本物の名画をじかに見た人にしか、
優れた絵画が理解できないのと同じように、
本物のいい素材をじかに見て触った者にしか、
いい素材というものはわかりません。
それはあくまで五感の世界。
質感もにおいもない、二次元の紙やモニター上のものとは違います。
じかに見る、触ってみる、感じてみることによってのみ、
記憶することができるのが、いい素材です。
製品になってしまったときにはわかりませんが、
生地の原価には大きく幅があります。
安いコットンと、海島綿では、何倍もの開きがありますし、
オーガニックコットンも、安い木綿を基準にしたら、
ずっと高価な素材です。
コットンよりも値段の幅が広いのがウールです。
メーター1000円以下のものから、何万円もするものまで、
ウールの値幅は、ほかのどの素材よりも広いです。
これは何を意味するかというと、
それだけ素材のよしあしに幅があるということで、
いいウールと安いウールでは雲泥の差があります。
その点、値段に差がないのは化繊です。
理由は簡単で、原材料が石油だから。
石油系の繊維は、押し並べて安いです。
(一部、リバーレースなどのレース類は除きます。
また、オリジナル素材はロットが小さいので価格も高いです)
大人になればなるほど、いい素材のものを着たいものですが、
それを見分ける一般的な物差しがないというのが、
服の現状です。
なぜなら、必ずしも生地の原価が最終的なプロパー価格と一致しないのが服だからです。
そして、それをより一層複雑にしているのが、
アパレル業界のしくみです。
メーカーやブランドは、生地屋ではありませんので、
基本的には生地屋から生地を購入します。
それはよく名の知れているものから、そうでないものまで、
千差万別です。
有名ブランドが使う、有名生地メーカーとしては、
シルクのラッティ、マリア・ケント、ツイードのリントン、ファリエロ・サルティ、フェルラなど、
また、カシミアではロロ・ピアーナやカリアッジなどがあります。
これらはどれも高級服地のため、それなりに高価ですし、
いわゆる「いい素材」です。
(必ずしも天然素材100パーセントではありません。混紡の生地も多いです)
少し高級な服地屋へ行けば、これらの反物が置かれているでしょう。
それは明らかに、ほかの安い生地とは違う、
手触りと光沢、なめらかさがあります。
問題なのは、これら高級素材を使ったとしても、
最終的なプロパー価格がメーカーやブランドによって異なってくるということです。
つまり、生地のよさと価格は比例しないのです。
定価が高いからよい生地を使っている、
定価が安いから悪い生地を使っているということは、
アパレルに限っては言えません。
たとえば、生地ではありませんが、カシミア糸も、もとをたどれば同じ商社からきています。
ですから、同じ素材のセーターが、かたや2万円で、かたや5万円で売られていることもあるのです。
それがアパレル業界の分かりにくさです。
いい素材のものに対して、それなりの価格を払うことは妥当なことです。
しかし、その逆は考えものです。
安い素材を高く売っているブランドも、現実にあります。
これを見破るには、自分で実際に触って、見て、感じてみて、
いい素材とはどういうものか、身体で覚えるしかありません。
いくら雑誌を見ても、文章を読んでも、
こればかりは、理解することができないのです。
書いているわたしも、どうぞいい素材を見て、触ってくださいとしか、言えません。
同じ世界、同じ価値感の中にいると、
これがわからなくなります。
よしあしを見分けるためには、
五感を鍛えるため、自分の安心したエリアから出なければならなりません。
それはデパートで、ふだんは行かないエリアの高級ブランドのショップかもしれません。
または、膨大な数の反物が並ぶ生地屋かもしれません。
一歩外へ出て、本当によいものとはどういうものか、
身体で覚える訓練をする必要があります。
そして、それなしでは、いい素材がわかるようになることはあり得ません。
ブランド名や値段にだまされないで、
自分の五感で素材を感じてみる。
そして、そのよしあしを判断する。
それができる能力も、おしゃれであることには必要な力でしょう。
よい骨董を見続けて目利きになるように、
いい素材を見て、触って、素材の目利きになる。
フェイクとジャンクにあふれた世界から、
自分の五感だけを頼りに本物を選びとる。
それを可能にするための第一歩は、
そうなりたいという意思を持つことです。
意思があれば、そうなれます。
どんなに遠くても、行き先がはっきり見えるのなら、
そこには必ずたどり着けます。