ファッションはしばしば、アートに近づこうと試みます。
しかし、ファッションは決して芸術にはなれません。
半年やそこいらで、経済的な価値が半減してしまうようなものは、
芸術ではありません。
それにもかかわらず、またはそれであるからこそ、
ファッションはいつでもアートに憧れています。
企画展か、または服飾美術館以外で、
服やその周辺の小物が展示されることはありません。
どんなにすぐれたデザイナーの作品(商品)でも、
ミケランジェロやラファエロが展示されている、その隣の部屋に並ぶことはありません。
芸術は唯一で、永遠のものを目指しますが、
ファッションは今、または短期間有効で、ほとんどのものは唯一ではないのです。
無理とわかっていながらも、
ファッションはアートに憧れます。
そして、その試みは、たとえばモンドリアン・ドレスのように、
モチーフを服そのものにプリントするか、
または、人が日常に着ることを全く想定しない、服のオブジェ化によってなされます。
繰り返し行われるその試みは、その多くが失敗です。
それらは芸術ともみなされず、
かといって、人が着るわけでもなく、
どちらともつかない、中途半端な存在として、最終的には忘れ去られます。
なぜこれほどまでにファッションがアートに憧れるかというと、
やはりファッションも唯一で、永遠でありたいからです。
実際のところ、やっているのは短期間の流行による刹那の絶対的な肯定と、
必ず売れ残りが出る大量生産の容認にもかかわらず、
唯一で、永遠に憧れるなんて、
身の程知らずもいいところです。
絶対に芸術にはなれないファッションですが、
そのかなり近いところまでいって、商品から作品の領域まで踏み込めたものは、
多くはありませんが、存在し、それらは世界各国の服飾関係の美術館や展示で見られます。
ヴィオネのプリーツのドレス、
ディオールのバージャケットに代表される、ニュールックのスタイルなどは、
その代表でしょう。
確かにそれらは、今見ても色あせることなく、
見る人の鑑賞に耐え、服装における美の表現の一形態として、
服装史に刻まれるものです。
しかしそれらは全体のほんの一部です。
100万枚の1枚にあるかないかの確率です。
けれども、ファッションが唯一と永遠に憧れ、それを目指すことは、悪いことではないです。
なぜなら、服を着る人それ自体は、いつだって唯一の存在であり、
永遠目指すものだからです。
大量生産主義者は、多くの人があたかも同じスペックの存在であるかのように振る舞います。
しかし人間が存在してから、全く同じ顔形、体型の人など、
一度も存在したことはないのです。
私たちは、大量生産主義者のおしつけで、同じ形、色、素材の服を受け入れていますが、
間違っているのは私たちではなく、おしつけている大量生産主義者です。
服装史を振り返ってみても、こんなに同じ服が大量につくられ、
それらを選ばざるを得ないような時代はありません。
なぜなら唯一であり、永遠を目指す私たちにふさわしいのは、
まさに唯一で、永遠の服だからです。
私たちはそれぞれが、唯一の輝く星と同じです。
それぞれが、おのずと輝く存在です。
月のように、太陽がなければ輝かない存在ではなく、
太陽のように、みずからが輝く存在です。
そのことに気づいたなら、
横並びの、均質化した、大量生産の服は、
だんだんと選べなくなるものです。
そのときに、アートに憧れ、それを目指すファッションは、
大いに役に立つでしょう。
アルチュール・ランボーが
海と太陽のあいだに永遠を見つけたように、
私たちそれぞれが自分の中に永遠を見つけたならば、
もう他人の光を必要とすることはありません。
そうなったときに、初めてスタイルは永遠となるでしょう。
それは、美術館に飾られることこそありませんが、
生きているアートです。
ファッションは芸術ではありません。
それはいつでも、生きているアートのための、忠実なしもべなのです。
2014年6月16日月曜日
2014年6月9日月曜日
クローゼットの見直しを
自分の持っている洋服をすべて正確に把握している人は、
そう多くはないと思います。
ほとんどの人が見れば思い出すけれども、
目に入るまではあることさえ忘れてしまっている服が何着か、
あるいは何着もあるはずです。
多くの人が持っている服の2割から3割程度しか、
実際には着ていません。
1年のうち1度も日の目を見ない服も何枚かあるに違いありません。
そうなると、その服がどんなに素敵なものであったとしても、
それは死蔵品であり、役には立ちません。
そうなってしまうことの大きな原因の1つに、
服の収納の仕方の問題があると思います。
ウォークイン・クロゼットのように、
全体がすぐに見渡せる収納を持っている人は、
今の日本の住宅事情では少数派でしょう。
ほとんどの場合、家に備え付けのクローゼットか、
または後から購入したタンスや衣装ケースに収納することになると思います。
すべてを見渡せない収納の問題点は、
まさに「すべてが見えない」ということです。
探さなくてはわからないようなものは、当然のことながら、
あまり着なくなります。
そしてよく着る服がよく目に着く場所に収納され、
着ない服は見えないところへ押し入れられるという悪循環に陥ります。
人はその存在が見えないと、
あたかもそれがないかのごとく認識してしまう傾向があるようです。
けれども、見えないからといって、そのものがなくなってしまったわけでは決してありません。
この悪循環を避けるためにも、
クローゼットの見直しをお勧めします。
まずは自分が持っている服をすべて把握することから始めるのです。
一度にすべてが難しかったら、春夏ものと秋冬ものに分けてやればよいでしょう。
とにかくすべて出してみて、
持っている服をアイテム別に何点所有しているのか確認します。
具体的に書き出してみましょう。
その次に、それらを色別に分類します。
ブルーならブルーとそのグラデーションに分けます。
まずは色分けなので、アイテムは混ざっても構いません。
重要なのは同じ色の仲間であるかどうかです。
(色に詳しいひとは、彩度と明度に分けてみてもいいでしょう)
白なら白、黒なら黒、そしてどのグループにも入らない色とに分けます。
このときに、多くの色を持っている人は、
死蔵品も多いはずです。
色が多ければ多いほど、コーディネイトは難しくなり、
結局、着ないものがふえていきます。
余裕があれば、それらをすべて写真に撮り、
トランプカードのように印刷して、どれとどれがコーディネイトできるか考えてみるのもいいでしょう。
コーディネイトがどれだけ難しいか、わかるはずです。
色別に分けたら、その色の中でのアイテムの偏りを把握しましょう。
たとえば、ブルーならブルーのコート、ジャケット類、インナーとボトムスの割合を見てみます。
いつもコーディネイトがうまくできなかったり、悩んでいるのだとしたら、
その中のどこかに偏りがあります。
インナーばかりでボトムがないであるとか、
ジャケット、コートばかりでインナーが少ないであるとかです。
基本はすべて1週間分の7枚。
ボトムやジャケット、コート類はこれより少なくても問題ありません。
自分がメインでいつも着る色について、アイテムの偏りをチェックしたら、
その他、どこのグループにも入らない色のものを、
これらのメインのグループに入れて、コーディネイトできるかチェックしましょう。
ここで、どこにも入りようのない色のものが出てくるでしょう。
ワンピースのように、コーディネイトの必要のないものなら問題ありませんが、
中途半端な色のジャケットなどは、ほとんど着る出番がないでしょう。
ここまでは色による仕分けです。
色がある程度そろったら、もう着られないシルエットやサイズについて、
チェックしてみましょう。
これは人それぞれ選ぶ基準は違うと思いますので、
感覚や気分で選ぶことになると思います。
ここまでやってくれば、もう絶対に着ることのない何点かが選びだされるはずです。
それらはコーディネイトができない、
シルエットが古すぎる、
サイズが大きすぎ、または小さすぎ、のどれかになるでしょう。
また同時に、
足りないものも見えてくるでしょう。
たとえば、グレーのジャケットやコートはあるけれども、
夏用のボトムはない、であるとかです。
死蔵品がふえてしまうことの多くの原因は、
現状を見ない、そしてその結果、把握していないからです。
毎日、目には入らなくても、
そこに存在するものは、誰かがどうにかしない限り、永遠に存在し続けます。
それは見えないかもしれませんが、
あるというだけで場所をとり、
メンテナンス費用がかかり、
何より、着ていないものを持っているという、罪悪感にも似た思いが、
その人のエネルギーを奪い続けます。
会社が在庫を持っていれば税金がかかるように、
使わない在庫を保持し続けていれば、
エネルギーはそれだけ消費されるのです。
存在しているにもかかわらず、見て見ぬふりをして、
表面だけを取り繕ってみても、
存在は消えないどころか、
影響を与え続けます。
見えないモノが持っている力を、
低く見積もってはいけません。
着ていない服を把握する、
そして死蔵品をなくし、
持っていて、着られるものは実際に着て、
着られなくなったら処分する。
そうやって、クローゼットの風通しをよくし、
無駄なく循環するようにしましょう。
それは大きなエネルギーの節約です。
節約したエネルギーはファッションとは違うことに使ってください。
人生には、ファッションより重要なことが常にたくさん存在しています。
それらのために時間やお金を使って、自分を育て、成長させてください。
なぜそれを勧めるかって?
だって、服だけ素敵な人よりも、
服より中身が素敵な人のほうが、
よっぽどおしゃれだと私は思うから。
そして多くのデザイナーが、同じように考えているからです。
そう多くはないと思います。
ほとんどの人が見れば思い出すけれども、
目に入るまではあることさえ忘れてしまっている服が何着か、
あるいは何着もあるはずです。
多くの人が持っている服の2割から3割程度しか、
実際には着ていません。
1年のうち1度も日の目を見ない服も何枚かあるに違いありません。
そうなると、その服がどんなに素敵なものであったとしても、
それは死蔵品であり、役には立ちません。
そうなってしまうことの大きな原因の1つに、
服の収納の仕方の問題があると思います。
ウォークイン・クロゼットのように、
全体がすぐに見渡せる収納を持っている人は、
今の日本の住宅事情では少数派でしょう。
ほとんどの場合、家に備え付けのクローゼットか、
または後から購入したタンスや衣装ケースに収納することになると思います。
すべてを見渡せない収納の問題点は、
まさに「すべてが見えない」ということです。
探さなくてはわからないようなものは、当然のことながら、
あまり着なくなります。
そしてよく着る服がよく目に着く場所に収納され、
着ない服は見えないところへ押し入れられるという悪循環に陥ります。
人はその存在が見えないと、
あたかもそれがないかのごとく認識してしまう傾向があるようです。
けれども、見えないからといって、そのものがなくなってしまったわけでは決してありません。
この悪循環を避けるためにも、
クローゼットの見直しをお勧めします。
まずは自分が持っている服をすべて把握することから始めるのです。
一度にすべてが難しかったら、春夏ものと秋冬ものに分けてやればよいでしょう。
とにかくすべて出してみて、
持っている服をアイテム別に何点所有しているのか確認します。
具体的に書き出してみましょう。
その次に、それらを色別に分類します。
ブルーならブルーとそのグラデーションに分けます。
まずは色分けなので、アイテムは混ざっても構いません。
重要なのは同じ色の仲間であるかどうかです。
(色に詳しいひとは、彩度と明度に分けてみてもいいでしょう)
白なら白、黒なら黒、そしてどのグループにも入らない色とに分けます。
このときに、多くの色を持っている人は、
死蔵品も多いはずです。
色が多ければ多いほど、コーディネイトは難しくなり、
結局、着ないものがふえていきます。
余裕があれば、それらをすべて写真に撮り、
トランプカードのように印刷して、どれとどれがコーディネイトできるか考えてみるのもいいでしょう。
コーディネイトがどれだけ難しいか、わかるはずです。
色別に分けたら、その色の中でのアイテムの偏りを把握しましょう。
たとえば、ブルーならブルーのコート、ジャケット類、インナーとボトムスの割合を見てみます。
いつもコーディネイトがうまくできなかったり、悩んでいるのだとしたら、
その中のどこかに偏りがあります。
インナーばかりでボトムがないであるとか、
ジャケット、コートばかりでインナーが少ないであるとかです。
基本はすべて1週間分の7枚。
ボトムやジャケット、コート類はこれより少なくても問題ありません。
自分がメインでいつも着る色について、アイテムの偏りをチェックしたら、
その他、どこのグループにも入らない色のものを、
これらのメインのグループに入れて、コーディネイトできるかチェックしましょう。
ここで、どこにも入りようのない色のものが出てくるでしょう。
ワンピースのように、コーディネイトの必要のないものなら問題ありませんが、
中途半端な色のジャケットなどは、ほとんど着る出番がないでしょう。
ここまでは色による仕分けです。
色がある程度そろったら、もう着られないシルエットやサイズについて、
チェックしてみましょう。
これは人それぞれ選ぶ基準は違うと思いますので、
感覚や気分で選ぶことになると思います。
ここまでやってくれば、もう絶対に着ることのない何点かが選びだされるはずです。
それらはコーディネイトができない、
シルエットが古すぎる、
サイズが大きすぎ、または小さすぎ、のどれかになるでしょう。
また同時に、
足りないものも見えてくるでしょう。
たとえば、グレーのジャケットやコートはあるけれども、
夏用のボトムはない、であるとかです。
死蔵品がふえてしまうことの多くの原因は、
現状を見ない、そしてその結果、把握していないからです。
毎日、目には入らなくても、
そこに存在するものは、誰かがどうにかしない限り、永遠に存在し続けます。
それは見えないかもしれませんが、
あるというだけで場所をとり、
メンテナンス費用がかかり、
何より、着ていないものを持っているという、罪悪感にも似た思いが、
その人のエネルギーを奪い続けます。
会社が在庫を持っていれば税金がかかるように、
使わない在庫を保持し続けていれば、
エネルギーはそれだけ消費されるのです。
存在しているにもかかわらず、見て見ぬふりをして、
表面だけを取り繕ってみても、
存在は消えないどころか、
影響を与え続けます。
見えないモノが持っている力を、
低く見積もってはいけません。
着ていない服を把握する、
そして死蔵品をなくし、
持っていて、着られるものは実際に着て、
着られなくなったら処分する。
そうやって、クローゼットの風通しをよくし、
無駄なく循環するようにしましょう。
それは大きなエネルギーの節約です。
節約したエネルギーはファッションとは違うことに使ってください。
人生には、ファッションより重要なことが常にたくさん存在しています。
それらのために時間やお金を使って、自分を育て、成長させてください。
なぜそれを勧めるかって?
だって、服だけ素敵な人よりも、
服より中身が素敵な人のほうが、
よっぽどおしゃれだと私は思うから。
そして多くのデザイナーが、同じように考えているからです。
ラベル:
おしゃれチップス
2014年6月2日月曜日
エフォートレス・スタイル
2014年現在、ファッションの流れはエフォートレス、つまり努力を要しないスタイルへ向かっていることは、明らかです。
肩パッドを取り払ったなだらかな肩線、
ドレスにスニーカーや、ヒールのないコンフォート・サンダル、
ウエストのゴムやひも、
パジャマパンツやスウェットパンツの外着化、
どれもゆるく、リラックスしたものばかりです。
これらには、一時期流行った、「寄せてあげる」タイプの、
布とボーンで作られた、サイボーグのようなブラジャーは必要としません。
カップつきのキャミソールや三角ブラなど、
インナーも体を必要以上にしめつけない、
着心地が楽なものが向いています。
ハイヒールを完全に捨てたわけではありませんが、
それは1日中はくものではなくなり、
必要に応じて、フラットヒールとはき分けます。
テイラード・ジャケットを着るときもありますが、
固い芯地もパッドも入っていません。
これらは「体」の感覚の問題です。
高いヒールも、締め付ける下着も、
体に努力を要求したものでした。
高いヒールは足の長さと、形の見え方の、
肩パッドは肩の傾斜の、
寄せてあげるブラジャーは、胸の形状の、
現状の否定であり、変形の強制でした。
その強制を実行するために、体は無言で努力し続けました。
しかし今それは、やっとのことで、する必要のない努力となりました。
一方、エフォートレスには、努力したように見えない、何気ないという意味もあります。
これまで高く評価されてきたのは、
努力の痕跡が見える、
これ見よがしのスタイルでした。
ファッションにとっての努力とは、
必要以上の自己顕示欲であり、
他人との競争でした。
目標が競争にとってかわったため、
おしゃれに見えることよりも、そちらのほうが重要だと、
多くの人が錯覚するようになりました。
その競争とは、
誰よりも新しく、高価なものを持つことでした。
そして、情報としてのファッションが跳梁跋扈しました。
しかし、本当におしゃれな人々は、
その「これ見よがし」なスタイルが、
全くおしゃれではないということを知っています。
あまり語られることはありませんが、
やり過ぎや、
自己顕示欲丸出しの、
誰が見てもわかるような新しいもの、高価なものを見せびらかすだけのスタイルは、
おしゃれには見えないのです。
それは消費される歩く情報です。
新しいものは半年で消費され、もうすぐ次のものが出てきます。
時間が流れる限り、これは終わりのない競争です。
エフォートレス・スタイルとは、
体が無理な努力をしないリラックスしたスタイルであると同時に、
新しさや、値段の高さで値踏みされることのないスタイルです。
その道を見つけるためには、
実は努力が必要です。
新しいもの、高価なものの追求は、
お金があればだれでもできますが、
それをこえたところで、値踏みされないスタイルの追求と構築は、
知性や色に対する感性、審美眼がなければ、持つことができないからです。
逆に言えば、それさえ持ってしまえば、
努力したように見えない、かつ情報として消費されないスタイルが手に入ります。
エフォートレス・スタイルがもっと評価されるようになれば、
資本主義経済の中のファッション産業の方向性も、
変わらざるを得ないでしょう。
服も靴もバッグも、半年で消費され捨てられるようなものではありません。
そして、あなたも私も、
情報として消費されるような存在では、決してありません。
どれもみな、一瞬の中に永遠を刻めるような、
尊い存在です。
そのことが理解できるのもまた、本当におしゃれな人たちです。
肩パッドを取り払ったなだらかな肩線、
ドレスにスニーカーや、ヒールのないコンフォート・サンダル、
ウエストのゴムやひも、
パジャマパンツやスウェットパンツの外着化、
どれもゆるく、リラックスしたものばかりです。
これらには、一時期流行った、「寄せてあげる」タイプの、
布とボーンで作られた、サイボーグのようなブラジャーは必要としません。
カップつきのキャミソールや三角ブラなど、
インナーも体を必要以上にしめつけない、
着心地が楽なものが向いています。
ハイヒールを完全に捨てたわけではありませんが、
それは1日中はくものではなくなり、
必要に応じて、フラットヒールとはき分けます。
テイラード・ジャケットを着るときもありますが、
固い芯地もパッドも入っていません。
これらは「体」の感覚の問題です。
高いヒールも、締め付ける下着も、
体に努力を要求したものでした。
高いヒールは足の長さと、形の見え方の、
肩パッドは肩の傾斜の、
寄せてあげるブラジャーは、胸の形状の、
現状の否定であり、変形の強制でした。
その強制を実行するために、体は無言で努力し続けました。
しかし今それは、やっとのことで、する必要のない努力となりました。
一方、エフォートレスには、努力したように見えない、何気ないという意味もあります。
これまで高く評価されてきたのは、
努力の痕跡が見える、
これ見よがしのスタイルでした。
ファッションにとっての努力とは、
必要以上の自己顕示欲であり、
他人との競争でした。
目標が競争にとってかわったため、
おしゃれに見えることよりも、そちらのほうが重要だと、
多くの人が錯覚するようになりました。
その競争とは、
誰よりも新しく、高価なものを持つことでした。
そして、情報としてのファッションが跳梁跋扈しました。
しかし、本当におしゃれな人々は、
その「これ見よがし」なスタイルが、
全くおしゃれではないということを知っています。
あまり語られることはありませんが、
やり過ぎや、
自己顕示欲丸出しの、
誰が見てもわかるような新しいもの、高価なものを見せびらかすだけのスタイルは、
おしゃれには見えないのです。
それは消費される歩く情報です。
新しいものは半年で消費され、もうすぐ次のものが出てきます。
時間が流れる限り、これは終わりのない競争です。
エフォートレス・スタイルとは、
体が無理な努力をしないリラックスしたスタイルであると同時に、
新しさや、値段の高さで値踏みされることのないスタイルです。
その道を見つけるためには、
実は努力が必要です。
新しいもの、高価なものの追求は、
お金があればだれでもできますが、
それをこえたところで、値踏みされないスタイルの追求と構築は、
知性や色に対する感性、審美眼がなければ、持つことができないからです。
逆に言えば、それさえ持ってしまえば、
努力したように見えない、かつ情報として消費されないスタイルが手に入ります。
エフォートレス・スタイルがもっと評価されるようになれば、
資本主義経済の中のファッション産業の方向性も、
変わらざるを得ないでしょう。
服も靴もバッグも、半年で消費され捨てられるようなものではありません。
そして、あなたも私も、
情報として消費されるような存在では、決してありません。
どれもみな、一瞬の中に永遠を刻めるような、
尊い存在です。
そのことが理解できるのもまた、本当におしゃれな人たちです。
ラベル:
おしゃれチップス
2014年5月26日月曜日
サンダル
サンダルは履物の中では、もっとも原始的なものです。
底と、それをつなげるバンドやひも状のものから成り立ち、
ヨーロッパでは、古くはギリシャ時代の彫像に見られますし、
アジアであるならば、日本のわら草履のようなものがあります。
これら、素材は違いますが、
底と、それをつなぐバンドやひも状なものからなるという構造は同じです。
このサンダルですが、2つの方向へ向かって発展していきました。
実用的なものと、そうでないものです。
実用的なものは、ビーチサンダルや健康サンダルに代表される、
フラットなヒールに簡易なバンドもの、
そして、実用的でないものは、イブニングドレス着用時にはかれる、
ヒールが細く高く、豪華な装飾がなされたものです。
しかし、この2つとも、あまり正統な履物とは認められておらず、
たとえば、スーツにサンダル履きというスタイルは、
特に男性においては、よしとされません。
歴史的に古く、世界中の極寒でないどこの地域にも存在し、
スタイルもさまざまなサンダルですが、
洋服の歴史において、その位置づけは、決して靴の王道ではありませんでした。
しかし現在、服の全体的なカジュアル化が進み、
それに伴って、今まで禁忌とされたサンダルが、
どのようなスタイルにも取り入れられるようになりました。
たとえば、底に太めのバンドが2本わたっただけの健康サンダルスタイルのサンダルですが、
今ではこれをドレスにもスーツにも合わせようという提案が、
デザイナーからなされるようになりました。
また少し前からは、ビーチ・サンダルがビーチではなく、
街用の履物として認められ、簡素なものから、
ビジューがついた少し装飾的なものまで、
どんなスタイルにあわせても、
「おかしくない」とみなされるようになりました。
底が厚かったり、薄かったり、
装飾がされていたり、されていなかったりと、
デザインのディテールに多少の差はありますが、
サンダルのデザイン自体は、昔からそれほど大きく変化していません。
変化したのは、サンダルのデザインではなく、
その位置づけであり、スタイリングの仕方です。
その人のスタイルがおしゃれに見えるかどうかは、
必ずしも、その服や靴、バッグが新しいかどうかで判断されるわけではありません。
それはそのときの新しい時代の雰囲気が、
スタイリングからどれだけ感じられるかにかかっています。
もちろん新しい形やデザインの提案もありますが、
昔からあるもの、目新しくはないものでも、
新しいスタイリングとなって出てきたのなら、
それはおしゃれに見えるのです。
たとえば、ビルケンシュトックの2本のベルトがわたったスタイルのサンダルのデザインは、
もう何年も変わっていません。
もう何年も変わっていないから、これはおしゃれに見えないかというと、
そうではなく、
今ならこれを何と合わせるのか、ドレスなのか、スーツなのか、
靴下をはいて冬にはくのか、その組み合わせをどこに持っていくかが、
おしゃれに見えるポイントなのです。
見慣れない感じや、
目新しさがおしゃれに感じるのは、
スタイリングについても同じです。
まだ多くの人がやっていないときに、
いち早くそのスタイルを取り入れれば、
そのスタイリングはおしゃれに見えます。
それはデザイナー側からの提案のこともあれば、
ストリートから発信されることもあります。
もちろん、個人が自分の考えで、新しくスタイリングをしてもいいわけです。
ビーチサンダルも、ビルケンシュトックのような健康サンダルも、
細いヒールでビジューがついた装飾的なサンダルも、
どれも昔からあるデザインです。
それを今ならどうあわせるのか。
それを見つけて、すぐさま実行するならば、
それだけで新しいおしゃれは完成します。
履物の中では王道ではなかったサンダルですが、
現在、それをもはや邪道とは呼べないほど、
活用範囲は広くなっています。
女性の場合は華奢なサンダルをスーツに合わせてもいいし、
健康サンダルスタイルのサンダルをドレスに合わせてもいいのです。
素足で履くには寒い季節でも、ウールのソックスとあわせたサンダル履きで、
上着はコートにしたり、ダウンジャケットにしたり、
工夫次第で、いかようにもスタイリングできます。
今どんなスタイリングが新しく見えるかを知るにはどうしたらいいか。
それは、常に新しい情報に接することです。
発表されたコレクション、
海外の有名なファッション雑誌のスタイリング、
そのどれもが、ネットにさえつながれば、今は無料で手に入ります。
彼らはアイデアを無料で提供してくれているのです。
(本当はアイデアも、無料ではありません)
ですから、彼らが与えてくれる情報を、ありがたくいただきましょう。
そして、たまにはそんな無料で提供してくれる彼らに、
何か買うことによって恩返ししましょう。
そうでないと、一方的なエネルギーの取り込みでは、
エネルギーの循環は悪くなりますから、
どこかで大きな抜けができてしまいます。
今もうすでに持っているサンダルを見直して、
今年の夏はこれを何とスタイリングしたら素敵なのか、
妄想だけでなく、実際にコーディネイトしてみてください。
そしてそのスタイルで街へ出てみましょう。
必要なのは、自信と勇気だけです。
底と、それをつなげるバンドやひも状のものから成り立ち、
ヨーロッパでは、古くはギリシャ時代の彫像に見られますし、
アジアであるならば、日本のわら草履のようなものがあります。
これら、素材は違いますが、
底と、それをつなぐバンドやひも状なものからなるという構造は同じです。
このサンダルですが、2つの方向へ向かって発展していきました。
実用的なものと、そうでないものです。
実用的なものは、ビーチサンダルや健康サンダルに代表される、
フラットなヒールに簡易なバンドもの、
そして、実用的でないものは、イブニングドレス着用時にはかれる、
ヒールが細く高く、豪華な装飾がなされたものです。
しかし、この2つとも、あまり正統な履物とは認められておらず、
たとえば、スーツにサンダル履きというスタイルは、
特に男性においては、よしとされません。
歴史的に古く、世界中の極寒でないどこの地域にも存在し、
スタイルもさまざまなサンダルですが、
洋服の歴史において、その位置づけは、決して靴の王道ではありませんでした。
しかし現在、服の全体的なカジュアル化が進み、
それに伴って、今まで禁忌とされたサンダルが、
どのようなスタイルにも取り入れられるようになりました。
たとえば、底に太めのバンドが2本わたっただけの健康サンダルスタイルのサンダルですが、
今ではこれをドレスにもスーツにも合わせようという提案が、
デザイナーからなされるようになりました。
また少し前からは、ビーチ・サンダルがビーチではなく、
街用の履物として認められ、簡素なものから、
ビジューがついた少し装飾的なものまで、
どんなスタイルにあわせても、
「おかしくない」とみなされるようになりました。
底が厚かったり、薄かったり、
装飾がされていたり、されていなかったりと、
デザインのディテールに多少の差はありますが、
サンダルのデザイン自体は、昔からそれほど大きく変化していません。
変化したのは、サンダルのデザインではなく、
その位置づけであり、スタイリングの仕方です。
その人のスタイルがおしゃれに見えるかどうかは、
必ずしも、その服や靴、バッグが新しいかどうかで判断されるわけではありません。
それはそのときの新しい時代の雰囲気が、
スタイリングからどれだけ感じられるかにかかっています。
もちろん新しい形やデザインの提案もありますが、
昔からあるもの、目新しくはないものでも、
新しいスタイリングとなって出てきたのなら、
それはおしゃれに見えるのです。
たとえば、ビルケンシュトックの2本のベルトがわたったスタイルのサンダルのデザインは、
もう何年も変わっていません。
もう何年も変わっていないから、これはおしゃれに見えないかというと、
そうではなく、
今ならこれを何と合わせるのか、ドレスなのか、スーツなのか、
靴下をはいて冬にはくのか、その組み合わせをどこに持っていくかが、
おしゃれに見えるポイントなのです。
見慣れない感じや、
目新しさがおしゃれに感じるのは、
スタイリングについても同じです。
まだ多くの人がやっていないときに、
いち早くそのスタイルを取り入れれば、
そのスタイリングはおしゃれに見えます。
それはデザイナー側からの提案のこともあれば、
ストリートから発信されることもあります。
もちろん、個人が自分の考えで、新しくスタイリングをしてもいいわけです。
ビーチサンダルも、ビルケンシュトックのような健康サンダルも、
細いヒールでビジューがついた装飾的なサンダルも、
どれも昔からあるデザインです。
それを今ならどうあわせるのか。
それを見つけて、すぐさま実行するならば、
それだけで新しいおしゃれは完成します。
履物の中では王道ではなかったサンダルですが、
現在、それをもはや邪道とは呼べないほど、
活用範囲は広くなっています。
女性の場合は華奢なサンダルをスーツに合わせてもいいし、
健康サンダルスタイルのサンダルをドレスに合わせてもいいのです。
素足で履くには寒い季節でも、ウールのソックスとあわせたサンダル履きで、
上着はコートにしたり、ダウンジャケットにしたり、
工夫次第で、いかようにもスタイリングできます。
今どんなスタイリングが新しく見えるかを知るにはどうしたらいいか。
それは、常に新しい情報に接することです。
発表されたコレクション、
海外の有名なファッション雑誌のスタイリング、
そのどれもが、ネットにさえつながれば、今は無料で手に入ります。
彼らはアイデアを無料で提供してくれているのです。
(本当はアイデアも、無料ではありません)
ですから、彼らが与えてくれる情報を、ありがたくいただきましょう。
そして、たまにはそんな無料で提供してくれる彼らに、
何か買うことによって恩返ししましょう。
そうでないと、一方的なエネルギーの取り込みでは、
エネルギーの循環は悪くなりますから、
どこかで大きな抜けができてしまいます。
今もうすでに持っているサンダルを見直して、
今年の夏はこれを何とスタイリングしたら素敵なのか、
妄想だけでなく、実際にコーディネイトしてみてください。
そしてそのスタイルで街へ出てみましょう。
必要なのは、自信と勇気だけです。
ラベル:
おしゃれチップス
2014年5月19日月曜日
肩のライン
洋服の流行がどこにいちばんあらわれるかと聞かれれば、
それは肩のラインですと答えます。
もちろん、シルエットがタイトになったり、
ビッグになったりするのですが、
服のすべてを支える肩ラインには、
シルエット以上の流行のすべてがあらわれます。
肩のライン、つまり首の付け根から袖に続く線ですが、
そこをどう形作るかという点に、
その時代の美意識があらわれます。
たとえば、60年代から70年にかけて、
肩幅はナチュラルな状態より多少、狭く設定されていました。
それが80年代に入ると、
肩幅は広がり、肩パッドの厚みも増していきました。
大きいものでは2センチぐらいあったでしょう。
広い肩幅、大きな肩パッド、四角い肩ラインの時代は、
その後、90年代終わりごろまで続き、
再び、2000年に入ると肩幅は狭まり、
肩パッドは完全に撤去されました。
そして2014年現在は、2年ほど前からあらわれた新しいシルエットの流れにしたがって、
肩は丸く、しかし肩パッドは入れずにナチュラルへ、
という方向を進んでいます。
そして、この肩ラインを表現するために、ラグラン・スリーブが多く出現しています。
ラグラン・スリーブとは、肩線と袖がつながった形の袖なのですが、
肩線から袖にかけてなだらかなカーブを作り出すことができます。
それは、セット・イン・スリーブでは描くことができない肩のラインです。
そのなだらかなラインが今の時代の気分であり、
理想の女性像を描くのに最も適していると多くのデザイナーが感じているからこそ、
ラグラン・スリーブは選ばれています。
肩のラインが描き出すのは、
その時代のファッションが志向する女性像です。
肩幅、肩パッドの有無、描き出すラインによって、
その時代の女性がどちらの方向を向いているのか、
理想像は何なのかを表現しています。
それは言語化される前の、多くの人の無意識に流れる、
まだ見ぬ女性像です。
デザイナーたちはいち早くそれをキャッチし、
服の肩ラインに落とし込みます。
ベアショルダーのドレスを除いては、
シャツもブラウスも、ジャケットもコートも、
洋服のパーツを支えるのは肩のラインです。
肩をほどいてしまえば、服はばらばらになってしまいます。
洋服にとっての肝は肩なのです。
そして、その洋服の肝は、構造上、すべてを支えているだけではなく、
印象を決定づける位置でもあります。
同じ身幅、同じ着丈でも、
10年前のものは、肩のラインが今のものとは違います。
そしてその違いが、その10年前の服を古臭く見せます。
古いのはその生地や仕立てではなく、
その服が表現しようとしているイメージです。
肩パッドの厚みと肩幅の数ミリの違いが、
そのイメージのすべてを左右します。
そしてそのイメージの違いとは、
夢見た女性像の違いです。
あのころ私たちが素敵だと思った女性は、
今、素敵だと思える女性とは、違うということです。
素敵だと思える女性は、時代によって変化していきます。
同時に、あなた自身も時代とともに変化していきます。
どちらも同時進行です。
戻ることはありません。
その時代にはその時代の、
その年齢にはその年齢の、
いつでも新しい「素敵な女性像」があります。
そして、それが本当に素敵に見えるためには、
それが単なる変化でなく、進化でなくてはいけません。
逆に、それが進化であるならば、
年を重ねるということは、いつでもポジティブな意味になります。
残念ながら、日本には、年を重ねることによって進化した、
女性像の見本が少ないです。
若さに異常な重きを置く文化の中で、
それを見つけるのは難しいです。
ですから、私たちはそれぞれが、自分なりの進化した女性像を作っていく必要があります。
現在、肩のラインはゆるやかで、なだらかです。
肩で風を切るための、分厚い肩パッドも入っていません。
なだらかで優しく、
自然で動きやすく、
束縛から逃れるように、
軽やかに進んでいく、
そんな女性像が今の理想です。
理想は理想のままで置いておかないで、
自分でそれになってしまいましょう。
誰かにお手本を探さないで、
自分がその姿になりましょう。
肩のラインを変えるだけでそうなれる、
優れたデザイナーたちは、そう教えてくれています。
それは肩のラインですと答えます。
もちろん、シルエットがタイトになったり、
ビッグになったりするのですが、
服のすべてを支える肩ラインには、
シルエット以上の流行のすべてがあらわれます。
肩のライン、つまり首の付け根から袖に続く線ですが、
そこをどう形作るかという点に、
その時代の美意識があらわれます。
たとえば、60年代から70年にかけて、
肩幅はナチュラルな状態より多少、狭く設定されていました。
それが80年代に入ると、
肩幅は広がり、肩パッドの厚みも増していきました。
大きいものでは2センチぐらいあったでしょう。
広い肩幅、大きな肩パッド、四角い肩ラインの時代は、
その後、90年代終わりごろまで続き、
再び、2000年に入ると肩幅は狭まり、
肩パッドは完全に撤去されました。
そして2014年現在は、2年ほど前からあらわれた新しいシルエットの流れにしたがって、
肩は丸く、しかし肩パッドは入れずにナチュラルへ、
という方向を進んでいます。
そして、この肩ラインを表現するために、ラグラン・スリーブが多く出現しています。
ラグラン・スリーブとは、肩線と袖がつながった形の袖なのですが、
肩線から袖にかけてなだらかなカーブを作り出すことができます。
それは、セット・イン・スリーブでは描くことができない肩のラインです。
そのなだらかなラインが今の時代の気分であり、
理想の女性像を描くのに最も適していると多くのデザイナーが感じているからこそ、
ラグラン・スリーブは選ばれています。
肩のラインが描き出すのは、
その時代のファッションが志向する女性像です。
肩幅、肩パッドの有無、描き出すラインによって、
その時代の女性がどちらの方向を向いているのか、
理想像は何なのかを表現しています。
それは言語化される前の、多くの人の無意識に流れる、
まだ見ぬ女性像です。
デザイナーたちはいち早くそれをキャッチし、
服の肩ラインに落とし込みます。
ベアショルダーのドレスを除いては、
シャツもブラウスも、ジャケットもコートも、
洋服のパーツを支えるのは肩のラインです。
肩をほどいてしまえば、服はばらばらになってしまいます。
洋服にとっての肝は肩なのです。
そして、その洋服の肝は、構造上、すべてを支えているだけではなく、
印象を決定づける位置でもあります。
同じ身幅、同じ着丈でも、
10年前のものは、肩のラインが今のものとは違います。
そしてその違いが、その10年前の服を古臭く見せます。
古いのはその生地や仕立てではなく、
その服が表現しようとしているイメージです。
肩パッドの厚みと肩幅の数ミリの違いが、
そのイメージのすべてを左右します。
そしてそのイメージの違いとは、
夢見た女性像の違いです。
あのころ私たちが素敵だと思った女性は、
今、素敵だと思える女性とは、違うということです。
素敵だと思える女性は、時代によって変化していきます。
同時に、あなた自身も時代とともに変化していきます。
どちらも同時進行です。
戻ることはありません。
その時代にはその時代の、
その年齢にはその年齢の、
いつでも新しい「素敵な女性像」があります。
そして、それが本当に素敵に見えるためには、
それが単なる変化でなく、進化でなくてはいけません。
逆に、それが進化であるならば、
年を重ねるということは、いつでもポジティブな意味になります。
残念ながら、日本には、年を重ねることによって進化した、
女性像の見本が少ないです。
若さに異常な重きを置く文化の中で、
それを見つけるのは難しいです。
ですから、私たちはそれぞれが、自分なりの進化した女性像を作っていく必要があります。
現在、肩のラインはゆるやかで、なだらかです。
肩で風を切るための、分厚い肩パッドも入っていません。
なだらかで優しく、
自然で動きやすく、
束縛から逃れるように、
軽やかに進んでいく、
そんな女性像が今の理想です。
理想は理想のままで置いておかないで、
自分でそれになってしまいましょう。
誰かにお手本を探さないで、
自分がその姿になりましょう。
肩のラインを変えるだけでそうなれる、
優れたデザイナーたちは、そう教えてくれています。
ラベル:
おしゃれチップス
2014年5月12日月曜日
コンサバ
実際のところ、ファッションにおける「コンサバ」のはっきりした定義はありません。
どれもただ何となく、ある一定のスタイルをコンサバティブの略であるコンサバ、
つまり保守的なファッションであると呼んでいます。
世界のファッション用語に「コンサバ」という言葉はありません。
外国の雑誌を見ている限り、そんな表現のスタイルにはお目にかかれません。
では、ファッションにおける「保守的」とは一体、何なのでしょうか。
コンサバと呼ばれるようになったスタイルをまず最初に提案したのは、
どうやら雑誌の「JJ」のようです。
いわゆる女子大生ルックとか、お嬢様スタイルと呼ばれたスタイルが、
「JJ」には数多く取り上げられていました。
もともとはトラッドを基本としていたものを「コンサバ」と呼んでいたようですが、
知らない間に、「コンサバ」の領域が広がり、
トラッドとそのバリエーション、そして変化形まで、取り入れられるようになりました。
そのため、「コンサバ」と一言でいっても、さまざまなスタイルがあり、
その解釈も人それぞれです。
ただし、大きく言えることは、「コンサバ」である限り、
モードではない、ということです。
流行は否定はしないが、決してモードにはならない。
モードではないとはどういうことか。
それは決して、何事においても行きすぎない、ということです。
もし、「コンサバ」を志向するならば、
外しも、
着崩しも、
フェミニンとマスキュリンのミックスも、
抜け感も、
リラックスも、
アヴァンギャルドも、
決して選びません。
左右はいつも対象で、
シャツのボタンはきっちりととめ、
外しアイテムのような無用なアイテムは取り入れず、
マスキュリンの装いをするなど、もってのほかです。
私のイメージする、もっとも「コンサバ」なスタイルは、
皇室の女性の方々の装いです。
あの方々のスタイルを想像していただければ、
「コンサバ」の何たるかがおわかりだろうと思います。
決して乱れず崩れず、
どなたに対しても不快感を与えないように、
礼儀正しく清潔に、
きちんとしている服装、
それが「コンサバ」の王道だと思います。
「コンサバ」において重要なのは、徹底的な他人目線の追求で、
限りなく自分の主張を消していくこと。
そのために日本人がふさわしいと考えたスタイルこそが「コンサバ」なのではないでしょうか。
真に保守的であるためには、どこにも肩入れしないこと。
そして、自分の周囲全体の調和をもっとも重んじること。
ひいては、自分が出会う人たちすべての人に、
快く思っていただけるような装いとは何か、
その1つの答えが「コンサバ」なのではないかと思います。
そう考えるならば、皇室の女性の方々が、
真に保守的なスタイルをお選びになるのも、しごく当然なことです。
今、呼ばれている「コンサバ」が、
真の保守的なものであるのかどうなのか、わかりません。
しかし、真の保守であるところの「コンサバ」を目指すのならば、
流行を追いかけることも、
ブランド物をとっかえひっかえ買いあさることも、
たくさんの服を毎年買うことも、
全く必要ありません。
必要なのは、
自分が周囲に提供するスタイルによって、
すべての人が幸せになること、その1点のみです。
それができたのなら、そのときそれがどんなブランドのものであっても、
どんなに古いものであっても、
王道の「コンサバ」となることでしょう。
真の保守である「コンサバ」とは、洋服のスタイルで完成するものでありません。
自分だけがハッピーであるだけでは足りないと知ること。
そしてすべての人のハッピーを願うこと。
真の保守である「コンサバ」とは、その人の生きるスタイルです。
どれもただ何となく、ある一定のスタイルをコンサバティブの略であるコンサバ、
つまり保守的なファッションであると呼んでいます。
世界のファッション用語に「コンサバ」という言葉はありません。
外国の雑誌を見ている限り、そんな表現のスタイルにはお目にかかれません。
では、ファッションにおける「保守的」とは一体、何なのでしょうか。
コンサバと呼ばれるようになったスタイルをまず最初に提案したのは、
どうやら雑誌の「JJ」のようです。
いわゆる女子大生ルックとか、お嬢様スタイルと呼ばれたスタイルが、
「JJ」には数多く取り上げられていました。
もともとはトラッドを基本としていたものを「コンサバ」と呼んでいたようですが、
知らない間に、「コンサバ」の領域が広がり、
トラッドとそのバリエーション、そして変化形まで、取り入れられるようになりました。
そのため、「コンサバ」と一言でいっても、さまざまなスタイルがあり、
その解釈も人それぞれです。
ただし、大きく言えることは、「コンサバ」である限り、
モードではない、ということです。
流行は否定はしないが、決してモードにはならない。
モードではないとはどういうことか。
それは決して、何事においても行きすぎない、ということです。
もし、「コンサバ」を志向するならば、
外しも、
着崩しも、
フェミニンとマスキュリンのミックスも、
抜け感も、
リラックスも、
アヴァンギャルドも、
決して選びません。
左右はいつも対象で、
シャツのボタンはきっちりととめ、
外しアイテムのような無用なアイテムは取り入れず、
マスキュリンの装いをするなど、もってのほかです。
私のイメージする、もっとも「コンサバ」なスタイルは、
皇室の女性の方々の装いです。
あの方々のスタイルを想像していただければ、
「コンサバ」の何たるかがおわかりだろうと思います。
決して乱れず崩れず、
どなたに対しても不快感を与えないように、
礼儀正しく清潔に、
きちんとしている服装、
それが「コンサバ」の王道だと思います。
「コンサバ」において重要なのは、徹底的な他人目線の追求で、
限りなく自分の主張を消していくこと。
そのために日本人がふさわしいと考えたスタイルこそが「コンサバ」なのではないでしょうか。
真に保守的であるためには、どこにも肩入れしないこと。
そして、自分の周囲全体の調和をもっとも重んじること。
ひいては、自分が出会う人たちすべての人に、
快く思っていただけるような装いとは何か、
その1つの答えが「コンサバ」なのではないかと思います。
そう考えるならば、皇室の女性の方々が、
真に保守的なスタイルをお選びになるのも、しごく当然なことです。
今、呼ばれている「コンサバ」が、
真の保守的なものであるのかどうなのか、わかりません。
しかし、真の保守であるところの「コンサバ」を目指すのならば、
流行を追いかけることも、
ブランド物をとっかえひっかえ買いあさることも、
たくさんの服を毎年買うことも、
全く必要ありません。
必要なのは、
自分が周囲に提供するスタイルによって、
すべての人が幸せになること、その1点のみです。
それができたのなら、そのときそれがどんなブランドのものであっても、
どんなに古いものであっても、
王道の「コンサバ」となることでしょう。
真の保守である「コンサバ」とは、洋服のスタイルで完成するものでありません。
自分だけがハッピーであるだけでは足りないと知ること。
そしてすべての人のハッピーを願うこと。
真の保守である「コンサバ」とは、その人の生きるスタイルです。
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おしゃれチップス
2014年5月5日月曜日
大人のTシャツ選び
ティーンエイジャーのころは、
近所で売っている、どんなに安いTシャツを着ても、
誰でも輝いて見えました。
毎日洗った洗いざらしのTシャツは、
かえってその若さの輝きを強調したものです。
Tシャツ1枚選ぶのに、迷った記憶など、ないと思います。
好きか嫌いか、それさえわかればよかったはず。
しかし、大人になったら、そういうわけにはいきません。
さて、大人のTシャツ選びです。
いまや赤ちゃんからお年寄りまで、Tシャツを着ます。
一生に一度もTシャツを着ない人など、いないでしょう。
(まず、体操着がTシャツですし)
それほど幅広い年代に着られているにもかかわらず、
子供用と大人用以外には、
Tシャツの区分はありません。
Tシャツ、特に半袖Tシャツは、真夏の定番とはいえ、
一歩間違えると、何ともだらしなく、おしゃれとは程遠いものになります。
まず思いだしていただきたいのは、
Tシャツは、もともと肌着だということです。
そしてその特性は今でも有しているので、
だらしなく見える可能性を持っているのです。
では、大人がTシャツを選ぶとき、何に注意すればよいでしょうか。
ポイントは3つあります。
素材、デザイン、袖口、襟ぐりなどの開きの部分です。
まずは素材。
ほとんどのTシャツはコットン100パーセント、またはコットン+ポリウレタン数パーセントです。
また暑いシーズンに着る特性上、洗濯回数が多いアイテムです。
コットンを何回も洗濯すれば、当然、素材がくたびれてきますから、
若者でない限り、ある程度、着用したら、それ以上は着られません。
コットンにも等級はいろいろあります。
スーピマ・コットンから海島綿、エジプト綿、
またはオーガニック・コットンなど。
高級になれば価格も高くなります。
高級コットンの特徴は、そのなめらかさと光沢です。
そしてその質感は、大人がもっとも必要とするものです。
残念ながら、人間であるかぎり、肌の衰えから逃げることはできません。
ですから、年齢を重ねれば重ねるほど、
ある程度、光沢のある素材でできたTシャツを選んだほうがいいでしょう。
光沢という意味では、コットンだけでなく、絹やレーヨンとの混紡のものも考えられます。
これらの混紡素材は、
コットンだけでは出せない光沢がありますから、
より大人にはふさわしいものです。
とにかく、生地が毛羽だって、著しく光沢のなくなったTシャツは、
消耗品だと見限って、もうそれ以上着るのはやめましょう。
また、黒やネイビーなどの濃い色で、色落ちしてきたものも、
やはり大人には似合いません。
洗濯しすぎでよれよれになったもの、色落ちしてしまったものは、
ともにだらしなく見えます。
気をつけましょう。
つぎにデザインです。
最近、デザイン性の強いTシャツがいろいろ出てきました。
袖口の形が変形したもの(たとえばフレアになっているとか、そこだけレースであるとか)、
全体にドレープが入ったものや、切り替えがあるものなど。
デザイン性があるものは、自分の身体そのものを目立たせたくない場合、
大いに使えます。
人はどうしてもそのデザインに目がいきますから、
シンプルなものよりも、身体のラインは目立ちません。
身体に注目してほしくなかったら、少しデザインのあるものを選ぶのもいいと思います。
Tシャツの場合、特に背中のブラジャーの食い込みが目立ちます。
そこを見てもらいたくないのなら、プレーンなタイプは避けたほうがいいでしょう。
また、デザインという意味では柄やロゴもデザインです。
ただ、全体に柄が施されたもの以外、
たとえば前面だけにキャラクターがプリントされたものや、
何かのロゴが入ったものは、どちらかといえば、若者や子供向け。
くれぐれも注意していただきたいのは、
英語やフランス語の文章の入ったもの。
日本語に訳してみて、どう考えてもその意味のものを着ないほうがいいと思ったら、
大人なのだから、それはやめるべきです。
あまりに意味のない言葉やロゴは品性を疑われます。
最後に、ここが最大のポイントなのですが、襟ぐり、袖口の問題。
まず、Tシャツで何より目立つ二の腕。
若者のように適度に筋肉のついた、しなやかな二の腕は、
見ていてほれぼれしますが、
そうでなくなったとき、中途半端なところで切れた半袖の袖口は、
二の腕の欠点を余計強調させます。
人それぞれ、どこで袖口が終われば、自分の腕が一番美しく見えるかという位置があると思いますので、
それぞれがその位置について研究し、適度に二の腕が隠れる袖のものを選ぶといいでしょう。
私の考えですが、中途半端な場所で二の腕に水平ラインが横切るぐらいなら、
袖がないもののほうがましです。
Tシャツの袖口と自分の二の腕の関係は、自分で把握しておいてください。
もう一つの開きは襟ぐりです。
これも詰まったもの、あいたもの、Vネック、ボートネック、クルーネックなどさまざまです。
自分の首の長さ、頭の形に対して、
もっとも見栄えのいい襟ぐりがあります。
首を長く見せるたいのなら、Vネックや、クルーネックでも少し開きが深いものがいいのですが、
これが逆に深すぎると、下着が見えてしまい逆効果です。
またあまり詰まった感ものも、何か体操着みたいな感じで、
大人っぽくありません。
下着が見えないぐらいの、適度に深い、または広い開きのもののほうが、
大人にはふさわしいと思います。
いずれにせよ、これも人それぞれの体型によりますので、
自分にとって最も具合のいい開きの形と深さを知っておきましょう。
Tシャツはいつでもどこでも手軽に買えるものですが、
自分がこだわりを持って、もっとも似合うものを探そうとしたならば、
なかなかこれといった1枚が見つからないものです。
どれも何かしら気に入らない点があって、100パーセント満足のものには、
なかなかめぐり合えません。
また、Tシャツの試着もあまりしないものなので、試着しないで買って失敗ということもあるでしょう。
Tシャツの素材のほとんどはジャージーです。
ジャージー素材は、体型をカバーする力を持っていません。
ですから選択はより難しいものになります。
年齢とともに、
体型の変化とともに、
似合うTシャツの形や素材、色は変わってきます。
それが若いころと同じということは、決してありません。
潔く変化を受け入れて、
若いころとは違った気分でTシャツを選んでみてください。
変化は退化ではありません。
以前は似合わなかったような色、素材、デザインが、
新たに似合うようになるということです。
蝶は子供のときはいもむしで、変容して大人になり、やっと蝶になります。
いもむしと蝶が同じものを着ていたのでは、それはおかしな話です。
いもむし時代に似合っていたTシャツはさっさと捨てて、
蝶になった自分にふさわしいTシャツを新しく選びましょう。
それはきっと、前よりも、より進化して美しいものであるでしょう。
近所で売っている、どんなに安いTシャツを着ても、
誰でも輝いて見えました。
毎日洗った洗いざらしのTシャツは、
かえってその若さの輝きを強調したものです。
Tシャツ1枚選ぶのに、迷った記憶など、ないと思います。
好きか嫌いか、それさえわかればよかったはず。
しかし、大人になったら、そういうわけにはいきません。
さて、大人のTシャツ選びです。
いまや赤ちゃんからお年寄りまで、Tシャツを着ます。
一生に一度もTシャツを着ない人など、いないでしょう。
(まず、体操着がTシャツですし)
それほど幅広い年代に着られているにもかかわらず、
子供用と大人用以外には、
Tシャツの区分はありません。
Tシャツ、特に半袖Tシャツは、真夏の定番とはいえ、
一歩間違えると、何ともだらしなく、おしゃれとは程遠いものになります。
まず思いだしていただきたいのは、
Tシャツは、もともと肌着だということです。
そしてその特性は今でも有しているので、
だらしなく見える可能性を持っているのです。
では、大人がTシャツを選ぶとき、何に注意すればよいでしょうか。
ポイントは3つあります。
素材、デザイン、袖口、襟ぐりなどの開きの部分です。
まずは素材。
ほとんどのTシャツはコットン100パーセント、またはコットン+ポリウレタン数パーセントです。
また暑いシーズンに着る特性上、洗濯回数が多いアイテムです。
コットンを何回も洗濯すれば、当然、素材がくたびれてきますから、
若者でない限り、ある程度、着用したら、それ以上は着られません。
コットンにも等級はいろいろあります。
スーピマ・コットンから海島綿、エジプト綿、
またはオーガニック・コットンなど。
高級になれば価格も高くなります。
高級コットンの特徴は、そのなめらかさと光沢です。
そしてその質感は、大人がもっとも必要とするものです。
残念ながら、人間であるかぎり、肌の衰えから逃げることはできません。
ですから、年齢を重ねれば重ねるほど、
ある程度、光沢のある素材でできたTシャツを選んだほうがいいでしょう。
光沢という意味では、コットンだけでなく、絹やレーヨンとの混紡のものも考えられます。
これらの混紡素材は、
コットンだけでは出せない光沢がありますから、
より大人にはふさわしいものです。
とにかく、生地が毛羽だって、著しく光沢のなくなったTシャツは、
消耗品だと見限って、もうそれ以上着るのはやめましょう。
また、黒やネイビーなどの濃い色で、色落ちしてきたものも、
やはり大人には似合いません。
洗濯しすぎでよれよれになったもの、色落ちしてしまったものは、
ともにだらしなく見えます。
気をつけましょう。
つぎにデザインです。
最近、デザイン性の強いTシャツがいろいろ出てきました。
袖口の形が変形したもの(たとえばフレアになっているとか、そこだけレースであるとか)、
全体にドレープが入ったものや、切り替えがあるものなど。
デザイン性があるものは、自分の身体そのものを目立たせたくない場合、
大いに使えます。
人はどうしてもそのデザインに目がいきますから、
シンプルなものよりも、身体のラインは目立ちません。
身体に注目してほしくなかったら、少しデザインのあるものを選ぶのもいいと思います。
Tシャツの場合、特に背中のブラジャーの食い込みが目立ちます。
そこを見てもらいたくないのなら、プレーンなタイプは避けたほうがいいでしょう。
また、デザインという意味では柄やロゴもデザインです。
ただ、全体に柄が施されたもの以外、
たとえば前面だけにキャラクターがプリントされたものや、
何かのロゴが入ったものは、どちらかといえば、若者や子供向け。
くれぐれも注意していただきたいのは、
英語やフランス語の文章の入ったもの。
日本語に訳してみて、どう考えてもその意味のものを着ないほうがいいと思ったら、
大人なのだから、それはやめるべきです。
あまりに意味のない言葉やロゴは品性を疑われます。
最後に、ここが最大のポイントなのですが、襟ぐり、袖口の問題。
まず、Tシャツで何より目立つ二の腕。
若者のように適度に筋肉のついた、しなやかな二の腕は、
見ていてほれぼれしますが、
そうでなくなったとき、中途半端なところで切れた半袖の袖口は、
二の腕の欠点を余計強調させます。
人それぞれ、どこで袖口が終われば、自分の腕が一番美しく見えるかという位置があると思いますので、
それぞれがその位置について研究し、適度に二の腕が隠れる袖のものを選ぶといいでしょう。
私の考えですが、中途半端な場所で二の腕に水平ラインが横切るぐらいなら、
袖がないもののほうがましです。
Tシャツの袖口と自分の二の腕の関係は、自分で把握しておいてください。
もう一つの開きは襟ぐりです。
これも詰まったもの、あいたもの、Vネック、ボートネック、クルーネックなどさまざまです。
自分の首の長さ、頭の形に対して、
もっとも見栄えのいい襟ぐりがあります。
首を長く見せるたいのなら、Vネックや、クルーネックでも少し開きが深いものがいいのですが、
これが逆に深すぎると、下着が見えてしまい逆効果です。
またあまり詰まった感ものも、何か体操着みたいな感じで、
大人っぽくありません。
下着が見えないぐらいの、適度に深い、または広い開きのもののほうが、
大人にはふさわしいと思います。
いずれにせよ、これも人それぞれの体型によりますので、
自分にとって最も具合のいい開きの形と深さを知っておきましょう。
Tシャツはいつでもどこでも手軽に買えるものですが、
自分がこだわりを持って、もっとも似合うものを探そうとしたならば、
なかなかこれといった1枚が見つからないものです。
どれも何かしら気に入らない点があって、100パーセント満足のものには、
なかなかめぐり合えません。
また、Tシャツの試着もあまりしないものなので、試着しないで買って失敗ということもあるでしょう。
Tシャツの素材のほとんどはジャージーです。
ジャージー素材は、体型をカバーする力を持っていません。
ですから選択はより難しいものになります。
年齢とともに、
体型の変化とともに、
似合うTシャツの形や素材、色は変わってきます。
それが若いころと同じということは、決してありません。
潔く変化を受け入れて、
若いころとは違った気分でTシャツを選んでみてください。
変化は退化ではありません。
以前は似合わなかったような色、素材、デザインが、
新たに似合うようになるということです。
蝶は子供のときはいもむしで、変容して大人になり、やっと蝶になります。
いもむしと蝶が同じものを着ていたのでは、それはおかしな話です。
いもむし時代に似合っていたTシャツはさっさと捨てて、
蝶になった自分にふさわしいTシャツを新しく選びましょう。
それはきっと、前よりも、より進化して美しいものであるでしょう。
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