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2013年2月18日月曜日

大人のカジュアル

カジュアルな服の浸透がますます進んでいます。
もはやカジュアルな服は、子供や若者だけのものではありません。
一昔前までは、お年を召した方がスニーカーで外出するなど、考えられなかったこと。
もし、そんなことをしたならば、
「あら、どこかへハイキング?」などと尋ねられたわけです。
けれども、今は違います。
日常的なお買いものから、ちょっとした都会へのお出かけまで、
スニーカーにチノパンツ、パーカーというスタイルは、
老いも若きも当たり前の光景です。

子供からお年寄りまで、カジュアルな服を着るのがごく当たり前となった今、
大人ならではのカジュアルな服の着こなしが、
子供や若者と同じでは、ちょっともの足りません。
やはりそこには、大人ならではの余裕が見える、一工夫が欲しいもの。
では、大人が大人らしくカジュアルな服を着るには、
どこを気をつけたらよいでしょうか。

まず、気をつけていただきたいのが素材です。
このブログではもう何度となく書いていますが、
年齢を重ねれば重ねるほど、いい素材を選んでほしいのです。
しかも、デザインがカジュアルならばなおのこと、
若者のための服に使われるような、安い素材のものは着てほしくありません。
理由は単純で、
年齢を重ねた人間の皮膚に、質の悪い素材がのっかると、非常に安っぽく見えるからです。
安っぽく見えると、品がなくなります。
若者は、そこのところをぴかぴかの輝く肌でカバーしています。
しかし、大人は肌で素材の安さをカバーできません。
だから、質の高い素材のものを選んだほうがよいのです。

たいがい、質の高い素材というものは、光沢があります。
コットンにしろ、ウールにしろ、いいものには、いい光り方があります。
そして、それが肌うつりをよくします。
同じTシャツでも、海島綿のほうが、単なるコットンより輝いています。
ですから、大人になったら、とにかく上質の素材を選びましょう。
それがまず1つ。

次に、大人がカジュアルな服を選ぶときにお勧めなのは、
素材で選ばないのだったら、そのアイテムを長く作り続けている、
伝統的なブランドのものを選ぶということです。
長年同じものを作り続けているブランドには、その年月に積み重ね上げられた工夫がいたるところにしてあります。
長年かけて、1ミリの修正を行い、生地の更新を行っているのです。
もはや完成されたと言えるデザインは、本物であると同時に、
大人にこそふさわしいものです。

たとえば、トートバッグならLLビーンであるとか、ポロシャツならラルフ・ローレン、
フィールドジャケットならバブアーなど。
ほかにもいろいろあるでしょうけれども、伝統ある正統派のブランドを選ぶことも、
大人のカジュアルをきれいに見せるポイントです。
多少、値段は高いかもしれませんが、
完成されたデザインは、肉体そのものが美しい若者ではない大人が着ても、
十分美しいものですし、それだけの風格と品があります。

また、正統派ブランドのアイテムは、どこかにロゴやマークがついている場合が多いですが、
これもその伝統にのっとった自信のあらわれですから、嫌みにはなりません。
(逆に、意味なくいろいろなところにロゴやマークがある服はかなり嫌みだと、私は思っています)

そういう正統派ブランドを選んで着れば、着ていても安心感があります。
まさに裏切らないブランドです。

この2点を守れば、大人が若者と同じようなカジュアルなデザインの服を着ても、
どこも恥ずかしいことはないでしょう。
もちろんそのまま銀座を歩いてもいいわけです。

そして、ここまでできるようになったら、
次は、そのカジュアルな服を、たとえばレースのブラウスなど、
カジュアルとは反対方向のデザインのものとあわせるコーディネイトに挑戦してみてください。
バブアーのカーキ色のフィールドコートにチノパンツ、だけれどもレースのブラウスにパールのネックレス、ヒールのパンプスにアニヤのカーカーをあわせてみる。
これができると、かなりのおしゃれ上級者です。
色をきちんと あわせてワードローブを構築してあれば、誰にだってできます。

カジュアルの波が止まることはもうないでしょう。
なぜなら、カジュアルな服のほうが動きやすいからです。
動きやすいということは、それだけ自由であるということ。
一度スニーカーで都会を歩くことを覚えたら、もう二度と、歩きにくい方向へは戻らないのです。

洋服をきれいに着こなすためには「我慢」が必要であると考えられてきました。
それこそがおしゃれなのであると。
しかし、しなくてもいい我慢もあるのです。
我慢しなくてもおしゃれならば、それにこしたことはありません。
何のための我慢だったのか、思い出してみてください。
それは、他人から見ておしゃれに見えるかどうかを考えたからではないでしょうか。
けれども、もしその他人の目がなかったとしたら、それでもまだ我慢をするのでしょうか。


女性の服飾史は、女性が自由へなっていく歴史とリンクしています。
コルセットは脱ぎすてられ、
女性がパンツスタイルで外出することも可能になりました。
驚くことに、フランスではつい先日まで、女性の公の席でのパンツスタイルが禁止されている法律が生きていたのです!
スニーカーで都会を歩くことは、自由であるということの1つの象徴です。
一度手に入れた自由は、もう手放せません。

洋服を通しての自由は、まだまだ進んでいきます。
カジュアルな服の浸透は、本当の自由にたどりつくまでの通過地点です。
私たちが本当に自由だと感じるときまで、その道は続いていくでしょう。