実際のところ、ファッションにおける「コンサバ」のはっきりした定義はありません。
どれもただ何となく、ある一定のスタイルをコンサバティブの略であるコンサバ、
つまり保守的なファッションであると呼んでいます。
世界のファッション用語に「コンサバ」という言葉はありません。
外国の雑誌を見ている限り、そんな表現のスタイルにはお目にかかれません。
では、ファッションにおける「保守的」とは一体、何なのでしょうか。
コンサバと呼ばれるようになったスタイルをまず最初に提案したのは、
どうやら雑誌の「JJ」のようです。
いわゆる女子大生ルックとか、お嬢様スタイルと呼ばれたスタイルが、
「JJ」には数多く取り上げられていました。
もともとはトラッドを基本としていたものを「コンサバ」と呼んでいたようですが、
知らない間に、「コンサバ」の領域が広がり、
トラッドとそのバリエーション、そして変化形まで、取り入れられるようになりました。
そのため、「コンサバ」と一言でいっても、さまざまなスタイルがあり、
その解釈も人それぞれです。
ただし、大きく言えることは、「コンサバ」である限り、
モードではない、ということです。
流行は否定はしないが、決してモードにはならない。
モードではないとはどういうことか。
それは決して、何事においても行きすぎない、ということです。
もし、「コンサバ」を志向するならば、
外しも、
着崩しも、
フェミニンとマスキュリンのミックスも、
抜け感も、
リラックスも、
アヴァンギャルドも、
決して選びません。
左右はいつも対象で、
シャツのボタンはきっちりととめ、
外しアイテムのような無用なアイテムは取り入れず、
マスキュリンの装いをするなど、もってのほかです。
私のイメージする、もっとも「コンサバ」なスタイルは、
皇室の女性の方々の装いです。
あの方々のスタイルを想像していただければ、
「コンサバ」の何たるかがおわかりだろうと思います。
決して乱れず崩れず、
どなたに対しても不快感を与えないように、
礼儀正しく清潔に、
きちんとしている服装、
それが「コンサバ」の王道だと思います。
「コンサバ」において重要なのは、徹底的な他人目線の追求で、
限りなく自分の主張を消していくこと。
そのために日本人がふさわしいと考えたスタイルこそが「コンサバ」なのではないでしょうか。
真に保守的であるためには、どこにも肩入れしないこと。
そして、自分の周囲全体の調和をもっとも重んじること。
ひいては、自分が出会う人たちすべての人に、
快く思っていただけるような装いとは何か、
その1つの答えが「コンサバ」なのではないかと思います。
そう考えるならば、皇室の女性の方々が、
真に保守的なスタイルをお選びになるのも、しごく当然なことです。
今、呼ばれている「コンサバ」が、
真の保守的なものであるのかどうなのか、わかりません。
しかし、真の保守であるところの「コンサバ」を目指すのならば、
流行を追いかけることも、
ブランド物をとっかえひっかえ買いあさることも、
たくさんの服を毎年買うことも、
全く必要ありません。
必要なのは、
自分が周囲に提供するスタイルによって、
すべての人が幸せになること、その1点のみです。
それができたのなら、そのときそれがどんなブランドのものであっても、
どんなに古いものであっても、
王道の「コンサバ」となることでしょう。
真の保守である「コンサバ」とは、洋服のスタイルで完成するものでありません。
自分だけがハッピーであるだけでは足りないと知ること。
そしてすべての人のハッピーを願うこと。
真の保守である「コンサバ」とは、その人の生きるスタイルです。