私は自分の本の中で、「おしゃれをしたくないならする必要はない」と書いています。
おしゃれなどというものは趣味のようなもので、したい人はやればいいし、したくない人はやらなくても構いません。
またおしゃれじゃないからといって、誰かにとやかく言われる筋合いもありません。
同じように、一人の人の中でも、おしゃれをしたくないとき、できないときがあってもいいと考えています。
おしゃれをしたくないとき、できないときとはどんなときでしょうか。
例えば病気のとき。
病気のときは、おしゃれどころではありません。
何よりも病気を治すことが優先です。
もちろんそんな中でも好みのパジャマを着るということはできますが、
病気によっては、そんなことさえできないこともあります。
次にはお金がないとき。
勤めている会社が倒産してしまったり、失業したとき等、
あまりにもお金がないときは、おしゃれをする余裕などないでしょう。
そんなとき、おしゃれなんてしなくても構いません。
それをする前にやらなければいけないこと、考えなければいけないことがたくさんあります。
またそういうときは、被服費にお金を使っている場合ではないでしょう。
無理をして、おしゃれをする必要なんてありません。
忙しいとき。
忙しすぎて、自分の身なりにかまっていられないときもあります。
それは仕事や子育て、あるいは介護かもしれません。
自分をきれいにすることは二の次というときが、人生に一度や二度はあるでしょう。
そんなときも、おしゃれはしなくてもいいと割り切りましょう。
もし誰かがあなたがおしゃれじゃないと責めたら、小林がそう言ってたと、
わたしの名前を出しても構いません(まあ、知らないだろうけどね)。
そして次に、疫病が世界を蔓延しているとき。
外出は最低限にして、多くの人との接触を避けなければならないときも、おしゃれのことなど気にしないでいいでしょう。
疫病は私たちにストレスを与えます。
疫病に罹患しなかったとしても、そのストレスにまずは対処しなければなりません。
そのために必要なのは、必ずしもおしゃれな服ではないかもしれません。
身体と心がリラックスできるような、優しい衣服が必要です。
必要なのはおしゃれではなくて癒し。
自分が安心で守られているような衣服を選ぶのが先決で、おしゃれなんて後回しにしていいでしょう。
人生にはおしゃれなんてしていられない時期があると自分で認めて、
自分におしゃれをしなくていい許可を出せば、
おしゃれをしていない他人も認められるようになります。
おしゃれは生きる上での必須事項ではありません。
あくまでも付随するもの。
人生のおまけ。
あったらあったで楽しいけれども、それがなくても生きていけるもの。
おしゃれなんてしなくたって、楽しく生きていけると知ったとき、
本当の魅力が生まれます。
そして、その魅力はおしゃれよりもずっと価値あるものなのです。