パターンの話の続きです。
はっきり言って、日本の洋服のパターンは、西洋に追いついていません。
でも、それも無理のないことなんです。
歴史を振り返ってみましょう。
日本に洋服が入ってきたのは、明治時代でしょう。
鹿鳴館で、日本人が無理してドレスを着ていた時代、あれが最初なんです。
明治時代は1968年ですから、140年ぐらい前でしょうか。
けれども、実際に庶民が一般的に洋服を着るようになったのは、もっとずっと後です。
小津安二郎の映画なんかを見ても、年配の方はまだまだ着もの姿です。
それで、やっと第二次世界大戦後です。
まだ、60年ぐらいしかたっていません。
それまでずっと長い間、日本人は着ものを着ていました。
着ものは、凹凸がないので、たたむとフラットになります。
まるで折り紙のようです。
日本人の美意識というのは、このフラットな面に、どういう色合いをのせるかということに重点を置いていたのです。
はじめから、立体的な造形など、ないのです。
ずっとずっと、このフラットなものに何色の帯をのせるか、柄はどうするか、そればかり考えてきたのです。
そこへいきなり洋服がやってきました。
今度は、立体的でなければいけません。
しかし、その立体感覚は、なかなかつかむことができません。
毎日、ミケランジェロばりの彫像を見ている人たちと同じ立体感覚など、100年ばかりでは身に着くものではないんです。
80年代の半ばから90年にかけて、一躍、日本人デザイナーが世界に躍り出ました。
今、そのころの日本人デザイナーの服を客観的に見てみるとわかりますが、
やはり折り紙の延長です。
パターンは限りなく、フラットに近く、肉体の上に四角い布がかぶさる造形が基本です。
ビッグシルエットの流行とあいまって、世界的に通用するようになったのだと思います。
その証拠に、洋服のシルエットがずっとタイトになるにつれて、
昔ほど、日本人デザイナーの服は、もてはやされなくなりました。
その理由は、やはり日本のパターン力の弱さにあるのだと思います。
パターンについてはまだ続きます。