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2015年1月12日月曜日

本物だけを見よ、見続けよ


残念ながら、この世には多くのまがい物が存在しています。
しかも、そのまがい物はもう既に、本物を凌駕して、駆逐する勢いです。
私たちは偽物をつかまされ、そのたびに、
えも言えぬ不快な感情を経験します。
続く不満と満たされない飢餓感の中で、
新しいものを次々と求めますが、
なかなか心が満たされることはありません。

心が満たされることができなくとも、
私たちは毎日、服を着てどこかへ出かけます。
心の充足とは別に、服を着ることは必要だからです。
とりあえず、体を守ること、
私たちは結局、そのために服を着ます。

こんなにも多くの服が存在するのに、
そして、こんなにも多くの服を手に入れたのに、
それでもまだ満たされないのはなぜでしょう?
おしゃれに見せたいのは自分のためなのか、
他人のためなのか、
そのどちらも達成されなければ、
永遠に心満たされることはないのか。
ならば、その道は余りに遠いです。


今のように簡単に、しかも安価で服が手に入れられるようになったのは、
つい最近のことです。
私たちは、モノがない欠乏からは解放されました。
それなのに、かつてあったであろう、着ることに対する満足は得られません。
時間をかけて作り上げた、
あの手の込んだ刺繍を施した、
きらびやかな衣装を身につけている、
少数民族の方たちが浮かべるあの満ち足りた表情を、
私たちは服を通して作ることができません。

まがい物は、しょせんまがい物。
暑さ寒さは防げるものの、
心の満足を与えてくれるものではありません。
私たちの何十分の一しか衣装を持っていないであろう、
残された少数民族の人たちのような、
本物の衣服を、
私たちは手放しました。
合理性と引き換えに。
市場主義経済のアンフェアな手法を使って。

本物をまとわない限り、
私たちの心は満足しません。
頭が考える価値や消費される情報など、それを満たすことはできません。
どんなにたくさんの衣服を集めても、
その10枚は、
祝いの儀式のために一針一針、丁寧に心をこめて刺繍した、
あのドレスにはかなわないのです。
私たちが本当に必要としているのは、
そんな本物のドレスです。

しかし、多くの本質を伴った衣服は駆逐されました。
滅多に出会えないか、
または高額すぎて手の届かないものになりました。
大好きで、
何回も着て、
すり切れても捨てるに捨てられない、
そんな服は、
どんどん少なくなってきています。
それでもやはり、
この果てしない飢餓感から抜け出すためには、
そんな服が必要です。
それがなければ、この病いは治りません。

何としてでも、本物の服を手に入れなければなりません。
それはごく数枚でよいのです。
けれども、多くの人は、もはやそれを見つけることすら不可能な状態です。
本物など、見たことも、さわったことも、袖を通したこともないのですから、
当然と言えば当然です。

けれども、ごくたまに本物はあらわれます。
美術館で、展覧会で、
ヴィンテージショップで、
高貴な人のワードローブの中で、
優れたコレクションで。
そんな希少な機会があったら、
ぜひとも見に行く必要があります。
そして、本物だけを見続けなければなりません。
それが所有できないとしても、
ただただ見続ける、その行為のみによって、
本物に出会えます。
玉石混淆の中の宝を見分けるその目は、
そうすることで養われます。
実際に本物を手に入れるのはそのあとです。
よく見えないその目と、頭の計算で選んだものは、
それがたとえどんなデータを持っていたとしても、
本物とは限りません。
何枚持っても満足できないのなら、
それはやはり本物ではなかったのです。

この世に出会うべき本物は、
そう多くはありません。
また、誰かにとっての本物と、
自分にとっての本物も違います。
それが1つでも手に入ったならば、
いつでも何か食べていなければ気が済まないような、
絶え間ない飢餓感から解放されるでしょう。
そして、服なんて、そんなにたくさんいらなかったのだと気づくでしょう。

そのためにも今すぐ決意してください。
本物だけを見ると、
見続けると。
そうすれば、いつか必ず、本物は手に入ります。

☆写真:2014年のエスプリ・ディオール・東京展より。まさに本物の衣服。入場料無料ですべての人に開かれた、本物を見る機会がたまにあります。


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