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2017年7月27日木曜日

バッグと靴の色の選び方『わたし史上最高におしゃれになる!』より抜粋


検索の多いバッグと靴の色の選び方について、
『わたし史上最高のおしゃれになる!』P182ページより該当部分を抜粋します。


バッグと靴の色の選び方

バッグと靴の選び方も、基本的には全体の色を3色以内で構成する3色ルール、そしてリレーションを作ることと同じ考え方です。つまり、靴もバッグも自分が選んだ3色の中のどれか1つの色から選べばいいわけです。例えば、自分が選んだメインカラーがネイビー、赤、白で、サブカラーとして茶色を使うなら、リレーションを作りたい場合は靴とバッグの色を揃えて茶色にしたり、白にしたりすればよいですし、リレーションを作らない場合は、ともかく全体の色が3色以内になるのであれば、靴もバッグも自分が決めた色である、ネイビー、赤、白、茶色、どれを選んでもよいということです。


ただし黒と茶に関しては少し注意が必要です。昔からあるコーディネートの基本的な考え方として、バッグ、靴、ベルトの色は合わせる、というルールがあります。最近はこの考え方がだいぶ崩れてきて、バッグと靴が違う色のスタイリングも多く提案されています。ただし、黒と茶色に関しては、少なくとも靴とバッグは合わせるという考え方が根強く、最新のモードなスタイルを選ばない場合は、靴とバッグを黒なら黒、茶色なら茶色と合わせたほうが無難です。古典的で保守的なスタイルほどこの傾向が強いので、あまり冒険したくない場合は黒と茶に関してはバッグと靴の色を合わせるとよいでしょう。また、黒なら黒で靴、バッグ、ベルト、時計のベルト、アクセサリーまでしっかり揃えてくると、よりクラッシックで、正統な雰囲気を出すことができるので、オフィシャルな度合いが高い場面などでは、統一することをお勧めします。


しかし、これとは逆によりモードっぽい雰囲気を出すには、靴とバッグをわざと違う色にするという手法が最近は多く見られます。特に靴に関しては、黒や茶色など、ありきたりな色ではない色、例えば赤、ピンク、青、黄色、紫、緑などを持ってくるほうがよりおしゃれに見えます。3色ルール以内で、リレーションができるのでしたら、靴とバッグの色を変えて、靴をこういった色にしても問題ありませんので、よりおしゃれに見せたい場合は、そういった色の靴をワードローブに追加してみましょう。いきなり高い靴でこういった色を買うのは勇気が要るので、まずはスニーカーやバレエシューズで試してみるのがお勧めです。


靴とバッグ選びに関しては、注意していただきたい点があります。
多くの方がやってしまうのは、自分のワードローブの色彩計画など考慮せずに、いきなり赤いバッグや、ベージュの靴を買ってしまうというやり方です。例えば、赤いバッグに合うコーディネートは何ですかという質問をされる方が大変多いのです。察するに、自分の色彩計画など持たずに、気まぐれで、もしくは誰かにお勧めされたからか、流行っているとかの理由で、いきなり赤いバッグを買ってしまったようです。


自分で色彩計画を立てて、サブカラーとして赤を選んでいるのなら、赤いバッグだろうが、赤い靴だろうが、赤いコートだろうが、合わせるのは可能ですし、簡単です。けれども、自分が集めている色の中に赤がない場合、もしくは、何か色を集めるという考えさえなく、ただ思いつきで漫然と、その時々の気分で好きな色を好きなだけ買っている場合は、それが赤だろうが、黄色だろうが、どんな色合わせも難しくなるでしょう。


これはお料理にたとえて言うと、こんな感じです。自分がリンゴのタルトを食べたいとして、リンゴのタルトを作ることが目的だとしたら、必要な材料はリンゴ、砂糖、小麦粉、バターとなります。そしてリンゴのタルトに必要なものを買いに行きます。それなのに、ただ単においしそうだから、今日は安かったから、誰かに勧めたからという理由でキウイを買ってきたとするならば、今度はそのキウイが最もおいしく食べられるお菓子のための材料を、新たに用意しなければならないのです。


洋服についても同じです。まず何を作るかを考えてから食材を用意するのと同じように、まず全体のイメージがあって、その上でアイテムを集めていかなければ、望むような結果は得られません。何だかよさそうだから、流行っているから、勧められたからという理由で、自分の望むイメージと全く関係のないものを入れようとしても、それではうまくいきません。うまくいかせるためには、すべて一から揃え直す必要が出てきます。


自分は赤でリレーションを作る、それでコーディネートを完成させるのだという目的があるのなら、それに合った赤いバッグなり、赤い靴なりを付け足せばよいのです。いつでも最終のイメージの完成ために何かを付け足すようにしてください。


また同様に、何にでも似合う、合わせやすいバッグの色は何ですかという質問もよくいただきます。これも、自分が決めた色の中だったら、何を持ってきても構いませんが、行き当たりばったりで服も靴もバッグも買っているのだったら、そんな色はありません。ただ無難にまとめたいのなら、黒でリレーションを作ると決めて、黒で靴もバッグもベルトも揃えておくとよいでしょう。黒でしたら、靴にしても、バッグにしても、ほとんどの型や大きさのものがいつでも売られていますので、探すのも、集めるのも簡単です。

詳しくは『わたし史上最高のおしゃれになる!』をご参照くださいませ。アマゾンさんはこちら
または全国各書店でどうぞ!




2017年7月20日木曜日

秩序

西洋の美の伝統を振り返ってみれば、
特に自然に対するその態度の中には必ず秩序(ORDER)
つまりコントロールされることによってなされた様式美や法則性が見てとれます。

自然と美という点でわかりやすいのは芸術としての庭園です。
特にルネッサンス期以降、このコントロールされた様式美は顕著で、
アンドレ・ル・ノートルの設計したパリのテュイルリー庭園や、ヴェルサイユの庭園といった、
フランス式庭園にそれを見ることができます。
自然界に存在する樹木は幾何学的に刈り取りトピアリーにされ、
そのトピアリーを正確に左右対称に配置されたそこには、
自然の姿を見ることはできません。

一方、ラーンスロット・ケイパビリティ・ブラウン設計の
チャッツワ―スやブレナムパレスなどに代表されるイギリスの風景式庭園は、
見た目こそ自然そのものではありますが、
これもまた、コントロールされた自然であり、
決して自然そのままというわけではありません。
中でもウィルダネス(Wilderness)と呼ばれる風景式庭園の一部分は、
まるで自然の中の荒野のようではあるにもかかわらず、
それとて人間の手で人工的に、自然さを装った、
秩序のある自然です。
それはあたかも、3時間かけて作り上げるナチュラル・メイクのようであり、
西洋の美は、それが自然のように見えるものだとしても、
必ずコントロールされているものである、ということがわかります。

衣服においても、そのことは顕著です。
西洋の衣服の歴史において、特に女性の肉体は自然に属し、
コントロールされるべき存在であり、
コントロールされて、そこに秩序があってこそ、
美を感じさせるものでした。
コルセットはその役割を果たし、
そのほかの部分がいくら自然に乱れて、自由に動き、膨張していったとしても、
肋骨を含む胸郭をコルセットを使うことによってコントロールされている、
その姿勢に西洋の人々は美を感じていたのです。

この美意識は、現在の衣服の中にもまだ残っています。
全体の配色を3色以内にする3色ルールも、
色またはシンボルや形状を2か所以上配置し関係性を作る方法も、
上下を同じ色、同じ素材で作り上げるスーツも、
その秩序の1種類です。
思いつきや自然のままではない、意図されたことを取り入れることによって、
美を作りだすのです。
それは人によって考案され、試され、作られた美です。
それは自然ありのままではない。
よって、意図しないことには生まれないものです。

流行によりシルエットが変遷し、
今まで考えられなかったような小ささ、あるいは大きさ、
装飾過多、もしくは無装飾の状態になったとしても、そこに美しさが顕現するのは、
必ずどこかしらこのコントロールされた様式や法則性があるからです。
それが全くなくなると、それは単なる不格好な、意味をなさないものとなり、
それを私たちはファッションではないと感じます。

私たちが装うとき、何かしらおかしい、または何かしら物足りないと感じるならば、
どこかにこのコントロールされた、すなわち秩序を取り入れるとよいでしょう。
使う色を3色以内にとどめ、どこかに関係性を作って、
それでもまだ何か足りないと思えるのなら、
もう1つコントロールされたものを入れればよいのです。

コントロールされるのは何も服そのものだけではありません。
モダンな装いが取り入れたのは、コントロールされた肉体です。
シェイプアップとは、まさにそのことで、
単に痩せていることを指すのではありません。
あくまでも全体のバランスに美があるかどうかが重要で、
実際の体重の多寡よりも、その均整が大事なのです。

しかし、痩せていなくても、コントロールされることは可能です。
痩せていないのならば、装いの中に秩序をしっかりと組み込み、
コントロールされた部分を意図的に作れば、それはそれで意味のあることです。
そのためにはいくつかの方法があります。
それだけで形がはっきりとあるような、立体的で優れたパターンのジャケットやコートを着ることも、
ヒールの靴を履くことも、
固い襟やカフスも、すべて自然の形態そのままではないのですから秩序です。
例えばジャケットやコート、またはドレスの上からする
ズボンがずり落ちないようにする目的ではなく使われるベルトは、
誰でも簡単に手っ取り早くコントロールされた部分を作る方法です。
痩せていないのなら、これらを取り入れて、
自然な肉体がそのまま露見してしまわないようにすればよいでしょう。

もちろん太っていないということは、
肉体がコントロールされているということですから、非常に価値があります。
しかし、それが不可能ならば、
美を作りだすために必要なのは痩せて見せることではなく、
どこかしらコントロールされた部分を取り入れることです。
そうすれば、そこに西洋の美を作りだすことができます。

自己否定から美は生まれません。
美はコントロールすることにより生まれます。
自然のままではいけないのです。
おしゃれとは、そのことを知って自分でコントロールすることです。
コントロールされる存在ではなく、
みずから意図的にコントロールする存在になること、
それが最も重要です。
なぜならそれは、コントロールされた精神の持ち主であることの証だからです。

2017年7月13日木曜日

うたかたのドレス

あなたが毎日チェックする、
その人の社会的なつながりに関するサービスにアップされた、
あなたが素敵だと一瞬思ったドレスは、
まるでうたかたのドレスです。

あなたが毎日チェックするその人は、
いったいそのドレスを過去に何度着ていたのでしょうか?
たぶん着ていたことがなかったか、
あっても1度、もしくは2度程度。

それが素敵に見えたのは、
あなたが初めて見たものだから、
あなたにはよく見えないから、
あなたにはさわれないから。

あなたが今どうしてもそれを欲しくなってしまうのは、
あなたには手が届きそうにないから、
あなたには着られないだろうから、
あなたはきっと、見ているだけだろうから。
明日も、相も変わらずに。

そんな泡沫のドレスに、あなたは毎夜、悩まされ続けます。
もしかして手に入れることができるかもしれないと、
そのための算段をいろいろ考え始めます。
そのため、思いあまって、
「そのドレス、どこのブランドのものですか?」などと、
ほとんど返事がもらえる可能性のない質問を、
自分の名前を隠して、その人にはわからないような小さな隠喩で作られた名前で、
聞いてしまったりするでしょう。

そんなことを聞いて、万が一、返事があったとしても、
あなたはそれを手に入れるわけではないのです。
ただそのドレスを自分が着てみる可能性を、
数秒ほど考えてみただけ。
その数秒を、いらぬ空想に奪われただけ。

そんな繰り返しの毎日は、あなたを幸せにしたでしょうか?
あなたはそのうたかたのドレスを見るたびに、
あの、得も言われぬ、宇宙に偏在する愛のネットワークに触れる、
そんな感覚を得られたでしょうか。
得られると言うのなら、それを続ければよいでしょう。
うたかたのドレスを夢見続ければいいでしょう。
けれども、もしそうでないと言うのなら、
そんなうたかたのドレスに恋するのはやめることです。

あなたを幸せにするドレスは、そんなところには存在しないのです。
それはもっと身近な、
触れられるところにあるのです。
少なくとも確実に返事があるような、そんなところに。


幸せになりたいのなら、
泡のようにはかなく消えない、あなたの手に届くドレスを選んでください。
そしてそのドレスを着て、空想ではない、実在の道を歩いてみること。
そのドレスの素肌に触れる感触こそがあなたを幸せにするものだと、
きっとあなたは気付くでしょう。