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2013年1月21日月曜日

「子供っぽい」と「大人っぽい」

このブログをどういう年齢の方々が読んでいらっしゃるのか、
実際のところ、私にはわかりません。
けれども、大方、皆さん、大人だろうなと思って、
実際の年齢ということではなく、「大人」を対象とした内容のものが多いと思います。

けれども最近、けっこう20代の方々も読んでくださっているようで、
大人っぽい着こなしをするためにはどうしたらいいかという質問をいただきました。

服装において、「大人っぽい」と「子供っぽい」は何が違うのでしょうか。

皆さんも何となく、これは子供っぽいよねとか、
あれは大人っぽいなとか、気付いてはいるでしょうけれども、
それの一体どこが大人っぽい、または子供っぽい印象を与えるのかは、
はっきりわかっていらっしゃらないと思います。
けれども、「大人っぽい」と「子供っぽい」の間には、はっきりとした境目があります。
その境目とは、子供っぽさとは、すべてにおいて過剰である、ということです。

「子供っぽい」をあらわすキーワードには、カラフル、元気、ごちゃごちゃ、何でもあり、
エネルギーにあふれている、などがあげられると思います。
それに対して「大人っぽい」には、シック、エレガント、シンプル、洗練された、物静かなどでしょう。

子供というものは、とにかく何に対しても過剰です。
服装の場合も同じです。
子供服売り場を想像してみてください。
頭痛がするほどの、さまざまな色にあふれています。
コーディネイトする際も、3色ルールは適用しません。たくさんの色を使います。
また、色だけではなく、装飾も過剰です。
フリルも、ポケットも、リボンも、大きすぎたり、数が多かったり、大げさだったりします。
なぜかというと、それが子供っぽさだからです。
子供は、その過剰を、有り余るエネルギーで消化していきます。
たくさん動き、たくさん走り、笑って、泣くことで、その「過剰さ」と対等になります。
子供自身のエネルギーは、過剰な色、過剰な装飾がよく似合うのです。
ですから、子供が、変にシックな黒一色の装いなどをしていると、逆に不自然です。
エネルギーがふさがれている感じがします。

それに対して、大人は、エネルギーの過剰性がおさまってきます。
そんなにたくさんいらなくなります。
ちょこまかと動かなくなり、
キャーキャー叫ばなくなり、
大げさに笑ったり、泣いたりせず、
静かにふるまう、それが大人です。
そして、そうした大人には、過剰とは正反対のシンプルが似合うのです。

シャネルは、「シンプルであることが一番美しい」と言いました。
大人になればなるほど、シンプルが美しいのです。
なぜなら、過剰であることは、疲れるからです。

多すぎるフリル、
あふれる色、
目立ちすぎるデザインなど、
どれも大人っぽくは、ありません。

もし、子供っぽく見せたい、幼く見せたいのなら、
それを活用するのもいいでしょう。
それが必要なときも、あるのかもしれません。

しかし、そうでないとしたら、
シックで、エレガントな、大人の装いをしたいと思うのなら、
シンプルに徹することが重要です。
なぜかと言われれば、それが「洋服」というものだからです。

シンプルが少し退屈なのは、私も重々承知です。
私たちは、どうしても過剰なデザインのもの、
派手なデザインのものに目が行きます。

だけれども、大人なら、シンプルなそのものの中に、宇宙のすべてを入れることができると、
知っているでしょう。
小学生に、京都の竜安寺の石庭を見せても、何も意味がわからないかもしれませんが、
大人なら、あのシンプルな、すべてのものを最小限にした空間の中に、
宇宙のすべてを見ることができます。

シンプルであることは、ごまかしがききません。
素材もデザインも、すべて見透かされてしまいます。
もちろん、それを着るあなた自身の内面も、隠すことはできません。

何も隠す必要のない、
堂々とした自分の内面ができたなら、
あなたは、シンプルを楽しめるようになるでしょう。
過剰なデザインに助けられなくても、自分でいるだけで、人々を魅了することもできるでしょう。

その意味で、大人であることと、年齢とは関係ありません。
何一つうそ偽りのない、誰の前でも恥ずかしいことのない自分になれたら、
そのとき、あなたはもう大人です。
それができないと言うのなら、年齢がいくつであっても、まだまだ子供だということです。

どこまでもそぎ落としても大丈夫。
それでもまだ自信が揺らがない、それが大人。
そのときシンプルは退屈なものから、心地よいものに変わるでしょう。
それは、その域に達した人たちにしか、わからない価値なのです。