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2014年12月29日月曜日

流行遅れにならないためには

ファッションには流行というものがあって、
それは否定のしようのない事実です。
蛇行する川のように、あるときはゆっくりまっすぐに、
あるときは急なカーブを激しく流れるように、
多くの支流を抱えながら、
ひとつの方向へ向かっていきます。

私たち自身も、生まれてから死ぬまでの時間、それぞれの流れの中に生きています。
小さいときは成長が早く、
多くの着られなくなった衣類を脱ぎすてて、
大人になれば、
自分のスタイルの構築のために、流行に翻弄されながらも、
さまざまなスタイルに挑戦し、
年齢を重ねたら、何となく自分の趣味嗜好の方向性が固まって、
自分自身の新陳代謝ではなく、
衣類そのものの寿命によって、新しいものを取り入れるようになります。
全く何も買わないでいるということは、
衣服がモノであり、永遠には存在しえないという性質上、不可能です。
私たちは、何らかの形で流行と付き合うことになります。

しかし、ファッションの流れと自分自身の人生の流れが一致することはありません。
ファッションの流れが急なとき、私たちは、ゆっくりした流れの中にあるかもしれません。
それはお互いに違う道筋なので仕方のないことです。
そのずれが、いわゆる流行遅れです。
自分自身の変化、
ファッションの流れ、
衣服や小物のモノとしての寿命、この三者がてんでばらばらに存在するため、
ときにそれは大きなずれとなり、
時代に遅れたようなスタイルになることがあります。
これは身体の成長の早い子ども時代や、
生活スタイルが激しく変化する20代では、まず起こりません。
身体も生活スタイルも大きな変化がなくなり、
モノとしての寿命だけが頼りになるとき、
そして何より、精神が微妙に時代とずれてしまったとき、
その人の服装は流行遅れとなります。

モノの寿命より、ファッションの流行の変化が激しく短いのが現代です。
多くの人が、物理的に着られなくなるから服を捨てるのではなく、
着たくなくなったから、
あるいは流行遅れでみっともないからという理由で服を捨てます。
そして、そのことに疑問を持たないような社会の仕組みがあります。
流行をとるか、エコロジーをとるか、
私たちは今、選択を迫られています。

一番よいのは、流行遅れにならず、
捨てるときは、モノとしての寿命が終わったときのみという状態になることです。
そして、万が一、それができないとしても、
リサイクルというサイクルにうまく入れるように手放すことです。
そのために、成熟した大人ができることはどんなことでしょうか。

まずできるのは、モノとしての寿命のサイクルをアイテムごとに見極めること。
Tシャツやカットソーなど、洗濯回数の多いものはモノとして長持ちしませんが、
冬場のウールのジャケットやコートなどは長持ちします。
当たり前のことですが、長持ちするものは、ベーシックで長く着られるデザインのものを選び、
逆に長持ちしないもので流行を取り入れます。
そうすれば、毎年何かほんの少しでも、いわゆる流行っているものを取り入れることが可能です。
その他、長持ちしないものとしては布製のスニーカーや白シャツ、靴下などもそうです。
また、長持ちするものはマフラーやスカーフ、ジュエリーなど、アクセサリーや小物類も、
案外、傷むということがありません。
ほんの少しでも流行を取り入れることは、
気分転換にもなりますし、時代を感じることにもつながります。
そしてそれはまた、
完成していない自分の補完品としての機能を持つことにもなります。

しかし、流行遅れに見えない、かつ着られるのに捨てるものを大量に出さない、
もっとも重要なポイントは、
流行を越えた自分のスタイルを確立することです。
シャネルも言っているように、ファッション、つまり流行はすたれるものです。
流行というシステムから抜け出し、
自分のスタイルを確立したならば、
もう流行遅れとは無縁です。
流行っているから買ったものではなく、
自分のスタイルの確立のためにそろえたアイテムは、
何年たっても色あせることがありません。

流行というシステムの中で近視眼的にものを見るのではなく、
ひとつ上の階層から俯瞰するように、
自分が何を好きで、どんなものを着てきたか、振り返り、
その上で服を選んでいけば、スタイルは確立されます。
それは年齢の問題ではありません。
どれだけ工夫してきたか、
どれだけ計算してきたか、
どれだけ練習してきたか、
どれだけ考えてきたか、
その総量の差です。
何歳になっても、流行より下のレベルで、それに振り回される人たちはたくさんいます。
振り回されないためには、1つ上の層へ上がらないといけないのに、
それには気づかず、そして気づこうともしません。
それは囚われた状態です。

囚われから脱出するためには、眠りから目覚め、
無意識に反応するままの自分を客観視し、
システムから抜け出して、高いところからの視点を持つことです。
流行という川の流れでおぼれ続けるのではなく、
そこから抜け出し、
高い空から、流れ全体を見ることができれば、
私たちはそこから抜け出すことができます。
そして、そのときに気づくでしょう。
流行遅れになったのは、流行に乗ったためであった、ということに。

20年前の写真を見てください。
もっとも古臭く感じるのは、そのときの流行りの服、髪形、メイクでかためたスタイルの人でしょう。
けれども、今でも古びることなく、魅力的な人は、
流行とは適度な距離をとった、その人独自のスタイルを持った人ではないでしょうか。

流行遅れにはならず、
永遠を見つけたいなら、
流れから抜け出しましょう。
溺れていないで、
空を飛びましょう。


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