バイカー・ジャケットに代表されるレザー・ジャケットは、
男らしさ、ハードさ、反抗的なイメージを持つアイテムです。
黒い革ジャンで、まず思い出されるのは、
「理由なき反抗」のジェームズ・ディーンであり、
「波止場」のマーロン・ブランドです。
それはまさに男くささや、そして社会に対する反抗的な男性によく似合うジャケットであり、
彼らはそのキャラクターを強調するために、
よりハードで、タフな革ジャンを選びました。
女性がこの男くさいアイテムである革ジャンを着こなすときは、
このマスキュリンの度合いが100パーセントの革ジャンに対して、
どのようにフェミニンな要素を取り入れてバランスをとるかがポイントになります。
ハードなレザーを身につけた女性として、
真っ先に思い出されるのは、キャット・ウーマンであり、
日本では峰富士子です。
(ええ、峰富士子は二次元の存在です。また、レザーではなく、ビニールだという意見もあり)
彼女たちは、その豊満な肉体をハードなレザーで身を包むことにより、
女性性をより強調させます。
そして、その女性的なボディのラインと、男性性の象徴であるレザーのコントラストが、
セクシーな感じを生み出します。
そこに落差があればあるほど、見る人は、なまめかしさや、
色気を感じるのです。
残念ながら、人間は大人になればなるほど、その性差がなくなっていくと言われています。
性差があいまいになり、
それをそのまま放置したならば、
おじさんおばさんや、おばさんおじさんになり、
男性と女性、どちらともつかない、
かといってデヴィッド・ボウイやティルダ・スウィントンのような、
アンドロジーナスな魅力があるわけでもない、
中途半端な存在になっていきます。
レザー・ジャケットは布帛のジャケットに比べて高価であり、
大人にふさわしいアイテムであるわけなのですが、
大人がレザー・ジャケットを着る際には、
「まるで男」にならないように、注意が必要です。
それは余りにも簡単に、
男性側の崖へ落っこちてしまうアイテムでもあるからです。
「まるで男」にならないためにも、レザー・ジャケットを着るときは、
ジャケットそのものにフェミニンな要素が入ったものを選ぶか、
(たとえば袖はニットのもの、明るい色のもの、写真のようにスワロフスキーのボタンが使われたものなど)
もしくは、コーディネイトするときに、スカートやドレス、
シフォンやフリルなどのついたブラウス、
ピンヒールの靴、パールのネックレスなど、
男性が身につけないような、女性的な要素のアイテムをあわせることが肝要です。
そして、男性性と女性性のコントラストがはっきりすればするほど、
セクシーになり、おしゃれに見せることができます。
もちろん、峰富士子のようなグラマーなボディや、
緩やかに波打つ豊かな髪の持ち主など、
その人自体が女性性の象徴のような存在だとしたら、
あえて女性的なアイテムを持ってくる必要はありません。
要するに、後ろから見て、男性と同じにならないようなスタイルを作り上げることができれば、
それでいいのです。
見る人の心を動かすことができるのは、その落差なのですから。
ここで言う男性や女性は、
必ずしも生まれたときにそうだと判断された性別ではありません。
自分がぴったりフィットすると感じられる性別のことです。
生物的には女性と判断されたとしても、
実際はそうではない人もいるでしょう。
また、男性でも、女性でもないという性が、
自分にとって一番ぴったりくると感じる人もいるでしょう。
衣服を着ることによって、
私たちは、より自分にぴったりくる性を表現することができます。
レザー・ジャケットを着るとき、
自分が女性だと感じている人は、女性ならではの着こなしを、
自分が男性だと感じている人は、そのままストレートに男性的な着こなしを、
そのどちらでもないアンドロジーナスな存在なら、そのどちらにも属さない、オリジナルな着こなしを、選ぶ権利が私たちにはあります。
そして同時に、女性が男性のようになる必要も、
男性が女性のようになる必要もありません。
自由と平和がある限り、
フェミニンでも、マスキュリンでも、
私たちは選べます。
男性的なレザー・ジャケットに身を包みながら、ありったけの女性性を表現する、
そんな着こなしが許される時代に、私たちは生きています。
☆写真:スワロフスキーのきらきらしたボタンがレザーのハードさを和らげている、上質な革のジャケット。こんなジャケットが、大人の女性にはふさわしいです。
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