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2014年9月29日月曜日

今後10年の流れ

2012年、海王星がうお座に入宮するころ、
これからは、ラファエル前派に見られるような、
フェミニティを強調した、はかなく強い女神スタイルがやってくると、
予想しました。
果たして、フリル、オーガンジー、シフォンの女神スタイルのたくさんのモデルたちが、
ランウエイを歩くことになりました。

海王星が宮をうつるごとにファッションの流れが変わるという説は、
リズ・グリーン女史によるものですが、
次に海王星が宮を移動するのが2025年。
ですから、あと10年ちょっと今の流れが続きます。

ラファエル前派と書いたのには理由があって、
そのころも今と同様に、海王星がうお座に位置していたからです。
ラファエル前派の画家の代表的なアーチストは、
ウィリアム・モリスとダンテ・ゲイブリエル・ロセッティなのですが、
彼ら2人が在籍したもう一つの運動があります。
それが、アーツ・アンド・クラフツ運動です。
19世紀、イギリスで起こった産業革命の結果、
大量生産の時代に入り、生活に安かろう、悪かろうの製品があふれたことに対して、
ウィリアム・モリスが生活にもっと手仕事と芸術を取り戻そうと提案し、
広がった運動です。
2015年のプラダの秋冬コレクションを見て、
私は、まさにこれは現代のアーツ・アンド・クラフツ運動だ、
と思いました。
いわば、大量生産の味気ない、効率だけを優先した衣装に対する反動です。

奇しくもというか、当然ながらというか、
私と同じことを考えた人がいました。
2015年のドリス・ヴァン・ノッテンの秋冬コレクションについて、
スージー・メンケスはBritish Vogueのレポートで、
「アーツ・アンド・クラフツ運動の21世紀バージョン」と評しています。

現代に比べれば、19世紀の大量生産など、
大したことはないと思いますが、
それでも当時の芸術家たちにしてみれば、
それはまさに脅威だったのでしょう。
美しさも、人間の手のぬくもりもない、
機能的なだけのうつろな工業製品が身の回りにふえていくその様に、
我慢ならなかったのだと思います。

21世紀の現在、街にあふれるほとんどのものは大量生産の工業製品です。
特に、一般の人が着る衣服においては、
ほとんどの人が大量生産で作られたものを選び、
そこに残された手仕事はほんの少しばかりとなりました。
ですから、これからはそのなくなった手仕事を取り戻す動きが生まれると予想されます。
それが、いわば21世紀バージョンのアーツ・アンド・クラフツ運動となるわけです。
アーツ・アンド・クラフツ運動なわけですから、
植物や動物がモチーフとして取り上げられるのは当然です。
ウィリアム・モリスがデザインしたテキスタイルを思いだしていただければよいでしょう。
あれの21世紀バージョンが数多く展開されていきます。

シルエットとしてはフェミニン、女神、
そして、細部はアーツ・アンド・クラフツ運動に見られたような、
手仕事、またはレースやブロケード、ジャカードのような豪奢な織物、
これが今後10年続く大きな流れの中心となるでしょう。

しかし、歴史は決して後戻りしません。
当然のことながら、19世紀と現在とでは、状況は全く違います。
そのもっとも違う点は、
女性の自由と権利の範囲です。
19世紀、女性には、
ズボンをはく自由さえありませんでした。
もちろん職業選択の自由も、
財産を持つ自由も、
婚姻の自由も、何もありませんでした。
それはその後、100年以上もかけて女性たちがすべて勝ち取ってきたものです。

ココ・シャネルに代表されるように、
近代から現代の女性の衣服の歴史は、
コルセットや長いスカートから自由になること、
そして男性が着るものを女性が取り入れる、ということにより発展してきました。
自由で、活動的であるために、
スポーツウエアや作業着、肌着など、どんなアイテムでも取り入れていく、
それが現在まで続く西洋のファッションの大きな流れです。

大きなフェミニティの中に、
勝ち取った自由ををより拡大させる、
そして、奪われた、手仕事による美しさを取り戻すこと、
これが大枠ではありますが、
最後にもう一つ大きなテーマがあります。

現在進行中のグローバリズムが目指すところは、
世界の均質化です。
同じ言語、同じ文化、同じ食べ物を世界中にばらまき、
多様性を抹殺し、すべてフラットで均質化することが、
グローバリズムの最終目標です。
そこでは、人は同じ形、同じ色の同じ服を着ることが望まれるでしょう。
既に私たちは、あと一歩のところでグローバリズムが目指す世界に入るところまできています。
片足を突っ込んでいると言っても、過言ではありません。
しかし、グローバリズムの夢見る世界が完成した暁には、ファッションなど必要ありません。
同じデザインの同じ服の大量生産だけが必要な世界は、
優れたデザイナーが最も忌み嫌うものであるはずです。
ウィリアム・モリスが産業革命で起きた同質の大量生産社会にアンチを唱えたように、
現在の優れたデザイナーたちも、世界の均質化、フラット化にアンチを唱え始めます。
その1つの例が民族衣装のデザインの取り込みです。
それはアジアでも、アフリカでも、中南米でも、
どこのデザインでもあり得ます。
世界各地のあらゆる西洋とは異質な文化に見られるデザインの取り込みは、
今後も続くでしょう。
それは世界の多用性の表現です。
多用性はファッションが手放してはいけないものです。
なぜなら、ファッションは個々の違いに奉仕すべき存在だからです。
ですから、デザイナーは今後も多用性を擁護し続けます。

これが今後10年は続くと思われる大きな流れです。
もちろんすべてのデザイナーが同じ方向を向くわけではありません。
中には、自分のスタイルだけにこだわり、
それだけを作り続けるデザイナーもいるでしょう。
しかし時代を読むことのできるデザイナーは、
必ずその時代の空気、気分をデザインに落とし込みます。
そして、長い期間、活躍できるデザイナーとは、そんなデザイナーなのです。

10年続く大きな流れがわかったならば、
私たちはそれにそってワードローブを構築していけばよいのです。
今の自分と、
10年後の未来の自分が見えたなら、
そのあいだにかけ橋を作るワードローブを少しずつ作っていくこと。
それが私たちのすべきことです。

今、ここだけの欲望をあおる勢力に負けずに、
理想の未来のヴィジョンをしっかり持ち、
それに向かって一枚ずつ買い足していくこと。
それは同時に未来の自分を作る行為です。

未来の自分が見えたなら、
次にどんなデザインの、どんなものを買えばいいか、
何を選べばいいか、
はっきりとわかるでしょう。
ドレスを1枚買うごとに、
靴を一足、新調するごとに、
理想の自分に近づきます。
ワードローブは過去ではなく、
未来を向いて構築しましょう。
過去へはもう戻りません。
何を着ても自由な世界を、後戻りはさせません。
10年後、理想の未来が到来するかしないかは、
私たちの選択にかかっています。


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