ファッションは、表現の1つの形態です。
服、靴、バッグ、帽子、アクセサリーなどを使って、
それぞれが自分を表現します。
それは、私たちの権利です。
他人の権利を侵害しているのでなければ、
ファッションについて、誰かにとやかく言われる筋合いはありません。
ファッションに関する規制は、自分で作ります。
私はジーンズははかないわとか、
ブルーを選ぶわとか、
ファーは絶対反対よとか、
それは自分で決めるものです。
それを決める権利は、自分しか持っていないからです。
けれども、年代や立場によっては、制服や、それに準ずるものを強いられる場合もあります。
学生や会社の制服、
セレモニーのときの決まった服装など。
しかしそれも、自分で納得して受け入れる範囲では、問題ありません。
逆に、どうしても受け入れられないものであったら、
そこから逃げる権利はあります。
おしゃれの基本的なルールを知り、練習することは、
画家ならばデッサンの練習、
ピアニストなら、バイエルの練習、
バレリーナのバーレッスンのようなものです。
型が決まった表現方法を身につけるためには、基礎練習は必須です。
しかしそれは、ルールにがんじがらめになるためにやるものではありません。
目的は、自由な表現を手に入れるためです。
自由とは、他人の自由を認めることです。
他人が自分とは違う存在だと知ること、
そしてその多様な姿を認めることです。
多様性とは、世界の豊かさです。
自由がなく、多様性を認めない社会では、
ファッションは成立しません。
その考え方がだめ、あの色がだめ、スカートの丈はこれでなければだめなど、
こと細かく決められたら、それはファッションではなく、
暑さ寒さをしのぐための、単なる布きれです。
ファッションが布切れにおとしめられたら、
形も色も失います。
形と色が禁じられた世界では、ファッションは禁止事項なのです。
なぜなら、ファッションは、もうそれだけで自由の象徴だからです。
ルールを知って、自由な表現方法を身につけると同時に、
この自由な世界を守り、育てていかなければなりません。
「自由」という前提がなくなったら、
何もかも終わりです。
終わりになった世界を、どうぞ想像してみてください。
今現在も、どこかにそんな社会は存在しているはずです。
あなたが今日来ているその服は、世界とつながっています。
無関心かもしれませんが、無関係ではありません。
ひとつひとつの選択が、その後の未来を決定します。
好きな色を着ていられる未来を望むなら、
それが実現できるように選択してください。
選択だけが世界を変えます。
あなたは、その力を持っています。