人間が衣服を着ることの基本的な意味は、寒さ、あるいは危険なものから身を守るため、
つまり、生存のためです。
動物のように何も着ないでも生存できるのなら、
衣服を身に着ける必要は生まれなかったでしょう。
衣服がなければ生存できないか弱い生き物、それが人間です。
次に衣服を着る意味は、
何かのグループの一員として、
あるいはそのグループの中の地位の明示のためでしょう。
ほとんどの文化には、高い地位を示すための衣服や、
その者が儀式をつかさどるための衣装があります。
その一方で、奴隷は奴隷の身分がわかるような身なりをさせられます。
衣服によって生存がある程度、担保されると、
余裕が生まれ、文化が発展します。
その余裕の暁に生まれたのが、いわばおしゃれです。
そのおしゃれ、では何のためにするのでしょうか。
その答えは人それぞれです。
プロダクトとしての衣服が好きな場合は、ただ単にそれを楽しむだけのためにおしゃれをするでしょう。
また、承認欲求を強く持つ人にとっては、誰かに認められるためにおしゃれをするかもしれません。
それを除いてもなお、おしゃれをする意味とは何なのかを考えてみたいのです。
それは、私たちが私たち自身に新しい経験を与えるためなのではないでしょうか。
人間が相互にかかわりあって形成される社会において、
何を着るかによって、行けるところ、できることが変わってきます。
はっきりとそれが示されるのが「ドレスコード」と呼ばれるもので、
しばしばホテルやレストランで提示されますが、
これは、ここでの滞在、あるいは会食を経験するためには、
ドレスコードに示された衣装を着用してくださいね、という意味です。
つまり、その示されたコードにのっとった衣装を身にまとうことで、
その人に、ホテルあるいはレストランでの経験が許可されるのです。
その結果、その人の経験の幅は広がります。
特段、ドレスコードを示されてはいなくても、
おしゃれをすることで気分よく、楽しく経験できる事、あるいは場所はいろいろあります。
素敵なお店での買い物、
しゃれたレストランでの食事、
観劇、コンサートやライブに行くこと、
同窓会に参加することなど、
自分以外の人がそこにかかわるものが主なものです。
これが例えば自然の中、自分ひとりで山登りをするのでしたら、
おしゃれよりも重要なのは安全対策であり、熊に襲われないための装備です。
(切実)
隠遁生活者は、よほどのおしゃれのディレッタントでない限り、
おしゃれなどする必要はなく、
生存のために一心不乱になればよいのです。
大人である私たちが自分自身にあげられる大事な贈り物の一つが経験です。
そしてその経験の一つ一つを、私たちは想い出と呼びます。
20代のころには、「想い出作り」という題名のドラマを見ても、
ただドラマの筋を追っていくのみで、
そのドラマで繰り広げられた出来事が、
想い出を作るための経験だったとは知る由もありませんでした。
しかし時が過ぎ、過去の時間のほうが未来の時間よりも長くなると、
その「想い出作り」の重要性がわかるのです。
そして、その想い出を自分に渡せるのは自分しかいないのだ、ということも。
おしゃれをすることによって、経験の幅は広がります。
そしてその経験は自分自身へのプレゼントになります。
そのプレゼントははことあるごとに開封され、
自分だけ、あるいは誰かと分かち合って楽しめます。
もうできない経験をなつかしむという感情を味わえます。
自分という記憶が続く限り、
あるいはどこか永遠の記憶の貯蔵庫に、
楽しかった想い出として記憶される限り、
それはずっとプレゼントです。
どうせおしゃれをするのなら、
自分へのプレゼントとしておしゃれをしてはどうでしょうか。
想い出の宝箱の中に、一つ一つ光る宝石のように、
その 想い出をしまいこんではときたま取り出してながめつつ、
あらゆる感情に浸ることができるならば、
この後、どんなことが人生に起ころうとも、
なんとかやり過ごせると思えるでしょう。
なぜなら想い出は、他人には奪えませんから。
そして、誰かが欲しがっても、他人にあげることはできませんから。
誰にも奪われないそのものこそが、人生を支えるものなのです。
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「おしゃれをして何かをした経験」、これが私たちの見えない財産となり、
終生、あなたに寄り添います。
記憶がなくなってしまうまで。
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