多くの勤め人の方々にとって、通勤のための服というものの位置づけに悩むことだと思います。
それぞれの仕事、それぞれの勤務先、それぞれの方法、それぞれのスタイルがありますから、
一概に通勤のための服はどうすべきだというものはありません。
徒歩の人、自転車の人、電車やバスの人、それぞれ違ってくることでしょう。
しかし、ここで大きな差を生むのは、
仕事場に行くまでの手段ではなくて、その自由度です。
どんな手段で行くかよりも、そこへ行くための服装が自由であるかどうかのほうが、
よっぽど最終的にすべきスタイルに影響します。
自由であるかどうかということは、つまり、
自分の意志、意見を反映することができるかどうか、
好きにできるかどうかということです。
自由であることの悩みと、
自由でないことの悩みとでは、その悩みの中身自体が変わってきます。
ではここで、通勤というものを映画のワンシーンであると考えてみましょう。
時代は、とりあえず現代。
舞台はどこでしょうか。
都会、田舎、郊外、その他の地域。
移動の手段は歩きなのか、車なのか、自転車なのか、そのほかの乗り物(まさか船も?)なのか。
季節は春、夏、秋、冬、すべてについて考えます。
次にそのシーンの後に続く職場について考えてみてください。
そこで制服に着替えるのかどうか、着ていったままの姿で仕事をするのか。
制服に着替えるのであったら、あるいは、通勤着は何を着ても自由かもしれません。
何を着ていっても、同僚や上司に何か言われることはないかもしれません。
そこには自由があります。
次に、制服はなく、そのままのスタイルで仕事をする場合。
ここでは2つに分かれます。
それは自由があるかないかです。
まず、自由がある場合。
着ていくスタイルについては自由があるとします。
しかし、そこにはほかに登場人物がいないでしょうか?
そこでたった一人ぼっちで仕事をするなら、誰にも会わないというのなら、
それは本当に自由でしょう。
では、その職場は1人ということはなく、上司や部下、同僚などがいるとします。
そうなると、あなたはその他の登場人物と一緒にそのシーンに出ることになります。
自分が映画の監督であると同時に衣裳係やコスチューム・デザイナーであったとするならば、
当然、その他の登場人物との兼ね合いを考えます。
そのシーンにはそのシーンにふさわしい衣装があります。
それが何であるかを探らなければなりません。
また、登場人物だけではなくて、背景や舞台装置についても考慮する必要があります。
ポストモダンのコンクリート打ちっぱなしの建物の中での仕事と、
古い日本家屋をリフォームした小さなカフェでの仕事では、
背景が違いすぎます。
コスチューム・デザイナーは背景の色や質感、そして照明の当たり具合も配慮します。
太陽光に映える色や素材と、蛍光灯やLEDライトの下で映える色や素材は違います。
次に職場には100パーセントの自由がない場合です。
自由度がどれぐらいなのかは、その職場によってそれぞれ違うでしょう。
ジーンズがOKな職場もあれば、決して許されない職場もあるでしょう。
そこにはそれぞれドレスコードがあって、深い理由はなく決められているものでしょうが、
お給料をもらうのと引き換えに、守らなければならないものです。
いくら自分が自分を主役とした映画の主人公であり、監督であったとしても、
自分ですべてを自由には決められません。
お金を出すスポンサーが口出しをして、その意見に従わなければなりません。
その状況は、自分のボスは自分だけという状態にならない限り続きます。
それぞれが、それぞれの自由度の中で通勤するための服を決定していきます。
だから、通勤着はこうすればいいとは決して言えません。
なぜなら、あまりにもみなそれぞれ条件が違いすぎるからです。
しかし、どちらにしても一つ言えることは、
自由であればあるほど、好きな格好ができるということです。
逆に言えば、自由であるならば、ほとんどのスタイルは許されます。
そして、自由であればあるほど幸福度は高まります。
自分で決められるということは、幸せであることの1つの指標です。
それはたぶん、稼ぐ金額の多寡よりも大きな意味を持ちます。
好きなTシャツを1枚着ることは、高級なブランドの制服をいやいや着るよりも幸せなのです。
1年のうちの多くの時間、着るであろう通勤着ですが、
それを着ることが幸せであるかどうかは、自分がどれだけ自由であるかどうかによります。
通勤着を幸せなものにするためには、
自分をできるだけ自由な立場になるように努力しなくてはなりません。
そんなことできないと言ったら、それで終わりです。
残念ながら、その自由な通勤着への到達方法を教えてくれるところは、ほとんどありません。
(その逆の方法への道筋を教えてくれるところはたくさんあります!)
より多くの時間を幸せに過ごしたいのなら、
そのための努力を惜しむことはありません。
就職活動中の学生たちの同じスタイルを見るたびにため息が漏れます。
多くの学校は、自由がなくなるための道筋しか教えてはくれないのでしょう。
しかし、それは嫌だと思ったのなら、誰も教えてはくれないけれども、
道なき道を探しあてて、深い森をかき分けていくように、小さなランプをともしながら、
歩き続けましょう。
おしゃれで、そして幸せな通勤着を自分に着せることができるのは自分だけです。
ほかの人には何もできません。
そのためにまず必要なのは決意すること。
一歩踏み出したならば、次の一歩は、きっとすぐにでも見えてくることでしょう。
そして一歩一歩進めば進むほど、自由は手に入ります。
おしゃれで自由な通勤着を着ている主人公は魅力的です。
魅力的な主人公になるかならないか、決めるのはあなたです。