80年代、日本人デザイナーたちが次々と、パリコレクションへデビューしました。
それは「黒い衝撃」と呼ばれ、
コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモトに代表されるように、
立体感のないビッグシルエットで、黒い服だけで構成されたショーは、
ファッション業界に衝撃を与えました。
それまで全身黒の装いというものは、ソワレに代表されるようなドレスか、
または喪服であり、決して日常の風景には見られないものでした。
それは日本でも海外でも同じことで、
毎日を黒一色で過ごすという女性は未亡人か、
何か特殊な職業の人であったでしょう。
しかし、80年代以降、まずはファッションに携わる人たち、
そしておしゃれな人へと、黒一色の装いは広がっていきました。
20代そこそこの若者もこぞって黒い服を着始め、
若さの表現とはほど遠い、独特の雰囲気を醸し出しました。
あれから30年が過ぎ、
黒一色の装いは社会的にも認められ、
小さな子供までもがするような、ごく一般的なものになりました。
しかもそれは、ただ単に黒一色の装いが認められたというだけではなく、
明らかに、黒を着ていればおしゃれに見えるという、
一種の迷信的な、付属的な意味合いも付け足されるようになったのです。
さて、では、黒い服を着ていれば、本当におしゃれに見えるのでしょうか。
確かに、黒一色でコーディネイトしてしまえば、
全体の配色について考える必要がありません。
そのため、色がちぐはぐになっておしゃれに見えないという、
色による失敗はありません。
それはメリットと言えばメリットでしょう。
たんすの中に黒い服しかないのなら、
毎朝、色合わせで悩む必要はありません。
しかし、実は、黒は残酷な色です。
色味がない分、ほかの部分を隠すことなく写し出します。
黒い色ですべて不都合が隠されていると考えるかもしれませんが、
事実はまったくその逆です。
黒は、すべての素材のよしあしを明らかにします。
いい素材か悪い素材かは、その素材が黒であるならば、隠すことができません。
高級なウールと安いウールでは、その黒色は明らかに違います。
革も同様です。安い革の輝きはそれなりのものです。
また同時に、黒はその素材の劣化も隠すことができません。
洗濯での色落ちや毛羽立ちも、黒はより一層浮き上がらせます。
そして、黒は配色によるボリューム感をコントロールできない分、
シルエットがあからさまに出ます。
そのため、古いシルエットの服はより一層古臭く見えるのです。
もし黒い服でおしゃれに見せたいのなら、
常に新しいシルエットを追わなければなりません。
シルエットを表現するのに黒い影がよくつかわれるように、
まさに、黒い服とはシルエットのみで構成されている服なのです。
ファッション業界の人たちが着る黒い服とは、
常に最新の黒い服です。
新しいシルエットが強調されるから、それはおしゃれに見えます。
そして何より、
黒は、着ている人自身を隠すことができません。
隠れることができないのは、白日の下にさらされたときだけではありません。
黒い服を着たときも、
姿勢、筋肉、肌の状態、歩き方など、ほかの色のどの色より、黒は一層目立ちます。
そして、姿勢やその歩き方、筋肉の着き方などからその人の考えていること、感情の浮き沈み、
肌の状態から、どんな健康状態なのかまで、
無言のまま、他人に伝えてしまいます。
黒とは、決して隠す色ではないのです。
着ている人の想像以上に、着ている人そのものを相手に伝えてしまう色なのです。
そんな黒を最もおしゃれに着こなしたいなら、
新しいシルエットのものを着る、
洋服のメンテナンスは怠らない、
そして何より自分を律することが大事になります。
そうすれば、それは完璧なおしゃれになります。
そんなの無理、できないという声がいろいろな方向から聞こえてきそうです。
別にふつうの人は、完璧なおしゃれなど、する必要はありません。
完璧ではなく、隙を作ればいいのです。
隙は、立派な魅力です。
隙を作るためには、黒一色はわざと避けて、
黒と何か違う色との2色コーディネイトにする、
または、黒からグレーのグラデーションにするなどです。
2色の場合は、それが金や銀のアクセサリーでも構いません。
全身黒の完璧なコーディネイトを崩すことによって、生まれるその隙を、
今度は新しい魅力として取り入れればいいわけです。
そうすれば、必要以上に、その人自身が目立ったり、
黒いニットの小さな毛玉に注目がいくこともありません。
他人の目は、その崩れた隙のほうに向かいます。
黒は、別に悪い色ではありません。
同様に、いい色でもありません。
そこにいい悪いを見るならば、それはその人の心理が反映されているだけのことです。
黒が写し出すのは、ただ事実のみ。
それがいいか悪いかを判断するのは、人の心だけです。
黒はコントロール不能の色です。
他人がどう思うか、もはや制御することはできません。
そして、自分をどう見せるのかも、手放さざるを得ません。
自分の中のコントロールできない部分、
それを他人に見せる色が、黒という色なのかもしれません。
いかにも黒は、残酷な色なのです。