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2014年7月21日月曜日

パートナーの衣装

今日、取り上げたいのはパートナーの衣装についてです。
芝居や映画では、衣装デザイナーがいて、カップルで登場する場合、
2人が一緒に並んで完璧に見えるような衣装を考え、用意します。
私たちは、いささかの疑いもなくその2人を見ます。
それは、いい趣味の場合も、悪い趣味の場合も、
ともにお似合いなカップルになっているからです。

今回、特に書きたいのは、服装についての主導権を握っている相手についです。
ですから、多くの場合、恋人はそれに当たらないでしょう。
結婚する以前のパートナーは、それぞれ自分で衣装を何らかの方法で、
それは自分で選んだものではないとしても、調達してきているはずです。
しかし、日本では、多くの場合、結婚して数年たつと、
妻が夫の服装についての主導権を持ち、
すべてそろえるまではいかなくても、かなりの部分、選択したり、
買ったりするのではないかと思います。

ですから今回は、服装について自立して自分で選択し、購買できるパートナーの方々の話は除きます。
それができる方々は、それぞれが自分の流儀でやればよいと思います。
問題なのは、それができないパートナー、ほとんどの場合は夫の服装についてです。

映画やドラマを見ていて、ご夫婦が一緒に登場してきたシーンで、
夫の服装に唖然とした記憶は、ほぼないと思います。
しかし、実生活ではどうでしょうか。
いつもきれいにしている奥様から、
旦那様の素敵なお話をいろいろ聞かされていて、
期待に胸を膨らませて、そのご夫婦が2人そろって登場してきた場面に出くわしたとき、
一瞬、言葉を失うような、
確実に何かが違うと悟るような、
視線の置きどころに困り、
足元の地面が崩れ落ち、
もはや、この奥様は信用できないとまで思い至るような、
そんな旦那様の服装を目撃したことはないでしょうか。

もちろん全員ではありません。
素敵な奥様にふさわしい、素敵なスタイルの旦那様も多くいらっしゃいます。
しかし、期待された像と実像とのギャップがあまりに激しく、
取り繕う言葉も出ない、そんな場面は多くはないでしょうか。

残念ながら、日本の多くの男性は、どのような場面でどのような服装をしたらいいか、
またワードローブはどのように構築したらいいかの知識を持っていません。
完璧に把握しているのは仕事場での服装についてのみです。
服が好きで、知識があり、よく考えているのは、まだまだ少数派です。
(だから少数派の皆さんは大丈夫です。問題ありません)

なぜここでポロシャツなの?
なぜ白いTシャツにゴールド喜平チェーンのネックレス?
パンツの丈が七分なのはどうして?
なぜこの場にそのスニーカー?
なぜシアーな靴下?
なぜジャージ?
数え上げたらきりがありませんが、
多くのへんてこりんなコーディネートをよく見ます。

ご夫婦が二人別々に行動しているときは、それでもほとんど気になりません。
また、二人が同じレベルである場合も、特別おかしいとも思いません。
しかし、明らかに服装が不釣り合いな2人が一緒にいるとき、
そのおかしさが目立ちます。

日本の男性には、仕事場、そしてホテルやゴルフ場以外など特殊なエリア以外には、
特にカジュアルな服装について、明確なルールがありません。
現在は、明確なルールがない上に、服装のカジュアル化が重なって、
より一層、混沌とした状態です。

このへんてこりんなスタイルの原因ですが、
多くの場合、行きすぎたカジュアルであり、家の中の延長が外に持ち出されたからです。
カジュアルな服装、たとえばTシャツやジャージは確かに楽なのですが、
決して美しくは見えません。

日本の男性がおしゃれでないとは、決して思いません。
歴史的に考えても、つまり着物の時代から考えても、日本の男性のおしゃれレベルは相当なものです。
着物の柄、帯との組み合わせ、裏の柄に至るまで、
世界屈指のしゃれものです。
また、着物の時代が終わった戦後すぐでも、
たとえば、黒澤明の映画や小津安二郎の映画を見れば、
おしゃれなスーツ姿の男性がぞろぞろ出てきます。
しかしはっきりとした違いは、彼らは決してカジュアルな姿ではないということです。

もし妻の側が夫の服を選んでいるとするならば、
気をつけるのはただ1つ、行きすぎたカジュアルにならないようにすること、です。
行きすぎたカジュアルとは何なのか、
それは部屋着の延長であり、楽であることの追求です。
もっと端的に言えば、楽であるとはジャージである、ということです。

たとえば、カットソーと呼ばれる綿ジャージのTシャツは、もとは肌着です。
スウェットパンツもスポーツウエアです。
1つのスタイルからジャージを減らせば減らすほど、カジュアルから遠くなります。
ジーンズにあわせていたTシャツを普通の木綿のシャツに変えただけで、
印象はがらっと変わります。
ジャージを駆逐していけば、それだけで小奇麗になります。

小津安二郎の映画に出てくる笠智衆がいつでも美しさを崩さないのは、
決してTシャツを含むジャージ素材のものを着てあらわれないからです。
着ているのはスーツか、シャツとズボンか、または着物です。
ニットで許されるのは冬のセーターとマフラーぐらい。
そのほかは、肌着に近い素材のもので表には出ません。
色の組み合わせとか、バッグや靴、アクセサリーなどは、
あくまでその次の段階の問題です。

もちろん余裕ができたなら、
二人で並んだとき、つり合いのとれるスタイルになるように考えるといいでしょう。
あまりにも不釣り合いであり、自分の信用さえ疑われるようでは、
それは問題です。
とりあえず、足を引っ張らない程度まで、引き上げてください。

日本は、カップルで出かけたり、行動することが少ない社会です。
二人でパーティーに出たり、コンサートに行くなどということも少ないでしょう。
夫婦が2人でいるところを見られるのが大型スーパーばかりというのは寂しすぎますし、
それでは服装の文化は育ちません。
放っておけば、惰性へ流れます。
楽なほうへ、楽なほうへ向かいます。
夫婦間で服装のギャップも大きくなります。
楽にいってしまったものを戻すのは難儀です。
そうならないためにも、今のうち、手を打っておきましょう。

どんなに妻は妻、夫は夫、違う個人ですと言い張っても、
多くの人には二人は一緒に見えています。
「お似合いのカップルね」という言葉が、
賛辞なのか、皮肉なのか、
二人並んで鏡を見たなら、すぐさまわかるでしょう。
お似合いの二人しか、長くは一緒にいられないものです。
願わくば、そのお似合いが素敵なカップルでありますように。


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