おしゃれをする権利があるのと同様に、おしゃれをしない権利もあります。
おしゃれに価値を置かない、
あえておしゃれに見えないようにする、
わかっているけれども、今はできないからおしゃれはしない、
そういう権利は誰にでもあります。
服を着ないで、あるいは下着のまま街を歩けば、
それはとがめられますが、
おしゃれでないからといって、誰かから何かを言われる筋合いはありません。
それは、誰かがおしゃれであることを選択したように、
おしゃれでないことを選択した結果にすぎません。
この選択は自由なのです。
新しいものを買えないとき、
服を買うお金がないとき、
病気のとき、
おしゃれする気分ではないとき、
家庭の事情でおしゃれができないとき、
またはおしゃれであることに全く意味を見出せない、
おしゃれであることは邪魔である、
あるいはおしゃれであることが嫌な場合など、
おしゃれをしない理由はさまざまです。
人にはそれぞれ違う事情があります。
その事情を知ろうともせず、
誰かが誰かにおしゃれであることを強制することはできません。
おしゃれがどんなにか素敵で、どんなにか楽しいことであったとしても、
それをやるかやらないかは、その人自身の選択の問題なのです。
おしゃれでなくてもいい人はたくさんいます。
おしゃれであっても、最低の人間もたくさんいます。
おしゃれは人生の優先順位の一番ではありません。
おしゃれをしない権利もあることを覚えておいてください。
そしてそれを自分、もしくは他人が行使しているときは、
批判したり、邪魔をしたり、
あるいは「女たるものおしゃれをするべき」などと言って脅迫しないように。
それは本当にはた迷惑な行為なのです。