すのなら、誰かのもとへいくように。
消耗品でないものを買うときは、
その選択を見極めましょう。


2021年5月1日土曜日

おしゃれなんて別にしなくてもいいもの

おしゃれなんて別にしなくてもいいものです。
最低限、暑さ寒さを防げれば、人はそれで生きていけます。

おしゃれなんて別にしなくてもいい。
しなくてもいいようなものだから、してもいい。

これはどっちでもいいもの。
それぞれが自分で選んでいいものです。

だから、誰かにおしゃれしなきゃいけない、なんて言われる筋合いはありません。
また、誰かにおしゃれをしてはいけない、なんて命令も無視して結構。
大事なのはどちらを選ぶか、自分で選べる状態にあることです。

おしゃれなんてしなくていいものとわかっていると、より自由になれます。

誰かに「おしゃれじゃなきゃ女じゃない!」なんて言われても
無視する権利はこっちにあるんだとわかっていたほうが、
もっと楽しくなれます。

義務も、強制も、脅迫も、劣等感の刺激も、誰かからのマウンティングも、
そんなものすべて、
「おしゃれなんて別にしなくてもいいもの」とわかっていれば、
スルーできる。

そうやってありとあらゆる方面から縛る見えない糸を取り払って、
自由に自分で選んでいきましょう。



 



2021年4月24日土曜日

あなたのワードローブにはアーカイブで埋め尽くして

 2021年のアースデイに、多くのハイブランドがサステナビリティに対する取り組み、あるいはコミットメントを発表しました。

あるブランドはリサイクルポリエステルの使用を、
あるブランドは製品のリペアとリセールを、
あるブランドは製品のトレーサビリティの明確化を発表しました。

ステラ・マッカートニーもドリス・ヴァンノッテンも、
ミウッチャ・プラダもエディ・スリマンも
自分がデザインした5年前の服、靴、バッグについて
「もう時代遅れだから着られない」とは言いません。
3年前のものも、5年前のものも、彼らにとっては大事なアーカイブです。

ある人が言いました。
「5年前のものはもう着られない、履けない」と言っている人がいると。
たしかに世の中には、すぐに飽きられる、着られなくなるように
運命づけられた服、靴、バッグも存在しています。

それらはすぐに劣化するポリウレタンが多く含まれていたり、
すぐに毛玉だらけになるポリエステルが使われたいたりします。
ファストファッションに多いそれらは、長く使えないように設計されています。

「5年前のものをもう着られない」と言う、その人が言う「着られない」のは、
その人が選んで自分で買ったもの、あるいは誰かにお勧めしたものです。
それはエディやステラがデザインしたものではありません。

ケイト・ブランシェットは2015年に着たドレスを2020年にも着ています。
ものを見る目があり、的確なものを選べるケイトは、
「5年前のものは着られない」なんて言いません。
その選んだドレスはケイトにとってのアーカイブです。

「3年前のものは着られない」とか「5年前の靴はおかしい」などと言っている人が
お勧めするものを選んではいけません。
その人がお勧めするものは、いずれそうなるということです。

消耗品は別として、
自分のワードローブはあなたにとってのアーカイブで埋め尽くしましょう。

あなたが自信を持って着ることができるのは、
3年後、5年後にすたれるであろう服や靴ではなく、
アーカイブとしてずっと持っていられる服や靴、そしてバッグです。

2021年3月1日月曜日

顔の時代

マスクの時代はまだ続きます。街ゆく人がマスクなしで歩けるようになるまでは、まだ数年かかると言われています。

では、顔は重視されなくなっていくのかというと、どうやら方向は全く別のようです。
それはマスクが原因なのかそうなのかはわかりませんが、顔及び頭部重視の時代が近づきつつあります。

まずそれは、メイクで示されました。
タイトなシルエットが主流だった、2000年以降、長いあいだ、メイクは細い眉と、ヌードリップに象徴されるような、メイクをしているけれどもしていないように見えるメイクが主流でした。

しかし、服のシルエットがビッグになるにつれ、眉は太く、マスカラやアイシャドウ、アイライナーといった目の周囲のメイクはより強調されるようになり、以前は考えられなかった、アイラインがごく日常のメイクの必須事項となりました。

そしてマスクの時代の今、その傾向はますます強まっています。

服が大きくなり、凝った素材やカッティング、フリルやプリーツといったボリューミーなものになると、メイクも服に負けず劣らず濃く、そして華やかになるのは、過去のトレンドの変遷を見ても明らかです。

同時に、服のボリュームが大きくなるにつれ、アクセサリーも大きくなります。その傾向がここへきて、特に顔と頭部において顕著に進みました。

しっかり描かれた眉と目の周囲のライン、シャドウは当たり前として、それに呼応するように、大きなイアリングやヘッドドレス、サングラス、または帽子が、顔とその周辺を飾るようになりました。

隠されているからこそ、私たちの顔への欲求は高まります。
顔を見せて外を歩くのが禁止されている今だからこそ、顔と、その周囲を美しく飾りたくなります。

その禁止は、かえって私たちにやる気を起こさせ、
それはいつしか決意に変わるでしょう。

そして夢見ているだけでは飽き足らず、
必ずや、実行に移す日がやってくるでしょう。

ただメイクするのではなく、
あなたの顔を、この世界にどのように示すのか、
その顔を通して何を表現したいのか、
そのためには、イヤリング、サングラス、ヘッドドレスや帽子をどのように使うのか、
マスクの時代が終わるのを待たずとも、考えて、実行して、修正を加えながら、動いていきましょう。

いつかそのときは必ず来ます。
それは約束されています。

2021年2月17日水曜日

モニターの中で

 新型コロナウィルスの流行により、実際に誰かと会う機会は減りました。
そして、そのかわりにモニター越しの出会い、そして会話がふえました。

モニターを通して、家で仕事、または講義を受けるとき、
私たちの多くは、楽な、堅苦しくない格好をすると思います。

会社や学校へ出かけるわけでもないのに、スーツでモニター越しの会議や授業に参加する人は少ないでしょう。

またモニター越しの場合、ほとんどが映るのは上半身のみです。
服を着ていても、見られるのはシャツやブラウス、Tシャツ、セーター、ジャケット、ベスト等になります。

どんなふうに自分の姿が映るかについては、使っているビデオカメラ、照明、部屋、また時間によってさまざまです。
映像のプロではないので、機材や照明が完璧というわけにはいきません。

そのときに気づくことがあると思います。

モニターの平面上に映るのは、自分の服だけではない、ということ。
その人がモニター上に、どの程度の割合で自分を映し出しているかによりますが、
モニター上に映っている大部分の面積は部屋の様子であり、
服と同じインパクトで、顔と髪が映ると思います。

モニター上に占める面積の割合でいくと、
服は、自分を大きく映し出している人で8分の1ぐらい、
小さい設定にしている人で10から12分の1といったところでしょう。

それに対して、同じ割合の顔と髪の毛があり、残りのほとんどが部屋になります。

モニターに映った人物がしゃべっている場合、おのずと視線はその人の顔にいきます。
画面を大きく占めているのは部屋の様子です。
ここで服は、顔と髪をよく見せるための背景となります。

顔の周囲に白いひだ飾りが取り巻くエリザベス朝時代のエリザベス一世の肖像画のように、
モニターの中では、身に着けるもの役目は、顔をいかに引き立てるかに変わります。

もちろんそれまでも、服の、特に顔周りは顔色をよく見せるために使われました。
しかし、モニターの中では、よりいっそうその役割と位置づけが強調されます。

モニターの中では、衣服は、
暑さ寒さを防ぐため、
痩せて見せるため、
全体のバランスをとるためよりも、
より一層、顔を引き立たせるための道具として使われるようになります。

それに気づかないまま、いつもの衣服でモニターに映ると、
人からは元気がないとか、顔色が悪い、あるいは老けて見えるようになるでしょう。

モニターに映るとき、私たちは考え方を変えなくてはなりません。

まずは顔と髪型を整えて、
それを引き立てるようなシャツ、ブラウス、セーター、その他トップスについて、それぞれ考えてみましょう。

人によって、それは白い襟かもしれません。
また、部屋も明るく、十分な照明と機材がそろっていて、顔色がよく映るのなら、
逆に黒いハイネックを着たほうが、顔がしまって見えるかもしれません。

その人の顔と髪型、映り込む部屋の様子、ビデオカメラと照明等、
条件が皆それぞれ違うので、一概に何がいいと言うことはできませんが、
基本的には、その人が元気で、若々しく見えるほうが、
具合が悪そうで、老けて見えるよりはいいでしょう。

モニターの中の自分をよく見せたいとき、いつもとは違う考え方をしてみてください。
コントロールできることは多くあります。
照明やビデオカメラで修正できることもあります。
もちろんメイクと髪型のほうが服よりも重要になります。

まだまだ続くと思われる、モニターの中の自分を見る時間。
でき得る限りのことをして、新しいコミュニケーションの方法に、慣れていきましょう。


2021年2月3日水曜日

マスクとともに

2020年に始まった私たちのマスク生活には、いまだ終わりは見えません。
マスクなしで表通りを歩ける日々は、あと2,3年は先になるでしょう。

マスクにファッション性を取り入れるかどうかは、その人の判断によります。
マスクをする目的はウィルスからの防御なので、それがおしゃれである必要は全くありません。

もちろんマスクを使っておしゃれをすることもできます。

例えば、着ている服と色や柄を合わせる、
レースやフリルといった、装飾のついたマスクをする、
マスクの耳へかけるひもの部分にイヤリングのような装飾物をつけるなど、
いろいろ考えられます。

ただし、どの方向でも、例えばサージカルマスクと二重にするなど、ウイルス防御対策は忘れずにしましょう。

問題はここではありません。

私たちはマスクをすることによって、外出時におしゃれをするという行為から、一歩後ろへ引きさがりました。
何よりも安全が大事です。

私たちがマスクを取って自由でいられるのは、マスクを取ることができるプライベートなエリアだけとなりました(もちろん場合によっては、家庭さえ安全ではないことがあります)。

肌触りがよいかどうか、
いい香りがするかどうか、
自分で家で洗濯ができるかどうか、
これらを点検していくうちに、自分がほんとうに必要としているものはほとんど持っていない、ということに気づいた人もいるかもしれません。

マスクで隠されたものの下にあったのはその人の無意識が作り出した表情と、そして生きていくために必要な、根源的なニーズでしょう。

いつかマスクをしないでも、心おきなく外出できる日がやってくるでしょう。
その日が来るまでには、まだまだ時間があります。
私たちにできるのは、
マスクとともに、そのマスクの下に隠されたニーズを探索することです。

方向性は正しいのか、
必要なものは何なのか、
間違った選択をしてはこなかったか、
そして、あなたのワードローブはあなたがやるべきことをやり、到達すべきことを到達するために存在しているのかどうか、
自分へ問いかけ続ければ、きっとわかるようになるでしょう。

☆お知らせ YouTube始めました。こちらです。
ごらんくださいませ!