おしゃれの基本がわかって、
ある程度のことはできるようになったら、
次の段階はスタイルの確立です。
では、そのスタイルは何に基づいて確立すればよいのでしょうか。
ここで思いだしてほしいのは、
ファッション・アイコンと呼ばれている人たちのことです。
最近だったら、ケイト・モスにアレクサ・チャン、
少し前だったら、ジェーン・バーキン。
また、もっと古くはココ・シャネルなど。
もちろんほかにもたくさんいますが、
このようなファッション・アイコン、つまりおしゃれのシンボル的な存在の人たちには共通項があります。
それは、スタイルとそのキャラクターが一致しているということです。
たとえば、ケイト・モスもアレクサ・チャンも、ともにモデルですが、
私たちが思いだす彼女たちのスタイルは、
モデルとしてポーズをとった雑誌のグラビアに見られるスタイルではなく、
プライベートの着こなしのスナップの中での彼女たちの姿です。
スタイリングの完成度という点では、
雑誌の完璧なスタイルのほうがプライベートのスタイルより上でしょう。
しかし、私たちが常に知りたいと思うのは、
決して雑誌のスタイリングではなく、
彼女たちが自分のために、自分で作ったスタイルです。
なぜならそこには、ケイト・モスならケイト・モスの、
アレクサ・チャンならアレクサ・チャンのキャラクターがあらわれているからです。
私たちが興味を持つのは、彼女たちの確立されたスタイルだけではなく、
その完成されたキャラクターです。
そして、そのキャラクターのぶれのなさが、より一層、彼女たちをおしゃれに見せます。
このことを理解していないと、スタイルは全く意味のないものになります。
雑誌で提案されている完璧なスタイルをそのまますべてそろえて着たら、
それはそれなりにおしゃれです。
ブランドが発表した新しいスタイルを、一式そろえて着たら、
それもそれなりにおしゃれでしょう。
しかし、それだけでは何かが足りないと誰もが感じるはずです。
おしゃれだけれども足りないもの、
まさにそれがキャラクターです。
多くのデザイナーたちはそのことを知っていますから、
いつも自分のスタイルを崩しません。
完璧なコーディネイトよりも、
一番の新しさよりも、
ましてや値段の高さよりも、
その人のキャラクターの輪郭がはっきりあり、
それが誰に対しても印象的なものならば、
そちらのほうがおしゃれに見えるのです。
これは、アニメなどで使われる「キャラが立つ」ということと、
同じことです。
キャラが立つ、つまりその人のオリジナリティがはっきりして、
その他大勢にならない個性があること、
そしてそれが魅力的であること。
それがなければ、どんなに完璧なコーディネイトもおしゃれには見えません。
その人のキャラクターを際立たせるためには、
完璧な服と靴とバッグを用意しただけでは足りません。
髪形、メイク、言葉使い、生活、考え方など、
あらゆるものを含めてキャラクターは立ってきます。
それはころころ変わるようなものでもだめだし、
誰かと同じでもいけません。
逆に、キャラクターがはっきりしているのなら、
完璧なコーディネイトも、高価な靴もバッグもいりません。
どんな生活をしていて、どんなものを食べているか、
どんな音楽を聞いて、何を読んでいるか、
表情やしぐさ、
優しいか、優しくないか、
自分のことしか考えていないのか、そうではないのか、
どんな言葉で語るのか、
それらを含めて、私たちはキャラクターを評価します。
スタイルはキャラクターのあとにくるものです。
キャラクターあってのスタイルです。
私たちが憧れるのは、そのスタイルよりも、その人のキャラクターなのです。
どんなに高価なブランド物で上から下まで完璧なコーディネイトに身を包んでいたとしても、
決して憧れの対象にならない人がいるのはそのためです。
現在のジェーン・バーキンは、エルメスの「バーキン」を除けば、
決して高価なブランドに身を固めるでもなく、
完璧な髪形とメイクを施しているわけでもありません。
それでも彼女が憧れの対象になるのは、
311の震災の際にいち早くチャリティー・コンサートをする行動力と心を持った、その彼女のキャラクターのためです。
キャラクターとは関係のないところのスタイルは虚しいです。
ましてや、完璧なスタイルなど、何の意味もなしません。
反面教師はたくさんいます。
そうならないように気をつけましょう。
キャラクターも含めてのおしゃれなのだと、肝に銘じてください。
それ以外のものは、表層的な差異です。
魅力も影響力もありません。
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